拓海広志「キラキラの国の四方海話」

 これは1996年12月に奈良県十津川村で催されたアルバトロス・クラブのシンポジウム「大いに語ろう! インドネシア」からの抜粋です。このシンポジウムでは僕の他に、国際交流基金小川忠さん、那智山青岸渡寺高木亮英さん、料理研究家坂本廣子さん、龍谷大学生(当時)の嶋田ミカさん、ヨットマンの高橋素晴さんが、それぞれにとってのインドネシアを語りました。


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 こんにちは、拓海広志です。皆さんが真面目なテーマでお話されているのに、自分だけ「何を話しても許される」といった感じの緩いタイトルにしてしまいました。ごめんなさい(笑)。


 僕は1992年から今年(1996年)までの4年強をジャカルタで暮らしたのですが、自分がインドネシアについて書く際にはインドネシアのことを「キラキラの国」と称しています。「キラキラ」というのはインドネシア語で「アバウト」すなわち「曖昧さ」を意味する語です。それはあの国で見る太陽や星の輝きをも表しているようで、僕の大好きな言葉なんです。


 「曖昧さ」を社会システムの中でどのように許容するのかということは、非常に重要な問題だと思います。通説では、インドネシアには250以上もの民族がいるとされています。このような世界でそれぞれの人が自分の主張をまともにぶつけ合うと大きな摩擦が生じかねませんが、そうしたことを融和するための方便の一つとして「キラキラ」なるものがあるとも考えられます。


 僕はインドネシアでは様々な人とお付き合いをしました。ビジネスで関係の出来た人たち。僕がこの国でバックパッカーをしていた学生時代に知り合った人たち。海や音楽、スポーツ、旅を通してできた数多くの仲間たち。それに加えて古くからインドネシアに住んでいる日本人の方々にも大変可愛がっていただきました。


 僕が親しくお付き合いをしている人の中にマジック、つまり呪術を使う人が何人かいました。ジャワではこうしたマジックを用いて祈祷や治療を行う人のことをドゥクンと呼びます。インドネシアにはイスラム教の他にキリスト教ヒンドゥー教などの宗教が見られますが、それらの信仰を一皮剥ぐとアニミズム的な土俗信仰が顔を出してきます。ドゥクンはそうしたアニミズム信仰の上にあるもので、彼らの多くは日常的にはイスラム教徒やキリスト教徒を名乗りながら、実際にはその教えと矛盾する神秘的な行為を行っています。


 庶民が日々の暮らしの中で何らかの問題や悩みを抱えたとき、また幾つかの選択肢の中から適切な回答を見いだせないときなどにドゥクンのところへ足を運ぶというのはよくあることで、スハルト大統領なども自分の周囲に優秀なドゥクンを数人抱えていて、重大な政治決断を下すにあたって彼らの助言を参考にしていることはよく知られています。以前ボゴールでAPECが開催されたときにもスハルトはドゥクンたちに雨除けのまじないをさせ、その結果雨季であったにもかかわらずAPEC期間中は全く雨が降らなかったという話もあります。


 タンジュン・プリオク港近くのスンタールという地区の路地裏に、僕の友人のドゥクンが住んでいます。彼は日中は外で仕事をしており、夕方に帰宅するとマンディ(水浴び)をして身を清めた後、霊を降ろして人々の相談に乗ります。彼の狭い家には中年の女性を中心に実に多くの人が訪ねてきて、神経痛が治らないとか、商売がうまくいかないとか、夫との関係がうまくいかないなどといった様々な悩みを、霊が憑依してトランス状態にあるドゥクンに訴えます。ドゥクンの方は霊の言葉で相談者に様々な助言をしていくのですが、そんな最中でも奥の方から彼の妻が「チョッとあんた」なんて呼ぶと、すっと素の状態に戻って「何や?」と応えたりもします(笑)。それはかなり滑稽なことなのですが、その場に集っている人々はそのことをあまり不自然には感じていないようでした。


 そこでは「何でそこまで喋んの?」と言いたくなるほどペラペラと、人々は自分の秘密の悩みをドゥクンに打ち明けていきます。そしてドゥクンと様々な会話を交わした後は、自分なりに得心したり、安心して和やかな気持ちになったりするようです。そういう光景を見ていると、このドゥクンは中上健次の小説に出てくるオリュウノオバという路地の巫女的な人物と似た存在なのではないかという気がしてきます。もしかしたらドゥクンのところに集まってくる人たちは彼が真の霊力によって自分の問題を解決してくれるとは思っていないのかも知れず、彼は路地という地域社会に根付いた一種のカウンセラーのような存在のようにも見えます。


