拓海広志「タガロアの故郷を訪ねて(2)」

 これは今から10数年前のある年の6月末に、インドネシアのマナド、サンギールを旅しながら書いた日記からの抜粋です。


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★6月25日

 朝からエディ・マンチョロさんと二人の息子さん、そしてジョン・ラハシアさんと僕の5人でブナケン島とシラデン島へ向かうことにした。中央市場裏の河口を利用した船着場からブナケン島まではラハシアさん所有の高速艇で約1時間の距離だ。

 ブナケンもシラデンと同じく隆起珊瑚礁の島で、その珊瑚礁の美しさゆえにこの島とその周辺(シラデンを含む)はブナケン国立公園・自然保護区に指定されている。ブナケンは無人島なのだが、島には小さなコテージが6棟と椰子の葉葺きの小さなレストランがある。地元のPT.Samudrindah Paradiseという会社が経営する日本人を対象としたダイバーズ・リゾートだ。

 ブナケン島内を少し散策した後、シラデン島へ向かう。高速艇でわずか10分足らずの距離だ。先述のようにシラデンには約250人の漁民が住んでおり、彼らのための教会(マナド、サンギールの住民の大半はカトリックである)や小学校もある。また、ブナケンにはほとんど砂浜がないのに対して、シラデンには白砂の海岸線が見られ、森の中にはココ椰子、マンゴー、パパイヤ、バナナ、キャッサバなどが豊かに実っている。

 僕たちはラハシアさんの案内で島を一巡りし、ニュージーランド人の冒険家ボブ・ホブマンさんが家族と共に居住している家に向かった。あいにくボブさんは不在だったが、ここからフィジーを目指す冒険航海をするために建造中のダブル・アウトリガー・カヌーが置かれてあった。ボブさんからはプロジェクトの資金集めに苦労しているという話を何度か聞かされてはいたが、僕が前回シラデン島を訪ねたのは1年半前のことで、その間にカヌーの建造があまり進んでいないことが気になった。

 その後、島内にあるラハシアさんの生家で昼食をご馳走になった。パンの実を油で揚げてからヤシ砂糖でからめたアムという名の料理を食べさせていただいたが、これがなかなか美味い。ラハシアさんによるとアムはサンギールの伝統食の一つであり、ボブさんもフィジーへの航海の際にはこれを大量に持っていくつもりだそうだ。

 昼食をとりながら、ラハシアさんはひとしきりインドネシアの役人批判をした。役人というのは大体どこでも権威主義的性格が強いものだが、インドネシアもその例外ではない。役人の中にはその地位を笠に着て庶民に様々なゆすりたかりを行う人もいるのだが、ラハシアさんのように広大な私有地を持っている人は彼らの標的となりやすい。こういう場合、多くのインドネシア人は「長い物には巻かれろ」という処世訓に従うのだが、ラハシアさんは役人を相手に「正義の戦い」をやってみせるため、彼らから煙たがられているのだという。

 シラデン島を後にしてマナドに戻る。その夜は一人でマナド市内唯一の日本料理店「ちゃちゃ亭」で夕食をとることにした。魚市場で仕入れてきた新鮮なカツオやマグロ、タコを使った刺身が美味く、ついついビールが進む。しばらくして現れたのがこの店を経営するソノヲ・テラアダさんで、一緒に飲みながら話をすることになった。

 テラアダさんは太平洋戦争前にマナドに住んでいた日本人と現地の女性の間に生まれたハーフで、聞いてみると今日僕がブナケンで訪ねた日本人ダイバー向けのコテージを経営するPT.Samudrindah Paradiseの社長を務めている方だった。

 テラアダさんはかつて日本の某総合商社のマナド事務所で働いたこともあるそうだが、当時の日本人駐在員はマラン(東ジャワ)出身の女性と結婚してから会社を辞め、ご自身で事業をしているという。実は僕がマナドに来る前に出張先のスラバヤで一緒に飲んでいたのがこの人で、これはなかなかの奇遇だ。

 材木輸出、鰹節加工、鉱山開発など、様々なビジネスの経験があるテラアダさんだが、ビトゥンと縁の深い焼津の水産会社が経営を多角化してマナドでの観光事業を計画し、請われてPT.Samudrindah Paradiseの社長を引き受けたのだという。同社はマナドから車で2時間ほど走った山の中にあるトンダノ湖畔のパソ村で温泉宿も建設中とのことで、テラアダさんは「明日時間があれば、パソの温泉も見て来てくださいよ」と言われた。


★6月26日

 朝一番にエディさんに電話を入れ、パソ行きの話をしたところ、エディさんも二人の息子たちを連れて一緒に行きたいとのこと。そして「息子たちが『夏休みなのにどこにも遊びに連れて行ってくれない』と文句を言ってたけど、昨日のシラデンに続いて今日パソへ行けばもう文句はないでしょう」と笑った。

