拓海広志「熊野学へのラブソング」

 和歌山県新宮市に本社を置く南紀州新聞社が「南紀州新聞」を「熊野新聞」と名前を変え、「熊野学へのラブソング」というリレー連載を行っています。僕は古座「神保館」の神保圭司さんからバトンを受け、以下の「交流重ねて30年:旅の効能」というエッセイを寄稿させていただきました(2010年11月3日の同紙(11月2日発売)に掲載)。


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 僕は若い頃から旅が好きで、十歳代には日本の全都道府県を巡り、その後はアジア、オセアニアの島々を皮切りに、世界の様々な場所を旅してきた。そんな僕が十歳代に訪ねた地の中で、最も強く自分の魂に響いてきたのが熊野だった。その後、僕は今日に至るまでに何度も熊野に足を運び、その海で潜ったり、船で航海したり、山を縫う古道や奥駈道を歩いたり、川をカヤックで下ったりしながら、熊野の自然や文化を体感し、この地で暮らす多くの人たちと交流してきた。


 古来、熊野は「黄泉国」「常世国」などと呼ばれ、「辺境の聖地」あるいは「別世界」的イメージを強く付与されてきた土地だ。確かに、熊野の海や山を巡っていると、非常に強い「気」を発する場所に遭遇することが少なからずある。これは熊野の豊饒な自然が醸し出す精気と、それをアニミズム的な信仰の対象としてきた人々の想念の、幾世代にもわたる相互作用の結果として醸成されてきたものなのだろう。だが、そうしたことと熊野に与えられた独特の聖地イメージを一直線に結びつけてしまうと、熊野への理解がいささか偏ったものになる恐れもある。


 民俗学者の野本寛一さんは『熊野山海民俗考』の中で、「人と環境とのかかわりを見つめるということは概括的・観念的な自然認識や環境認識を否定することである」と述べ、「熊野は古来、外から来たる者をひきつける強力な吸引力の主体であった」としながらも、「熊野から外に向かって発信された信仰は、その成立基盤・基層は別として、熊野の庶民とは隔たりを持ったもので、中央的、集団宗教的なものであった」と語っている。僕も野本さんと同様の問題意識を持っており、外部から付与されたイメージとしての熊野ではなく、自分自身の身体感覚と、熊野で暮らす友人・知人たちとの実際の人間関係を重視しながら、熊野との関わりを深めたいと思ってきた。


 旅とは、見慣れた自分の日常の風景から少し目をそらし、非日常の世界に入っていくことだ。しかし、実はそこで出会うのは他者の日常に過ぎない。でも、それを非日常の風景として眺めつつ体感することで、自分の日常が相対化されて新たな世界が拡がることがある。たぶん、それが旅の効能の一つなのだろう。他方、旅人を受け入れる側も、旅人という外部からの視線を借りることによって、自らのアイデンティティを確立・強化する機会を得、それによって伝統文化を再発見したり新たに創造したりすることもある。これもまた旅の効能の一つだと言える。これからもそんな良き関係性を大切にしながら、僕は熊野に足を運び続けたい。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


【新宮・神倉神社の御燈祭を終えて、アルバトロス・クラブの仲間たちと。左は新宮山彦ぐるーぷ山上皓一郎さんと奥様】

【熊野新聞のリレーエッセイ「熊野学へのラブソング〜交流重ねて30年:旅の効能」より。仲間たちとのセーリング


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