拓海広志「路地考」
「路地」という言葉には不思議な響きがある。大きな町の中で、そこだけ別個の時間が流れている空隙−僕は路地に対してそんなイメージを抱いている。
僕は明石海峡を望む西神戸の海辺の町・舞子で育ったので、当然のことながら、そこが自分自身の原風景として心に残っている。しかし、父方の祖父母が住んでいたのは神戸の長田で、子どもの頃は長田へもよく遊びに行っていたため、そこもまた自分の原風景の一部となっている。
長田の町は震災で焼け野原になってしまったが、かつての長田には長屋のような集合住宅や小規模の市場、ゴム工場、靴工場がひしめき合っていて、その隙間を縫うように幾つもの路地道があった。路地は子どもたちの日常的な通路であり、遊び場であり、探検の場でもあって、僕たちは路地伝いに結構な遠出をしたりしてよく遊んでいた。
一方、当時の長田の路地は、大人たちにとっても生活空間の一部だった。銭湯帰りの親父さんが路地に置いた椅子に座ってタバコをふかしながら夕涼みをしていたり、おかみさんたちが井戸端会議をしていたり、雨かなと思って上を見上げると長屋の二階の窓から外に突き出された竿に洗濯物が干されていたりと、路地は様々な形で利用されていた。
自分の中にこうした原風景があるせいか、僕は路地空間に対してとても思い入れを持っていて、やがて日本や世界の各地を旅するようになると、訪ねた町ではいつも好んで路地に迷い込むようになった。路地が独特の雰囲気を持つことは、どこの国のどんな町へ行っても共通している。ただ、計画的に新たに造られた都市にはこうした路地がないケースも多く、そういうところではちょっと味気ない思いにさせられる。
今から20数年前のことだが、僕はバックパッカーとしてインドネシアの各地を旅したことがある。その際に、ちょっとした縁からジャカルタのスラム街の家に少し滞在する機会を得た。それは、悪臭の漂う濁った川の上に突き出した小屋のような家屋で、そのスラム街の中に張り巡らされた路地は印象が強烈だったため、今でも鮮明に記憶に残っている。
スラム街の路地にあったものは、ドブ川の悪臭と汗と黴の臭い、砂埃と動物の死体、虚ろな目をして座り込む老人、事故か病気で手足を失った中年男、少し頭のいかれた若い男、桶に水を注いで赤ん坊にマンディ(水浴)をさせる母親、様々な食べ物や飲み物を担いで売り歩く物売り、そんな大人たちの隙間を縫うように走り回る子どもたちの屈託のない笑顔。。。
しかし、何故か僕はジャカルタのスラム街の路地に対して、一種のデジャヴのような感覚を抱いてしまったのである。それは単にその風景が自分の中の原風景と重なり合ったというようなことではなく、恐らく「世界」に対する自分の位置や姿勢が、「大都市」とその足元を錯綜する「路地」の関係にどこか似ていると思えたことによるものだったような気がする。
それから20余年。路地裏の飲み屋を好む癖のある僕は、今でも「世界」に対するその場所から抜け出せていないのだろうか?(笑)
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