 僕にも神戸の垂水や長田の路地裏というのが幼少期の原体験の一つとしてあるのですが、そこにはそうした無意識のカウンセラーがいたように思います。子どもたちも自分の両親には決して話せないことを、そのおばちゃんにだけは素直に何でも話せてしまうというような人ですね。今の日本社会ではこうした存在を見かけることが少なくなっていますが、インドネシアではまだたくさん見かけます。ドゥクンについても呪術師、呪医といった面だけではなく、地域社会における無意識のカウンセラーとしての側面をちゃんと見ておきたいと思います。


 ドゥクンは正式な医者ではないのですが、伝統療法の知識を持っているドゥクンであればジャムゥと呼ばれる民間薬を用いて医療行為を行いますし、一種の催眠術を使って神経症などの治療を行うこともあります。こうしたことはかつて日本でも山伏がやっていましたし、民間療法についても「ヤブ医者」という言葉の中に名残があります。「ヤブ」には通常「藪」という字を当てますが、元来は巫覡の「巫」という字を使って「野巫」と書いたと言います。「藪医者」を「野巫医者」と書き改めてみると、その本来の意味や存在感が伝わってきますが、それはドゥクンとも通ずるところがあるのではないでしょうか?


 それにしてもインドネシア人というのは、ジャカルタのオフィスでスーツを着て働いているエリート・ビジネスマンのような人であっても、スーツを脱ぐとアニミズム的な感性を強く持っており、ビジネス上でのことでも平気でドゥクンに相談したりしますので、そのギャップはとても面白いですね。日本企業の駐在員の中にもそういうことを仕事の中で体験している人はいますが、なかなか東京の本社にはそのまま報告できないようなこともあります。


 マジックの中に「ケトック・マジック」なるものがあります。これは東部ジャワのブリタールに伝わる秘術でして、何をするのかというと要は車の修理屋なんです。マジックで人間の怪我や病気が治るというのは、「病は気から」とも言われるように人間の精神と身体の関係性のことを考えるとある程度は理解できるのですが、マジックの力で壊れた車を直してしまうというのは、チョッと僕らの理解を越えています。ところが、インドネシア人の中には「ケトック・マジック」を信じている人がかなり多いのです。


 僕は日本の某建機メーカーがインドネシアに作った合弁工場の仕事に携わったことがあるのですが、ある時日本から送られてきたCKDパーツがその輸送途上においてダメージを受けました。通常ならばサーベイヤーを入れてダメージの程度を調べ、それに応じて保険求償を行う一方で損傷個所の修理もしくは代替品入手の手配を行うのですが、何故かこの合弁工場で働くジャワ人の調達部長はそれらを一切行いませんでした。で、どうしたかと言うと、密かに「ケトック・マジック」に運び込んで修理してしまったのです。これはなかなか、日本本社の人たちには報告できない事件ですね(笑)。


 少し話を変えましょう。先ほど坂本廣子さんから料理の話がありましたが、インドネシアの料理にはかなりバリエーションがあって、「インドネシア料理」と一言で呼ぶのは少し無理があるように思います。東インドネシアのマルク地方はかつて香料諸島と呼ばれていましたが、チェンケ(クローブ)もパラ(ニクズク)も昔はこの地方でしか採れなかったため、大航海時代にはヨーロッパの列強がここに殺到した歴史を持っています。またさらに歴史をさかのぼると、香料諸島は2世紀頃からジャワ、スマトラ経由で中国への香料輸出を行っています。


 そんな風に香料の産地として有名なインドネシアなのですが、インドネシア人たち自身は香料を使って調理をするということはあまりしませんでした。ところが、後にインドで洗練された香料料理の文化がマレー半島を経てスマトラ地方に入ってきたために、スマトラのパダンやアチェの料理はスパイシーなものになったのだと思います。しかし、料理に香料を用いる度合いはジャワ、バリと東に進むにつれて少なくなり、マルクやイリアンジャヤなどのサゴ食圏に至ると料理に香料はほとんど使わなくなってきます。