 エディさんと僕は今夜マナド港を出帆する船に乗ってサンギール島を訪ねる予定をしていたので、まず街に出て船の切符を買った。マナドとサンギールのタルナ(タフナ)間の往復で一人3万4千ルピア(約1千3百円)だった。

 それから朝食を食べにエディさん行きつけの茶店へ行った。そこには水産、貿易、海運、船具関係のビジネスに従事する華人たちがたむろしており、エディさんにとっては「大学で本を読んでいるよりもはるかに役に立つ情報」を得られる場所なのだそうだ。僕はその店でムロアジのフレークと米をバナナの葉にくるんでから炊いた後に少し直火で焙ったラランパを食べたが、なかなか美味かった。

 軽く腹ごしらえができたところで、エディさんの車でパソ村へ向かう。途中ガソリン・スタンドで給油した際にエディさんが面白いことを教えてくれた。マナドには役人が家族名義を使って副業で経営しているガソリン・スタンドが何軒かあるのだが、それらは皆ガソリンに混ぜ物をしているそうで、誰もがそのことを知っていながら、相手が役人だから文句を言えないのだそうだ。

 峠を越える道の途中でミナハサ料理店があったので立ち寄り、少し早めの昼食を取る。ミナハサの料理はスパイシーで少々辛く、豚を使った料理が多いのが特徴だ。僕はサゴから作った発酵酒のアレンガ(地方名はホセ)を飲みながら料理を楽しんだが、店の人の話ではジャカルタからやって来るイスラム教徒のジャワ人の中にも、「内緒だぞ」と言いながら豚料理を堪能したりアレンガを飲む人はいるようで、かくのごとくインドネシアイスラムには妙に柔軟なところがある。

 車が峠を越えてトンダノ湖畔に近づくにつれてどことなく南欧風の建物が目につくようになってくるが、ミナハサ半島はオランダに植民支配されるまでの間、ポルトガル、次いではスペインの影響下にあった時期が長く、パソという地名も実はスペイン人がつけたものだ。パソは温泉が湧くことで知られる静かな村で、湖畔に広がる草原を馬が散歩している風景も実にのどかなのだが、何故かパソの男には荒くれ者が多いとされている。

 テラアダさんの経営している温泉宿を訪ねると、そこにはテラアダさんの息子さんがいた。彼はテラアダさんから僕のことを聞いていた様子で、日本語で「どうぞ、どうぞ」と言いながら僕たちを招き入れてくれた。宿には露天風呂と内風呂の両方があったが、露天風呂の方は日本風に岩を組んでおり、なかなか良い風情に出来上がっていた。

 インドネシアを旅すると、そこら中に温泉が湧いていて温泉好きの僕は大いに嬉しくなる。例えばジャカルタから日帰りで行ける範囲にも、バンドン近郊のチアトゥルやチマングなどに良い温泉がある。パソに開業するテラアダさんの温泉宿が成功をすることを願ってやまない。

 さて、夕方パソ村からマナドに戻った僕とエディさんは、サンギールへ向かう船に乗るために港へ向かった。サンギール族は海洋民として知られており、インドネシアの外航・内航商船の船乗りにもサンギール族の人は少なくない。

 僕たちが乗り込んだ「アベマリア」という名の船は、サンギールの浜造船所で作られた2千トン程度のものだ。サンギール島の出身だという船長に頼んでブリッジに入れてもらったが、壊れた羅針盤を除くとこれといった航海計器は見当たらず、「これで一晩走るのだから、伝統航海術と呼んでも差し支えないね」と言ってエディさんと笑った。

 ブリッジから狭くて急な梯子階段を降りたところにある倉庫のような大広間が客室で、乗客はそこにずらりと並べられた二段ベッド(ボンク)を使い、正にすし詰め状態で眠らねばならない。万一船が事故を起こして沈没するようなことがあれば、乗客の大半はこの船室から脱出できないだろうし、仮に脱出できても船には救命具や救命艇・筏がほとんど積まれていないので助かる見込みは少ないだろう。

 出帆の時刻が来ても船はなかなか出港しない。これはインドネシアではよくあることなのだが、この船に乗る予定の海軍将校の奥方が姿をあらわさぬために船は待ちぼうけを食らっているのだという。インドネシアでは軍や役所の偉い人は飛行機や船に乗るときや、民間企業の式典に出席する時などは、大抵遅刻してやって来る習慣を持っており、彼らが登場するまでは待ち続けるしかないのだ。結局、1時間半ほど待たされた後、数人の使用人を従えた女性が乗船し、船は出帆した。やれやれ…。

 「アベマリア」はブナケン島、シラデン島の東側を北上し、漂海民のバジャウ族が多く住んでいることで知られるナイン島のそばを走り抜けてサンギール島を目指す。出帆してからしばらく経ったところで、油紙に包まれたナシ・クニン(ターメリック・ライス)が乗客全員に配られたので、それを食べてからボンクで横になった。すし詰め状態の割には、あちらこちらから吹き込んでくる潮風のおかげで暑くはない。お世辞にも快適とは言えないが、まあそう悪くもない船旅である。


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