拓海広志「羽黒フォーラムにて(1)」
1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラック氏(思想家)らが中心となって組織したパシフィック・アスラマ(Pacific Asrama)へとさかのぼり、文化的背景を異にするアジア各地の若者が一同に会し、寝食を共にしながら、言語・宗教・価値観などの差異を超えて共通の課題について話し合い、思索することを通して、アジアの人間相互の理解と連帯感を深め、交流の輪を拡げることを目的としています。
1996年のフォーラムは山形県羽黒町で、また1997年のフォーラムは沖縄県名護市にて開催されたのですが、いずれも20カ国近くより計25〜30名程度の若者が集められ、連日朝早くから夜遅くまで非常に刺激的な討議が繰り返し行われました。僕は国際交流基金の小川忠さんらの推薦でフォーラムに招待いただいたのですが、招待された人の大半は大学・研究機関の研究者、ジャーナリスト、NGOのリーダーなどで、誰もが様々な経験と見識を持っていたため、僕にとっても得るものは多かったです。今回は1996年の「第6回アジア・パシフック・ユース・フォーラム」の概要及びその直前に出羽三山を駆け足で巡った旅について紹介させていただきます(当時書いた文章です)。
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※8月3日
関空発の飛行機で庄内空港に降り立つとレンタカーを借り、大山・鶴岡経由で羽黒町に向かった。それから宿坊町手向の民宿に荷を降ろして一服した後、フォーラムの会場となる「いでは文化記念館」を訪ねた。ここは出羽三山信仰と山岳修験に関する博物館でもある。
それから杉並木の参道を歩いて羽黒山頂に至り、出羽三山神社に参拝した。ここには出羽神社、月山神社、湯殿山神社の三神が合祀されており、ここに参拝すれば出羽三山全てを参拝したのと同じ効力があると言うから、何ともコンビニエンスな神社である。明治になるまで山頂には寺があったそうだが、維新政府の神仏分離政策に基づく廃仏毀釈の運動によって神社にされてしまった。
出羽三山信仰には独特のコスモロジーがあるのだが、その支柱には羽黒山を「観音=現在=生」、月山を「阿弥陀=過去=死」、湯殿山を「大日=未来=再生」と仮想した時間軸が存在する。行者たちが山の中で一度死に、そして再生するという考えは「擬死再生」という修験道の根本思想であり、僕が関わってきた熊野修験においても重要なものだが、出羽では三山を巡ることでそれがなされる。
また、羽黒修験は崇峻天皇の皇子とされる蜂子皇子(能除太子)という架空の人物を開祖としている。皇子にまつわる伝承には奇怪なものが多く、聖徳太子の従兄弟という設定からしても非常にマージナルな存在だと言えよう。修験道の開祖と言えば普通は役小角のことであり、また修験道は空海の真言密教からも大きな影響を受けているのだが、羽黒修験においては何故この二人の巨人の前にこのような異形の皇子にまつわる縁起を必要としたのか、大いに興味をそそられるところだ。
※8月4日
朝から鶴岡市内の致道博物館を訪ねた。展示物の内容は思っていた以上に充実しており、特に海と川での漁に使われる舟や漁具、また有名な庄内竿などは一見の価値がある。
午後は由良海岸まで足を伸ばし、海で泳いだ。由良はその名の通りの天然の良港だが、ここの漁民たちには古くから羽黒山と結びつく信仰があるという。一般に漁民の山岳信仰の背景には山立てに用いる山に対する感謝の気持ちや、山から海に向かって吹き降ろす風に対する恐れなどがあるとされているが、由良の場合もそう解釈してよいのだろう。
※8月5日
この日は羽黒町をあとにし、鶴岡経由で湯殿山に向かう。鶴岡市内を流れ日本海に注ぎ込む赤川の上流に向かって車を走らせると、道はやがて梵字川と大鳥川が合流して赤川と名を変える落合に至る。そこから峡谷を流れる梵字川沿いの六十里街道に入ると、潮の香りを感じる庄内平野とは風景が一変し、森敦氏の名作『月山』の世界だ。さっそく、森氏にもゆかりがあり、鉄門海上人の即身仏で知られる注連寺と、真如海上人の即身仏で知られる湯殿山総本寺の大日坊を訪ねることにした。
