拓海広志「初めてのヤップ(7)」

 アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤップに伝わるシングルアウトリガーカヌーの建造術と航海術を再現したいという思いから「ペサウ」という名のカヌーを建造し、1986年にヤップ〜小笠原父島間の航海を成功させた人たちだ。


 学生時代から太平洋のカヌー建造・航海術に興味を持っていた僕と彼らの話は弾み、二人と別れた後も僕はカヌーについての情報収集と研究を続けた。そして、翌1990年の6月末、僕は彼らと再会するためにヤップを訪問した。これは極私的な旅だったが、結果的にはこの訪問を契機として「アルバトロスプロジェクト(ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト)」が発足へ向けて動き出すこととなる。このときの旅の話を、当時の日記からの抜粋で紹介したい。


  *  *  *  *  *  *  *


※6月29日

 ガアヤンの「ヒロシさん、朝ですよ」という」声に、僕は飛び起きた。何とガアヤンは昨夜一睡もせずに起きていてくれたようなのだ。僕を起こすために。僕はお礼の言葉を失い、「お客」になりきっていた自分を恥じた。

 リヌグが貴重品のパンを一つ運んできてくれた。僕は椰子の実を割って汁を飲みながら、パンを食べた。ガアヤンが「ヒロシさん、お別れのノヌです」と言って、僕にハイビスカスの繊維で作ったノヌ(レイ)を掛けてくれた。ハイビスカスの木の裏側を海水に一週間ほど浸すと、やがて柔らかくなってヤニが落ち、白くなる。それを干してから木の根の汁などで着色したものがノヌだ。

 やがて、コロニアに出かける村の若者が迎えに来てくれた。僕はノヌを首に掛けたままテンガロンハットをかぶり、バッグを肩にかついだ。そして、ガアヤン、リヌグ、タマグの3人に別れを告げた。「本当にお世話になりました」

「是非、またヤップに来てください。私も来年日本に行きますので、その時にもお会いしましょう」とガアヤンが言った。

 タマンが車を停めている場所まで僕を見送ってくれる。「タマン、またいつか柔道をやろうな」

 タマンの優しい瞳がキラッと輝き、笑みが浮かんだ。僕は村人たちの乗り合い軽トラックに乗り込み、ウォネッヂの村を後にすることになった。

 1時間近くかかって車はコロニアの町に着いた。僕はレイビュー・ホテルに2泊することにしていた。このホテルのオーナーであるジョー・タマグはヤップの有名人の1人で、ホテルだけではなく日本の船会社の代理店なども経営している。僕は彼とも会ってみたかったのだ。

 レイビュー・ホテルにチェックインした僕は、まずコロニアの町を散策することにした。コロニアは小さなスーパーマーケットが数軒ある程度の町なので、歩いて回っても大した時間は掛からない。僕は港へ向かうことにした。

 港には「Micro Spirit」という名の貨客船が停泊していた。これはサタワル島などのヤップの離島を巡る連絡船で、乗組員に話を聞くとドックに入るために明日大阪へ向けて出帆する予定とのことだった。

 乗組員が「今夜は岸壁で出帆前夜のパーティーがあるから来てみろよ」と言ってくれたので、ありがたくその申し出を受けることにした。

 次に僕は漁港へ行ってみた。かなりきれいに整備された漁港で、20トン未満のマグロ漁船が数隻停泊していた。その内の1隻は船籍が石垣島になっている。僕は石垣船籍の船をのぞいてみた。中には日本人の漁労長(数日前に僕が空港で会った人だ!)と機関長に加えて、ヤップ人の漁師が数名乗っていた。僕は彼らに誘われるままに船に乗り込み、ビールとコンビーフ丼をご馳走になった。彼らはヤップの近海で1週間ほど操業してマグロを捕まえ、水揚げしたものを日本へ空輸しているそうだ。

 僕は船員たちと別れると、漁港に設置されている水産加工場をのぞいてみた。ここにも日本人が1人いた。国際協力事業団から漁業指導のために派遣されている佐藤傳さんという方で、もう数年ヤップに住んでいるという。佐藤さんはかつて大洋漁業の船員として活躍されていたのだが、やがてフィジーニューギニアなど様々な国々で漁業指導を行うようになったそうだ。

「農業や牧畜と違って、漁業は一攫千金の世界でしょう。大漁で大金を手にした漁師はしばらくは遊んで暮らすから、そういう連中に対して継続的に技術を教えるのは難しいですよ」とは、佐藤さんの談だ。

 佐藤さんと別れて漁港を出たところに、日本の神社の鳥居があった。かつて日本が建てたヤップ神社の跡である。そこには、太平洋戦争の戦没者慰霊碑が2つあったが、古い方は打ち砕かれていた。

 その後、ブラブラと町を歩き、夕方になって乗組員に誘われた通り、港の岸壁を訪ね、「Micro Spirit」のパーティーに参加させてもらった。岸壁ではバーベキューが用意され、鶏や海亀の肉が焼かれていた。僕はそれをご馳走になりながらビールを飲み、乗組員たちと歓談した。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


ミクロネシアを知るための58章 エリア・スタディーズ

ミクロネシアを知るための58章 エリア・スタディーズ

ミクロネシア信託統治の研究

ミクロネシア信託統治の研究