 料理一つをとってみても非常に多様性のあるインドネシアだけに、「インドネシア人」という概念・意識の共有度についても微妙な点があります。インドネシアでは各民族ごとにジャワ人、スンダ人、バリ人、ミナンカバウ人、ブギス人、アチェ人などといった意識は強く見られますが、インドネシア人という意識は必ずしも強くありません。1920年代にオランダからの独立を目指す若者たちが集まり、当時は東インドと呼ばれていた島々を「インドネシア」と称し、ムラユ語を「インドネシア語」としてこの島々の共通言語にしようと決めたときに、「インドネシア人」という民族概念が誕生しました。しかし、インドネシアが実際に政治的な独立を獲得したのは第二次世界大戦後に日本、次いでオランダが撤退してからのことですから、この新しい意識が国民に十分浸透していないとしてもそれは仕方のないことでしょう。


 こうした中でインドネシア政府は「インドネシア」意識を国民全体に浸透させるべく様々な努力をしてきました。我々が「インドネシア人」「インドネシア語」「インドネシア料理」などという言葉を使う際には、こうした背景を知っておく必要がありますし、政治的な思惑によって作られた虚像としての「インドネシア」に惑わされないようにせねばなりません。そうしたことは、ジャワ島を一歩出て、ジャワ人たちが外島と呼ぶ他の島々を旅しながらインドネシア各地の実像を見て回ると少しずつわかってきます。


 しかしながら、ジャワ人の政治エリートたちの統治術は非常に巧みですし、ジャワの貧農層は政府が進める「トランスミグラシ(移住政策)」によってインドネシア各地に移住しているため、ジャワ人の政治指導者たちによってジャカルタで作られた「汎インドネシア」というイメージは徐々にインドネシア全土に浸透してきているようにも思えます。これは料理についても言えることでして、ジャカルタで洗練されたメニューがメディアの力なども借りながらインドネシア各地に普及していき、それが「インドネシア料理」として認知されていくといった例もあるようです。


 さて、インドネシア多民族国家であることはわかっていただけたと思いますが、民族によってその性格とか行動様式が異なるという点については、大方の日本人の想像の及ばぬところだと思います。先ほどの嶋田ミカさんのお話にもあったように、ジャワ人というのは概して温厚で人間関係を円く治めることの巧みな人たちですが、近年のトランスミグラシによるものは別として、元々はそれほど移動性向の強い民族ではありません。一方、パダン料理で知られるミナンカバウ人には商才のある人が多いのですが、出稼ぎをしながら遠方の地まで拡散していく傾向があり、ブギス、マカッサル、ブトンなどの海洋民族と同様に移動性向の強い民族だと言えます。また、移動性性向ということで言うと、漂海民のバジャウのように移動それ自体が生活であるといった人々もいます。


 こうした民族の違いというものが今後どうなっていくのかは興味のあるところですが、一つ言えることはジャカルタ、スラバヤ、スマラン、バンドン、メダン、デンパサール、ウジュンパンダン(マカッサル)といった大きな町の都市化、特にジャカルタコスモポリタン化は急速に進んでおり、その結果として首都ジャカルタと東京の間の距離はジャカルタインドネシア各地間の距離よりも小さくなってきたような気がします。ですから、皆さんが東京からジャカルタを訪ねたときに目にするものは、インドネシア各地、特に都市部以外のところの実像とはかけ離れているかも知れません。


 それでは、そうした地方というものも今後はジャカルタに巻き込まれていくのでしょうか? 僕は大きな流れとしてはそれは避けがたいと思っていますが、それが日本の場合のように強固な形で進んでいくとも思いません。現在のインドネシアには大きく分けて二つの世界があります。一つはジャカルタなどの大都市及びそこと経済的に深く結びついた世界。もう一つは経済的にかなり閉じていて、都市と繋がっていない世界です。先ほどの嶋田さんのお話にあったパサールというのは微妙な存在でして、それが閉じた世界の中心であるという場合と、そこから都市と繋がり外界に向かって開かれていくという場合の両方があるように思います。


 そこで外部からインドネシアの社会を眺める者が不用意に「貧富の差」なんてことを言う前に、その差が社会的に問題となりうる社会であるのか、あるいはそんな差には本質的な意味はないと見なしうる社会なのかということを、一つ一つ丁寧に見ていく必要があるように思います。インドネシアの場合は後者に属する社会もまだ残っており、そこには近代的な市場経済のもたらす豊かさとは異なる豊かさも存在するからです。


 それでは「四方海話」の風呂敷をもう少し拡げるために、これからフリーディスカッションに入らせていただきたいと思います。ご質問、ご意見をいただけますでしょうか?


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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