拓海広志「初めてのヤップ(8)」

 アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤップに伝わるシングルアウトリガーカヌーの建造術と航海術を再現したいという思いから「ペサウ」という名のカヌーを建造し、1986年にヤップ〜小笠原父島間の航海を成功させた人たちだ。


 学生時代から太平洋のカヌー建造・航海術に興味を持っていた僕と彼らの話は弾み、二人と別れた後も僕はカヌーについての情報収集と研究を続けた。そして、翌1990年の6月末、僕は彼らと再会するためにヤップを訪問した。これは極私的な旅だったが、結果的にはこの訪問を契機として「アルバトロスプロジェクト(ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト)」が発足へ向けて動き出すこととなる。このときの旅の話を、当時の日記からの抜粋で紹介したい。


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※6月30日

 この日は特にすることがなかったので、ジョー・タマグが経営するダイビングショップをのぞき、ボートダイビングに参加させてくれと頼んだ。と言っても、観光客の少ないヤップのことで、ガイドはショップに常駐しているわけではない。この日も客は僕だけで、慌てて無線でガイド探しが始まった。約1時間後、ようやくガイドが見つかったが、彼はコロニアの対岸にあるトミールの村に住んでいるので、そこまで迎えに来てほしいとのことだった。僕とキャプテンは彼の分まで器材を準備してボートに乗り込んだ。

 トミールの村に着くとヤップ人ガイドのジェシーと名乗る男がやって来た。彼を乗せると、ボートはヤップ本島とトミール地区の間のジャングルに挟まれた細い水路を北上して行った。やがてマープ島が見えて来るとそれに沿ってさらに北上し、ルムン島の沖合いにアンカーを落とした。

「ヒロシ、準備が出来たら言ってくれ」と、ジェシーが言う。

 僕はBCにタンクとレギュレーターを装着し、マスクに唾を吐きかけて曇り止めを施した。「OK、スタンバイだ」。

「Have a fun dive !」と言うと、ジェシーは海に飛び込み、僕も彼に続いた。

 実のところ、僕はヤップでのスクーバダイビングにそれほど大きな期待をしていなかったのだが、幅3メートル近くはあるマンタが20匹近くも群れになって回遊している様子には感動した。巨大なマンタが自分のすぐ傍を泰然と泳いでいき、その近くには海亀と色とりどりの魚たちが、また海底には眠りザメがいる光景に僕は竜宮城を思った。

 さて、ダイビングから引き上げてショップに戻ると、ショップの経営をジョー・タマグから任されているアメリカ人のビルという男がいた。そこに彼の友人が2人(1人はフィリピン人のデザイナーで、マークという名前。もう1人はハワイのコナに住む米国人で、彼もマークという名前)やって来たので、僕ら4人は夕方までビールを飲みながら語り合った。

 その後、僕はフィリピン人デザイナーのマークと夕食を共にした。話していると、日本の歴史や文化への造詣もかなり深いので、少し驚いた。

「今の日本は世界中から注目され、研究されているんだけど、意外にそのことに無自覚というか、自分たちのことを外国人ごときに理解できっこないと思い込んでいるように見えるな」と、マークは言った。

「経済的な力も大きいから、世界中の国が日本をリーダー国として認めざるをえなくなっている。グループのメンバーがリーダーに対していろいろな要求をするのは普通のことだと思うけど、日本人にはそういう習慣がないのか、何故自分たちばかりが他の国からあれこれと注文をつけられるのだろうと当惑しているようにも見えるね」

 マークの話はなかなか面白く、僕らの会話は弾んだ。それで僕らは食後にもう少しお酒を飲みたくなったので、レストランのウェイトレスに「コロニアにバーはないかな?」と尋ねた。すると彼女は、「ここにはそんな洒落たものはないけど、野外ディスコならあるわよ」と応えた。「もしよかったら、もう店は終わりだから、私がそこまで案内するけど」。

 僕らは彼女の好意に甘えることにし、彼女が手配した軽トラックの荷台に乗り込んだ。彼女が運転するトラックは町中を抜け、どんどん山奥に入って行く。そして、かなりひどいガタガタ道を進んで行くと、確かに野外ディスコがあった。

 そこには小さなステージが設置され、5人組みのバンドがエレキギターやベース、シンセサイザーをかき鳴らし、あまり聞きなれない少々単調なロックを演奏していた。しかし、楽器の大半はアメリカ製か日本製の高価なものだった。

 ステージの周囲にはヤップの若者が数十名いて、演奏を聞きながらビールを飲んでいたが、踊る人は皆無だった。彼らの目つきは異様に暗く、僕がこれまでにこの島で出会った人々とはかなり雰囲気が違っていた。マリファナの煙の香りが漂っていたような気もするが、それは定かではない。ヤップ最後の夜に、僕は1つの宿題を与えられた気がした。

 僕とマークはこの野外ディスコで2時間ほど過ごしたのだが、やがて僕はマークとウェイトレス譲を残して、先にホテルに引き上げることにした。コロニアの港まで向かう車があったので、それに乗せてもらうことにしたのである。

 ところが、港で車から降り、ホテルまでの僅かな道のりを歩いていて、僕はもう1つの宿題を抱え込むことになる。実は、ここで僕は暴漢に襲われたのだ。相手は20歳代の若い男で、いきなり「殺すぞ!」と怒鳴りながら、僕に飛び掛ってきた。

 僕は不意をつかれて驚いたが、逆に大声を上げながら彼の左手首と左腕の関節を同時に絞り上げながら、脇固めで押さえ込んだ。昔、柔道やレスリングをやっていたので、こういうときには咄嗟に投げ技か関節技が出てしまうようだ。

 僕が暴漢を押さえ込みながら大声を上げ続けていると、やがて警察官が3人やって来て彼を取り押さえてくれた。僕は警察官にホテルまで送ってもらい、シャワーを浴びて眠ることにした。「参ったね・・・」。


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【コロニアのヤップ神社跡】