拓海広志「アンボン旅日記(5)」

 これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。


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★1月3日

 ホテルで朝食をとりながらオーナーと歓談する。僕はサパルア島では浜辺に木の枝を組んでおき、その上にカヌーや小舟を載せるという独特の繋留法を目にしたので、その理由を尋ねたところ、こうすると舟虫などが付きにくくなり、カヌーが傷まないというのが彼の説明であった。

 僕はオーナーに別れを告げ、ベモに乗って島の南西部にあるポルト・ハリアという村の波止場を目指すことにした。ここからアンボン島トゥレフ行きのボートが出ているのだ。

 波止場ではかなり多くの人たちがボートを待っていたが、その多くは正月休みが明けてアンボンに帰る人たちである。ボートは3艇あり、これらがポルト・ハリアとトゥレフの間を何度も行ったり来たりしているのだという。

 僕は波止場で人々と雑談をしながら2時間ほどを潰し、ようやくボートに乗り込むことができた。子連れの家族が多く艇内はすし詰めの状態だ。艇はハルク島の沖を抜けてトゥレフに向かった。所要時間は約1時間半、船賃は5千ルピア(約230円)である。

 僕は昨日サパルア島でベモの運転手に温泉へ連れて行ってもらった際に、彼からトゥレフ近郊の山中にも温泉があるらしいという話を仕入れていたので、トゥレフ港に到着した僕たちはそこを訪ねてみることにし、温泉の所在地を知っているべモを探し回った。

 その結果、一人の運転手が「俺が知ってるぜ。温泉に寄ってからアンボンの町まで送ってやるから、3万5千ルピア(約1600円)でどうだ?」と持ちかけてきたので、彼の車をチャーターすることにした。

 べモは幹線道路を外れて未舗装の山道に入って行く。途中で小川を強引に渡った際には、その河原でサゴ椰子から澱粉を抽出する作業をしている人々に出会った。

 サゴ椰子の幹の中には大量の澱粉が詰まっているのだが、その髄を砕いたものを袋に入れて川の水で洗い、澱粉だけを濾し出すのだ。ジャワなどではサゴは菓子類を作るのに利用される程度だが、マルクではサゴは主食の座を占めており、人々はそれを煎餅状に焼いたり、湯で溶いて片栗状にして食べる。

 そうこうするうちに、山道がかなり細くなり、車で進むには限界ではないかと思われるところに至った。「ここで降りてくれ」と運転手が言うので、それに従う。

 しばらく歩くと、サゴ椰子、ニッパ椰子、バナナ、シダ類など様々な草木が生い茂る森の谷間を流れる清流に出くわした。その一角が板できれいに仕切られており、川からは湯気が上がっている。川の中ほどから温泉が涌いているのだ。

 川に指をつけて湯の温度を計ると、ちょうど良い加減で、思っていた以上に素晴らしい川湯である。僕はさっそく裸になって湯の中に飛び込んだ。べモの運転手とその助手たちも我々に続き、温泉と森林浴の相乗効果でリラックスすること頻りである。

 結局、僕はそのジャングル温泉で1時間ほど過ごし、それからアンボンへ向かうことにした。ジャカルタからアンボンに移った日はとてものどかに見えた町だが、セラム島やサパルア島を巡ってから戻ってくるとやけに大都会のように感じられるから面白い。ホテルにチェックインして一服した後、散歩に出かける。

 インドネシアでは韓国のテコンドーが盛んなのだが、公民館前でも大勢の子供たちがその練習に励んでいた。街のメインストリートとなるA・J・パティー通りには宝石店と土産物屋が軒を並べていたが、前者は主として真珠製品を扱っており、後者も真珠貝の貝殻を使った工芸品を売っている店が大半だった。

 マルクは真珠養殖の盛んなところで、日本の養殖業者やダイバー(特に南紀出身者が多かった)との縁も深いところなのだ。また、アンボンはジャワやマドゥラほどではないが、ジャムゥの産地としても知られており、その専門店も幾つか見かけた。


★1月4日

 朝から抗蘭闘争において大きな働きをした少女クリスティーナの銅像が立つカラン・パンジャン丘、シワリマ博物館などを訪ねて回る。

 シワリマ博物館は規模の割には展示物は充実しており、西欧の列強が進出してくる以前よりマルク地方に運び込まれた中国や日本、インドシナ半島産の陶器類、セラム島ナウルの人々が他人に呪いを掛ける際に使うという模型の小舟、日本の山岳修験者やミクロネシアの呪術者たちと同様にマルクの人々が笛として使っている法螺貝などには特に興味が湧いた。

 沖縄で法螺貝の採取が禁止されてから日本の山伏たちは主にフィリピンとインドネシアから輸入された法螺貝を使っているのだが、僕は東南アジアやミクロネシアの海の文化が日本の山の文化と直結しうるところが、日本−東南アジア−太平洋をつなぐ海の道を考察していく上で面白い点なのではないかと思っている。

