2008-01-01から1年間の記事一覧

拓海広志『Once More !』♪

今回も高校時代に石井史朗さんとのコンビで作った歌をご紹介します。石井さんが書く詞とは何故か相性がよく、いつも彼から詞をもらうとすぐにメロディが浮かんできたのが不思議です。。。 【Once More !】 (詞/石井史朗 ・ 曲/拓海広志)(1980年) さよ…

拓海広志『絶望の中を行く人に…』♪

先日、家の書庫を整理していたら、中学時代に書いたエッセイや小説、詩が幾つか出てきました。かなり青臭い内容のものが多くて気恥ずかしかったのですが、中にはちょっと面白いものもありました。例えば、『絶望の中を』と題したこんな文章・・・。今となっ…

拓海広志『Satisfaction』♪

海や川で子どもたちとスポーツや自然体験活動をしたり、仲間たちと楽器を持ち寄って音楽を楽しんだり、あるいは独りで机に向かって物を書いたりするのが僕だというイメージを僕の友人たちは持っているようです。しかし、実はそれはウィークエンドの僕の姿で…

拓海広志「キラキラの国の再生力(7)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 9月にバンコク、ソウル、東京、大阪、シンガポールを巡った際、神戸の元町高架下の台湾料理屋「丸玉食堂」に僕の海の仲間たちが集った。参加者の一人であるカヤッカーの阿部年雄さんか…

拓海広志「キラキラの国の再生力(6)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 以前『ジャラン・ジャランの道すがら』というエッセイを書いた際に、インドネシアにおける命の軽さについて少し触れてみた。人として生まれた者が家族や恋人、友人を愛し、その命をかけ…

拓海広志「キラキラの国の再生力(5)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 翌朝まだ日の出前に起き出し、皆でアグン山頂を目指す。眼下は雲海に覆われているが、北西の方にあるアバン山(標高2,152メートル)とバトゥル山(標高1,717メートル。火口湖であるバト…

拓海広志「キラキラの国の再生力(4)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * インドネシアは火山国である。ジャワ島にも僕が時々訪れるブロモ山(標高2,392メートル)をはじめとして幾つかの火山があるが、今年は10月にバリ島のアグン山(標高3,142メートル)に登…

拓海広志「キラキラの国の再生力(3)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 今年(1993年)の6月に神戸の舞子と湘南の藤沢で「アジア夢幻」と題する座談会を催すために、ジャカルタから日本へ飛んだ。特に神戸の会合には冒険家のジョージ・ミーガンさんや民族学…

拓海広志「キラキラの国の再生力(2)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 昨年ジャカルタに居を移してから、早くも1年半が過ぎようとしている。週末の僕は、この街の喧騒と澱んだ空気、そして東京、大阪、香港、シンガポール、ソウル、台北、上海、ニューヨー…

拓海広志「キラキラの国の再生力(1)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 夕暮れ時に家の近所を散歩する。縁台に腰掛けて夕涼みをしている人々と、その足下でうずくまる鶏たち。そして家々の間に所狭しとばかりに干された洗濯物の間を縫うようにして薄暗い路地…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(3)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年8月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1993年です。 * * * * * * ジャカルタ暮らしもそろそろ1年半になってくると、体内の水分もインドネシアのそれと入れ替わり、皮…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(2)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年7月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1995年です。 * * * * * * 友人と一緒にフィリピンへ遊びに行ってきたKさんから聞いたところでは、彼女の友人はマニラで出会っ…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(1)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年6月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1994年です。 * * * * * * ある日曜日の夕方、友人J君の妹から「Jの様子がおかしいの。今すぐ助けに来て!」という電話が掛か…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(3)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(2)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「羽黒フォーラムにて(1)」

1996年と1997年の2回にわたり、僕は「アジア・パシフィック・ユース・フォーラム」(国際文化会館と国際交流基金の共催)に出席させていただきました。このフォーラムのルーツは、インドネシアの故スジャトモコ氏(前国連大学長)、タイのスラック・シワラッ…

拓海広志「遠津川にて・・・」

これは1999年に書かれた文章です。 * * * * * かつて都からの遠さゆえに遠津川とも称されていた十津川は、吉野、高野の深山が蓄えた雨の雫を集め、深い峡谷の間を縫うようにしながら、やがて熊野川に合流して遥か太平洋の熊野灘を目指す流れとなる。険…

拓海広志「渡海−人は何故海を渡るのか?(3)」

1989年から1994年にかけて「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト(アルバトロス・プロジェクト)」が実施されました。1995年初頭に僕が書いた小文をここに転載させていただきます。 * * * * * * *…

拓海広志「渡海−人は何故海を渡るのか?(2)」

1989年から1994年にかけて「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト(アルバトロス・プロジェクト)」が実施されました。1995年初頭に僕が書いた小文をここに転載させていただきます。 * * * * * * *…

拓海広志「渡海−人は何故海を渡るのか?(1)」

1989年から1994年にかけて「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト(アルバトロス・プロジェクト)」が実施されました。1995年初頭に僕が書いた小文をここに転載させていただきます。 * * * * * * *…

拓海広志「神戸再生への序章」

1995年の1月17日に神戸を阪神大震災が襲いました。その年の春に僕が書いた小文を、ここに転載させていただきます。 * * * * * * * * * * * * * 1月17日の朝、僕は出張先のボンベイで阪神地方を襲った大地震のことを知った。自身の故郷であり、その感性や精神…

拓海広志「信天翁の会・原論」

1989年5月20日に発足した環境活動支援ネットワークのアルバトロス・クラブ(現代表:高橋素晴さん)も、来年には創立20周年を迎えます。今後はそれを記念したイベントも企画されているようですが、クラブ創設時の初心を思い起こすために、僕が1991年に同クラ…

拓海広志「『ミッドナイトイーグル』を観る : 高嶋哲夫さん」

高嶋哲夫さんの小説『ミッドナイトイーグル』が映画化されたので観てきました。以前『LIMIT OF LOVE 海猿』や『日本沈没』(リメイク版)といった映画を観たときにも同様のことを感じたのですが、関係省庁・機関(『ミッドナイトイーグル』は防衛省、『LIMIT…