海旅

拓海広志「アンボン旅日記(2)」

これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★12月31日 朝、早起きをしてアンボン市内の新旧二つの市場をのぞいてみたが、断然面白かったのは魚市場が…

拓海広志「アンボン旅日記(1)」

これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。 * * * * * * * * ★12月30日 インドネシアを旅していて一番面白いのは東の方である。それは具体的に言うとスラウェシからヌ…

拓海広志「国崎にて」

国崎の浜から急傾斜の細い坂道を少し登ったところに、古くから近在の海女たちの信仰を集めてきた海士潜女神社がある。海士とは男アマを、また潜女(かずきめ)とは海女(女アマ)を指す言葉だが、最近は伊勢志摩地方でも「潜る」ことを「潜く(かずく)」と…

拓海広志「兵庫散歩」

それが港町の特徴なのか、神戸という町には外部から様々な人や文化を受け入れ、それらがモザイクのように入り混じった状態を良しとする気風があった。だから一昔前には「駆け落ちするなら神戸へ行け」と言われたように、開放的な雰囲気を持つ町になったのだ…

拓海広志「ボンダイ・ビーチ」

若い頃に故郷を離れて暮らした町は、人生において大きな意味を持つように思う。僕の場合も20歳代前半に滞在したシドニーと20歳代後半に滞在したジャカルタには特別な思い入れがあり、ちょっと気取った言い方をすると「第二の故郷」のような感覚を持って…

拓海広志「旅行けば・・・」

僕は中学生のときに歴史学や民族学に興味を持ち、史跡や寺社などを訪ねて近畿各地を旅するようになったのですが、高校生になるとその行動半径は拡がり、気がついたら20歳になるまでに日本の全都道府県を巡っていました。当時の旅は鉄道やバス、船を乗り継…

拓海広志「多様性を容れる文化」

6年ほど前に僕はシンガポールのラジオ番組に4話連続で出演させていただいたことがあるのですが、そのときに収録された四方山話の内容をここに再現・紹介させていただきます。 * * * * * * 志田和子:皆さん、おはようございます。4回連続で拓海広志…

拓海広志「石貨を運ぶカヌー航海のはなし」

6年ほど前に僕はシンガポールのラジオ番組に4話連続で出演させていただいたことがあるのですが、そのときに収録された四方山話の内容をここに再現・紹介させていただきます。 * * * * * * 志田和子:皆さん、こんにちは。シンガポールにいると、回り…

拓海広志「ハキリアリの文化」

何年か前のことですが、僕はパナマの林でハキリアリの群れが木の葉を運んでいる光景に出くわしたことがあります。ハキリアリというのは、ひたすら植物の葉を切り取っては巣に運び込むことで知られる変わったアリなのですが、彼らがそんなことをするのは巣の…

拓海広志「パナマからの便り」 

今回は、以前僕が子供向けのメールマガジンを発行していたときに、旅先のパナマから発信したメールを転載させていただこうと思います。 * * * * * * * 皆さん、こんにちは。「さすらいのジャッキー」こと、拓海広志です。今僕がいるパナマは北米大陸…

拓海広志「日本丸航海記(10)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(9)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(8)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(7)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(6)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(5)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(4)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(3)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(2)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「日本丸航海記(1)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心…

拓海広志「北斗丸航海記(4)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「北斗丸航海記(3)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「北斗丸航海記(2)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「北斗丸航海記(1)」

これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々…

拓海広志「真鍋島にて・・・」

これは今から6年ほど前に書いた小文です。しかし、この6年の間に日本の社会状況も変わってきたようで、最近は「悪平等」論議よりも、むしろ「格差」論議の方が重要になってきましたね。 * * * * * 日本映画の中にはスポーツを題材にした青春物の佳作…

拓海広志「『帰らなかった日本兵』を読む」

インドネシア・アンボン島の東にトゥレフという小さな港町があります。漁港近くの村に住む人々は村を流れる濁った川で食器や衣類を洗ったり、水浴をしたりしているのですが、この川にはびっくりするほどたくさんの大ウナギが泳いでいます。村人たちは大ウナ…