 午後3時頃になって昨日のべモがわざわざトゥレフから僕を誘いにやって来た。また、昨日の温泉へ行こうというのである。

 運転手が「今日は温泉へ行く前に俺のカンプン(村・集落)へ寄ってみないか?」と言うので、承諾する。運転手は「その前に」と言ってトゥレフの漁港に寄り道をした。ちょうどカツオ漁船が漁から戻ってきたところで、港はその水揚げで賑わっていた。

 インドネシアの海の男たちというのは大体どこへ行っても気さくな連中が多く、漁師たちは忙しい作業の最中であるにもかかわらず僕を船の上に引き上げてくれた。

 べモの運転手は漁港のそばにある魚市場でなぜかカツオの臓物だけを仕入れてき、「さあ、俺のカンプンへ向かおう」と言った。

 彼のカンプンは漁港からいくらも離れていなかった。そこには幅15メートルほどの川が流れており、川の中では大勢の子供たちが歓声をあげながら水遊びに興じており、その下手の方では大人たちがマンディ(水浴び)や洗濯をしていた。

 皆、実に楽しそうで、こちらも思わず川に飛び込んで行きたい衝動にかられる。と、運転手が「川の中を見てみろ」と指差した。

 僕が川を見つめなおしてみると、体長40センチ程度の平べったい魚が30匹ほどで群れをなし、はしゃぎまわる子供たちの間を悠々と泳いでいる。スンダ地方の料理には欠かせないグラメだ(唐揚げにして食べると実に美味く、僕は特に鰭の部分が大好きである)。

 さらに「あそこも見てみろ」と指差された淵のあたりを見ると、体長1メートルを超える大ウナギがうようよしているではないか。

 「あれは俺たちの祖先なんだ」。運転手はそう言いながら魚市場で買ってきたカツオの臓物をつかむと、川の中に手を突っ込んだ。すると大ウナギたちは彼のまわりに集まり、その手から餌を奪い取っていく。子供たちや我々がその背や腹に触れてみても驚いたり逃げ出したりする気配は全くない。もう慣れ切っているのだ。

 この地方の人々が大ウナギを祖先の生まれ変わりとして大切にしているという話は聞いていたが、実際にこういう光景を見ることができたのは良かった。

 それから僕たちは昨日訪ねた川湯温泉を再訪したのだが、そこで一緒に湯に浸かりながらベモの運転手が「俺もジャカルタで働きたいなぁ」と言ってきたので、僕は「あんな大都会で生活するのは大変だぞ」と、ジャカルタの過密都市ぶりと交通渋滞のひどさ、物価高や住宅難の話、地方と比べた場合の治安の悪さ、貧富差の激しさなどについて話した。

 話はそれるが、インドネシアでは大統領など有力政治家の親族に代表されるような利権を握った一部の人々が華人財閥や外国企業と結ぶことによって肥え太っていき、貧しい人々との所得格差は広がる一方だ。そして、そのコネ社会・賄賂社会の構造はピラミッドの頂点から底辺に向かって拡散するが如くに社会全体に浸透し、あちらこちらに中小の利権屋があふれかえっている。

 工業化と物価高の進むジャワ島では人口の大多数を占める農民たちの生活が圧迫されており、ジャカルタの政治家たちは「トランスミグラシ」(外島移民政策)を進めている。これによって、ジャワ島以外の島々では大量に移住してきたジャワ人たちと現地住民の間に様々な摩擦が生まれてきている。

 また、太古より自然調和型の焼畑農業が行われてきたカリマンタンスマトラにおいて、その経験知を持ち合わせないジャワ人たちが我流で焼畑を行った結果、大規模な森林破壊が進んでいるといった生態系破壊の問題もよく指摘されるところだ。

 日本のODAはジャワの農民を救済するために農作業の機械化や米の高品質化などを推進してきたのだが、この機械化によってもともと労働集約型だったジャワの農業は多くの労働力を必要としなくなった上に、機械化に伴うコストを抑えるために労働者の数を削減せねばならなくなり、結果的に失職した農民がいるという指摘もしばしば耳にする。

 もちろん、物事はそう一口で言い切れるほど単純ではなかろうが、だからこそODAはもっと慎重に進めねばならないと思うのである。

 世界のそれぞれの地域にはそこに適した<人>と<自然>との<関係>があるが、人が自らを取り巻く環界あるいは他者との間に築き上げていく<関係>のありようこそが<文化>という語の本質であると僕は理解している。

 「技術」はその<文化>の文脈に沿って<人>が<自然>に働きかける際の手段として存在するものなので、そのことを忘れて「先進国の進んだ技術を途上国に移転すれば、途上国の問題は解決する」というふうに単純に考えてはならない。


★1月5日

 1週間の旅を終え、ジャカルタに戻らなければならない。10時頃に一昨日、昨日と一緒に温泉に通ったベモの運転手が僕を飛行場に送るためにわざわざトゥレフのカンプンからホテルまで来てくれた。彼らも少々名残惜しげだが、僕の方もマルクの美しい海に未練を残してジャカルタの喧騒の中に帰って行くのは辛い。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【トゥレフ近郊の山中にある川湯温泉にて】


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