この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。
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昨年ジャカルタに居を移してから、早くも1年半が過ぎようとしている。週末の僕は、この街の喧騒と澱んだ空気、そして東京、大阪、香港、シンガポール、ソウル、台北、上海、ニューヨーク、ミラノなど世界各地の大都市から送られてくるテレックスの束から逃れて、海に出掛けたり、山に登ったりして、インドネシアの自然と文化を楽しむようにしている。
特にインド洋に面する西ジャワの漁村プラブハン・ラトゥは僕の重要な活動拠点で、月に一度はそこへ通っている。このあたりの海は潮の流れも複雑な上に、典型的なドン深になっているため、インド洋の荒波がさらに増幅されて海岸に打ち寄せており、少々危険だ。しかし、僕はいつもこの海でシーカヤックを漕いだり、漁船に乗って沖へ出たり、浜でボディ・サーフィンをして遊んでいる。美味い魚と豪快で美しい海、満点の星空と澄んだ空気・・・、最高だ。
プラブハン・ラトゥから西にかけての沿岸には、固定式のバガンが幾つか見受けられる。これは竹で作った櫓の下に網を入れておき、夜間にランプの灯りを利用して小型の浮魚やエビを集めて獲るものなのだが、元々はブギスの漁民が得意としていたもので、彼らの移動に伴って各地に伝播したと言われている(鈴木隆史さんの論文『インドネシアにおける水産合弁事業と将来展望』などを参照)。バガンは浅海のジャカルタ沿岸などで多く見られるが、深海のインド洋岸でもバガン漁が行われているのは少し興味深い。
ところで、先日ジャカルタの漁港ムアラ・バルでカツオの水揚げをしている漁船を訪問し、そのクルーと話をしたところ、彼曰くプラブハン・ラトゥの浜にはカツオたちが交尾のために集まってくるそうだ。プラブハン・ラトゥの魚市場にはいつもカツオがずらりと並んでいるし、僕はカヤックを漕いでいてその群れに遭遇したこともあるのだが、機会があれば彼らの聖なるイベントに立ち会ってみたいものだ。
また、最近訪ねた場所の一つにスラバヤ沖に浮かぶマドゥラ島がある。僕がマドゥラの海洋文化について最初に関心を持ったのは、学生時代にアドリアン・ホーリッジ著『Outrigger Canoes of Bali and Madura, Indonesia』を読んだ時だ。その後ジャカルタで暮らすようになってから19世紀にマドゥラ人が東ジャワ一帯に移り住み、マドゥラ海峡をはさむ「マドゥラ文化圏」なるものを形成してきたことを知った。
僕はスラバヤに住む華人の友人と二人でマドゥラ島を訪ねたのだが、彼はスラバヤで生まれ育ったにもかかわらずまだ一度もマドゥラへは行ったことがないと言う。スラバヤからマドゥラまではフェリーで15分ほどの距離なので、僕が「意外だ」という顔をすると、彼は「マドゥラ人は野蛮だから・・・」と言った。
インドネシアの華人たちは実質的にこの国の経済を支えつつも、政治や社会のスケープ・ゴートとして酷い目にあうことも少なくない。そうした中で華人たちはインドネシア人として同化すべく努力をしつつも、プリブミとの間に距離を置くこともあり、それが人によっては一種の差別意識にまで高じていくこともある。他民族国家のインドネシアにはジャワ人とその他の諸民族、また華人の間に微妙な関係があり、こうした関係は社会的、経済的な階層の存在とも相まって、この国の内情を複雑なものにしているのだ。
この日は日帰りの小旅行だったので、マドゥラ島内を隈なく歩き回ることは出来なかったが、それでもトラシ(エビ醤。小エビをひき潰して塩をし、天日で乾かし煮て、再び乾かしてから発酵させて作る)製造業者やエビ養殖業者に売るための小エビ漁の様子を島のあちらこちらで見ることができたし、カヌーにもお目にかかることができた。そして、バンカランのワルンでは感動的に美味いソト・マドゥラを食べることができ、もう一度じっくりと島を巡ってみたいと思った。
華人の友人も浜の漁師や市場の物売りたちから様々な話を聞きながら旅をする楽しさがわかったみたいで、次回も僕の旅に同行したいと言った。ちなみに、東ジャワ及びマドゥラで広く行われているルンポン(竹を浮子としてアンカーロープで海上の一点に固定し、椰子の葉を付けて魚を集める漬け木のこと)を利用したパヤン(手繰り網)漁について、北窓時男さんが『ジャワ海におけるパヤン漁の研究』という論文を発表されている。次の訪問時にはパヤン漁についても探ってみたい。
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