海旅

拓海広志「キラキラの国の四方海話」

これは1996年12月に奈良県十津川村で催されたアルバトロス・クラブのシンポジウム「大いに語ろう! インドネシア」からの抜粋です。このシンポジウムでは僕の他に、国際交流基金の小川忠さん、那智山青岸渡寺の高木亮英さん、料理研究家の坂本廣子さん、龍谷…

拓海広志「小笠原の母島にて・・・」

25年ぶりに小笠原諸島の父島、南島、母島を訪ねてみた。東京の竹芝桟橋から父島までは「おがさわら丸」(小笠原海運)で25時間半。父島から母島までは「ははじま丸」(伊豆諸島開発)で2時間。航海時間を大幅に減らせる可能性のあったTSL(テクノスーパーラ…

拓海広志「熊野学へのラブソング」

和歌山県新宮市に本社を置く南紀州新聞社が「南紀州新聞」を「熊野新聞」と名前を変え、「熊野学へのラブソング」というリレー連載を行っています。僕は古座「神保館」の神保圭司さんからバトンを受け、以下の「交流重ねて30年:旅の効能」というエッセイを…

拓海広志「初めてのヤップ(9)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(8)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(7)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(6)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(5)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(4)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(3)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(2)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「初めてのヤップ(1)」

アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤ…

拓海広志「キラキラの国の再生力(7)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 9月にバンコク、ソウル、東京、大阪、シンガポールを巡った際、神戸の元町高架下の台湾料理屋「丸玉食堂」に僕の海の仲間たちが集った。参加者の一人であるカヤッカーの阿部年雄さんか…

拓海広志「キラキラの国の再生力(6)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 以前『ジャラン・ジャランの道すがら』というエッセイを書いた際に、インドネシアにおける命の軽さについて少し触れてみた。人として生まれた者が家族や恋人、友人を愛し、その命をかけ…

拓海広志「キラキラの国の再生力(5)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 翌朝まだ日の出前に起き出し、皆でアグン山頂を目指す。眼下は雲海に覆われているが、北西の方にあるアバン山(標高2,152メートル)とバトゥル山(標高1,717メートル。火口湖であるバト…

拓海広志「キラキラの国の再生力(4)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * インドネシアは火山国である。ジャワ島にも僕が時々訪れるブロモ山(標高2,392メートル)をはじめとして幾つかの火山があるが、今年は10月にバリ島のアグン山(標高3,142メートル)に登…

拓海広志「キラキラの国の再生力(3)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 今年(1993年)の6月に神戸の舞子と湘南の藤沢で「アジア夢幻」と題する座談会を催すために、ジャカルタから日本へ飛んだ。特に神戸の会合には冒険家のジョージ・ミーガンさんや民族学…

拓海広志「キラキラの国の再生力(2)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 昨年ジャカルタに居を移してから、早くも1年半が過ぎようとしている。週末の僕は、この街の喧騒と澱んだ空気、そして東京、大阪、香港、シンガポール、ソウル、台北、上海、ニューヨー…

拓海広志「キラキラの国の再生力(1)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 夕暮れ時に家の近所を散歩する。縁台に腰掛けて夕涼みをしている人々と、その足下でうずくまる鶏たち。そして家々の間に所狭しとばかりに干された洗濯物の間を縫うようにして薄暗い路地…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(3)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(2)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(1)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「タガロアの故郷を訪ねて(4)」

これは今から10数年前のある年の6月末に、インドネシアのマナド、サンギールを旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★6月27日(後編) 陶磁器の話になったところで、ちょっと余談を許してほしい。昨年の8月9日は聖者マホメットの生誕日…

拓海広志「タガロアの故郷を訪ねて(3)」

これは今から10数年前のある年の6月末に、インドネシアのマナド、サンギールを旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★6月27日(前編) 朝5時、船はサンギール島のタルナに到着した。あいにく外は雨模様だ。僕たちは波止場で客引きをして…

拓海広志「タガロアの故郷を訪ねて(2)」

これは今から10数年前のある年の6月末に、インドネシアのマナド、サンギールを旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★6月25日 朝からエディ・マンチョロさんと二人の息子さん、そしてジョン・ラハシアさんと僕の5人でブナケン島とシラデ…

拓海広志「タガロアの故郷を訪ねて(1)」

これは今から10数年前のある年の6月末に、インドネシアのマナド、サンギールを旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★6月24日 昨日仕事でスラバヤまでやって来たのだが、少し遅くまで客と飲んでしまったので朝起きるのがちょっと辛い。それ…

拓海広志「路地考」

「路地」という言葉には不思議な響きがある。大きな町の中で、そこだけ別個の時間が流れている空隙−僕は路地に対してそんなイメージを抱いている。 僕は明石海峡を望む西神戸の海辺の町・舞子で育ったので、当然のことながら、そこが自分自身の原風景として…

拓海広志「アンボン旅日記(5)」

これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★1月3日 ホテルで朝食をとりながらオーナーと歓談する。僕はサパルア島では浜辺に木の枝を組んでおき、その…

拓海広志「アンボン旅日記(4)」

これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★1月2日 朝5時半に起床。宿のおかみさんと息子さんにアマハイの船着場まで送ってもらう。今日はここから対…

拓海広志「アンボン旅日記(3)」

これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★1月1日 朝一番、ベチャ(輪タク)に乗って市場へ行く。サゴ食圏のマルクだけにサゴ澱粉やサゴから作った菓…