拓海広志「キラキラの国の再生力(4)」

 この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。


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 インドネシアは火山国である。ジャワ島にも僕が時々訪れるブロモ山(標高2,392メートル)をはじめとして幾つかの火山があるが、今年は10月にバリ島のアグン山(標高3,142メートル)に登る機会を得た。バリに住むニュージーランド人デザイナーのサリタ・ニューソンさんの娘トゥリシナさんから電話が掛かってきたのは9月末のことだった。サリタさんのバリ暮らしはもう20年に及び、トゥリシナさんと息子のクリス君、ダニー君は3人ともバリで生まれ育っている。現在高校三年生のトゥリシナさんは12月からニュージーランドオークランドに渡り、そこで大学に行くつもりだと言う。そして、当分バリには戻って来られなくなるので、家族やボーイフレンドと共にアグン山に登っておきたいのだが、それに僕も参加しないかと誘ってくれた。霊峰アグン山はバリの人々にとって「世界のヘソ(中心)」とも呼ばれる聖なる山であり、僕は海抜900メートルあたりにあるバリ・ヒンドゥーの総本山ブサキ寺院を訪れるたびに一度は山頂まで登ってみたいものだと思っていたので、二つ返事でそれに参加させてもらうことにした。


 金曜の夜、デンパサール入りした僕は、いつものようにタクシーに乗ってサヌールの浜辺にあるサリタさんの家を訪ねた。サリタさん一家に加えて、トゥリシナさんのボーイフレンドであるスバム君の5人が僕の到着を待ってくれていたが、明日は5時起きだというので、簡単な打ち合わせと装備の確認をしてすぐに眠ることにした。翌朝はまだ暗いうちから起き出す。サリタ家には電気も水道もないので、ランプの灯りを頼りに井戸水を浴びて入山前の身を清める。生粋のバリ人であるスバム君はもちろんのこと、サリタさん一家も敬虔なバリ・ヒンドゥー教徒だ。家や庭のあちらこちらに潜む神々に供物を供えた後、一同は庭の隅にある祠に向かって祈りを捧げた。もちろん、僕もそれに参加する。お祈りの後、聖水を頭から振り掛けてもらい、三度口に含んでから頭と顔も水で清めて、儀式は終わる。その後、サヌールからブサキ寺院まで車を走らせ、駐車場に車を停めてから山に登ることにする。まず寺院前の交番に登山届けを出し、食堂で朝食をとって腹ごしらえをした後に、一同は寺院に供物を捧げ、寺院内の二箇所で再び神々に祈りを捧げた。一通りの儀式の後、額と左右のこめかみに米粒を付け、いよいよ聖なる山アグンの頂を目指して出発だ。


 一般にバリ・ヒンドゥーとはバリ古来のアニミズム的な土着信仰の上にインド伝来のヒンドゥー教がかぶさるように浸透してきたものだと言われているが、14世紀に東ジャワのマジャパヒト王国がバリを征服したことにより、当時のジャワ・ヒンドゥーの影響も多く受けている。マジャパヒト朝時代のジャワ・ヒンドゥーの特徴はヒンドゥー教シワ派と密教の習合が行われたことで、それを受け継いだのがバリ・ヒンドゥーであるだけに、現在のバリにおいてもヒンドゥー教と仏教はあまり明確には区別されていない。日本において空海が開いた真言密教ヒンドゥーや日本古来の神々を包摂・習合する形で成立したわけだが、赤道近くのこの島ではまた少し違った形での習合がなされていたのである。現在のインドのヒンドゥー教と比べると、バリ・ヒンドゥーの方が日本人にとってはより親近感を覚えやすいように思えるが、それは後者の中にある大乗仏教的な要素のせいと、もう一つはバリ人も日本人もヒンドゥー教や仏教といった思想の底に実際はアニミズム的な感性を多分に引きずり続けているということがあるのかも知れない。


 ところで、バリ最高峰のアグン山はバリにヒンドゥー教が入ってくる前から神聖視されてきたようだが、これはアニミズム的な山岳信仰とバリ人特有の方位観によるものだと言われている。バリの人々は<山=聖=kadja>と<海=賤=kelod>を結ぶ垂直基軸と、<東=kangin>と<西=kauh>を結ぶ水平補助軸からなるコスモロジーを持っており、アグン山のある東方を神聖だとする方位観を有している(バリ人にとって方向感覚とは単に地理上の方角にとどまるものなのではなく、「世界における自分の位置」を示す精神的に重要な意味を持っており、それを失うとパリンと呼ばれる錯乱状態に陥ることもあるそうだ。バリのコスモロジーについてはミゲル・コバルビアス著『バリ島』、中村雄二郎著『魔女ランダ考』、クリフォード・ギアーツ著『文化の解釈学』などを参照)。そうした観念の中で古代より聖なる山として崇められてきたのがアグン山で、ヒンドゥー教の浸透後は「マハメル(須弥山)」の一部がバリに移転されたもの」という意味づけがなされ、より神聖視されるようになったという。


 密林の中、急勾配の尾根道をひたすら登る。出発したばかりの頃はシダ類や照葉樹林の生い茂る熱帯特有のジャングルだったのだが、高度が上がるにつれて植物相が変わっていくのが面白い。登山やキャンプが趣味でアグン山にももう5回登っているというスバム君が先頭を歩き、サリタさん一家をはさんで、僕が最後尾を行く。スバム君とトゥリシナさんが知り合ったのは、トゥリシナさんがまだ中学生だった頃にプラムカ(ボーイスカウト)が催した登山に参加したのがきっかけで、その時にジュニア・リーダーとしてやって来た高校生がスバム君だったという。スハルト政権がスカウト運動を政治的に利用する意図を持っており、学童に対してプラムカへの参加を半ば強制していることは付記しておかねばならないが、そんなことは二人にとってあまり関係ない。12月にオークランドに旅立ってしまうトゥリシナさんと、間もなく大学を卒業して職探しをせねばならないスバム君。二人がしばしの別れを目前にして企てた登山に、家族でもない僕が参加させてもらったのも何かの縁なのだろう。今後の二人の成り行きを見守ってあげたい。


 1963年に大噴火してからは火を噴いていないとは言え、アグン山は歴とした活火山だ。山の上の方は火山岩に覆われ、足場の脆いところも多い。出発してから7時間ほどでようやく山頂近くの岩場にたどり着いた僕たちは、眼下に広がる雲海を眺めながら一息入れた。山頂まではあと30分ほどの距離だが、この日はその岩場でキャンプすることにした。ところが驚いたことに、アグン登山のベテランであるスバム君がサリタさん一家に用意させた装備は屋根として岩場に掛けるビニールシート1枚だけだった。いくら南国でも標高3,000メートル以上の山の上なのだから、夜になると当然かなり寒くなってくる筈なのだが、寝袋とテントを持参していたのは僕一人だけで、スバム君は厚着をして全員で身体を寄せ合って寝るのだと言う。僕は少々呆れたが、麓から持参したバリ料理の弁当をつまみながらウォッカを飲んで心地よくなり、満天の星空に酔いながら「まぁいいや」とばかりに皆と寄り添って、少し凍えながら眠りに就いたのであった。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【左からダニー君、トゥリシナさん、クリス君。サリタ家の庭にて】



【ダニー君。アグン山頂付近にて】


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