2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

拓海広志「キラキラの国の再生力(3)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 今年(1993年)の6月に神戸の舞子と湘南の藤沢で「アジア夢幻」と題する座談会を催すために、ジャカルタから日本へ飛んだ。特に神戸の会合には冒険家のジョージ・ミーガンさんや民族学…

拓海広志「キラキラの国の再生力(2)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 昨年ジャカルタに居を移してから、早くも1年半が過ぎようとしている。週末の僕は、この街の喧騒と澱んだ空気、そして東京、大阪、香港、シンガポール、ソウル、台北、上海、ニューヨー…

拓海広志「キラキラの国の再生力(1)」

この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。 * * * * * * 夕暮れ時に家の近所を散歩する。縁台に腰掛けて夕涼みをしている人々と、その足下でうずくまる鶏たち。そして家々の間に所狭しとばかりに干された洗濯物の間を縫うようにして薄暗い路地…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(3)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年8月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1993年です。 * * * * * * ジャカルタ暮らしもそろそろ1年半になってくると、体内の水分もインドネシアのそれと入れ替わり、皮…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(2)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年7月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1995年です。 * * * * * * 友人と一緒にフィリピンへ遊びに行ってきたKさんから聞いたところでは、彼女の友人はマニラで出会っ…

拓海広志「キラキラの国のシティライフ(1)」

この文章は『月刊オルタ』の1996年6月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1994年です。 * * * * * * ある日曜日の夕方、友人J君の妹から「Jの様子がおかしいの。今すぐ助けに来て!」という電話が掛か…