即身仏は下級僧を人柱とした一種の「異人殺し」であり、それがミロク信仰的なメシア思想によって信仰の対象となったという説を唱える人は少なくないが(内藤正敏氏『修験道の精神宇宙』、宮田登氏『ミロク信仰の研究』、小松和彦氏『異人論』などを参照)、参拝者たちが列をなして朽木のような上人の即身仏を拝み、上人が身につけていた袈裟の切れ端が入っているというお守りを買っていく光景はいささか異様だ。
その後、湯殿山ホテルにチェックインし、湯殿山の本宮を参拝した。湯殿山は出羽三山の奥の院として位置づけられており、秘所中の秘所とされている。湯殿山は標高1,500メートルの山だが、参拝者が拝むのはその400メートルほど下の谷間にある大岩だ。かつては梵字川に注ぎ込む清流の流れる仙人沢を沢登りしながら参拝するのが湯殿山詣の正しいあり方とされており、そこはみだりに人が近づいてはならぬところ、またそこで見たものを口外してはならぬところとされていたが、現在では湯殿山ホテルのそばから湯殿山道路を車で登り、仙人沢の駐車場に車を停めると、そこからさらに参拝者用のバスで神体岩のすぐ近くまで行くことができるようになっている。
湯殿山本宮と呼ばれる巨大な神体岩は褐色に輝き、その上からは温泉が湧き出ている。参拝者はこの岩を拝み、また湧き流れる湯に足を濡らしながら岩の上を歩いて神体岩と交感するのだが、女陰を象徴するとも言われる大岩の姿は原初の生命の誕生を思わせる神秘的なもので、出羽三山信仰が帰結する地にふさわしい。僕は岩を通じて伝わってくる地球のエネルギーを感じながら、大岩の上にたたずんだ。
※8月6日
早朝4時に起床してホテルの温泉で身を清めると、僕は車で仙人沢の駐車場に向かった。山の空気は凛として涼しく、むしろ肌寒いほどだ。駐車場に着くと5時をまわっていたが、まだ参拝者用のバスは走っていないので、そこから歩いて昨日訪ねた本宮に向かうことにした。
月山は標高1,980メートルの美しい山で、東方に聳える標高2,230メートルの鳥海山と共に庄内地方のシンボルとされている。山頂に至る登山路は湯殿山本宮から急勾配の崖をよじ登り、その後は比較的なだらかな道を万年雪や高山植物を眺めながら軽快に進めるようになっている。早朝の空気の涼しさと風景の美しさに励まされ、僕は7時過ぎにはもう月山の頂上に到着した。
山頂には大きな社殿はなく、積み上げられた石垣の中に小さな祠があるだけで、それが月山神社本宮とされている。<祖霊=死者>が住むという月山にふさわしい荒涼とした光景だが、山頂から眺める鳥海山の姿は実に素晴らしいものだった。
月山神社への参拝を終えた僕は、来た道を引き返すことにした。なだらかな下り道をランニングしたのだが、実に気持ちがいい。また、ところどころに流れる沢の水を手にすくって飲むと極上の旨味がした。熊野の前鬼の湧き水も素晴らしいが、この沢の水もそれに勝るとも劣らない名水だ。
※8月7日
湯殿山ホテルをチェックアウトした後、六十里街道を落合に向かって走り、田麦俣という山村に残されている三階建ての多層民家を訪ねた。茅葺の大きな家の中にはかつて養蚕に使われていた道具をはじめ様々な民具が展示されていた。屋内に厩(うまや)があるのは「おしらさま」伝説で知られる岩手県遠野の曲がり家とも共通している。
その後、六十里街道沿いにある月山あさひ博物館を訪ねたのだが、何故かその中に「アマゾン自然館」なるものがあった。実はここは今回のアジア・パシフィック・ユース・フォーラムで知り合うことになる山口吉彦さんが館長を務める資料館なのだが、その紹介は後に譲りたい。
いよいよ本夕からフォーラムが開催される。僕は、今回のフォーラム参加者の宿となり、また今夜の歓迎レセプションの会場ともなる鶴岡駅前の東京第一ホテル鶴岡に向かうことにした。
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