拓海広志「アンボン旅日記(3)」

 これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。


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★1月1日

 朝一番、ベチャ(輪タク)に乗って市場へ行く。サゴ食圏のマルクだけにサゴ澱粉やサゴから作った菓子類が多く目についた。

 魚市場では体長80センチほどのキハダが数匹、小型のアオウミガメの肉、卵、内臓、カツオの燻製、アジ、フエダイなどが売られていた。

 塩を売っているのを見て、どこから来るのかと尋ねたところ、「マドゥラ、東ジャワからだ」という答えが返ってきた(マドゥラ、東ジャワは南スラウェシと共に塩田製塩で有名)。

 正月のため食堂はほとんど閉店している。僕は唯一開いていた小さな食堂でアジの塩焼きとナシ・チャンプル(ご飯に様々なおかずをのせた、ぶっかけ飯)を食べ、デザートに氷菓子のエス・チャンプル・イジョを楽しんだ。どうも今回の旅は朝から晩までアジの塩焼きばかり食べている感じだが、これがうまいのだから文句はない。

 宿に戻ると老夫婦の息子さんが車の用意をして僕を待ってくれており、「今日は日曜日だから、ナウルの連中が教会へ出かける前に村へ行った方がいいんだ」と言った。マルクに住む多くの人々と同様にナウル人もその大半がクリスチャンなのである。

 車は幾つかの漁村を通り過ぎながら海岸沿いの道を東へ向かう。漁村ではコレコレと呼ばれる全長約5メートルほどのダブルアウトリガーカヌーから体長80センチほどのキハダが水揚げされていたが、これは全部一本釣りだ。セラム島はあまり漁業文化の豊かなところではないとされているが、それでもこの程度のことはやるのである!

 車はやがてボナラ村を通り抜け、ロウフア村に着いた。ロウフアは小さな漁村で、浜にはコレコレが10艇ほどと幾つかのブブ(筌)も置かれていた。「ナウル人=山の民」などと簡単に決めつけてしまうのは短絡的思考であることをまず思い知らされる。

 大人も子供も僕たちとは少し距離をとり、用心深そうに気配をうかがっている。ナウル男のトレードマークとも言える赤頭巾をかぶった男たちは無愛想な表情でこちらを見ていたが、やがて宿の息子さんが顔見知りの男を見つけて話し掛けたことによって村の雰囲気が和み、僕たちは1軒の家に招き入れられた。

 ナウルの人々はインドネシア語が堪能ではない上に人見知りをするため無口なのだが、それでも一生懸命にいろいろなものを出してきて僕たちに見せてくれた。たとえば山の中で猟をするときに使う手槍や弓矢、あるいはバランと呼ばれる剣と、サラワクと呼ばれる細長い盾、また初潮を迎えた少女が「結婚できる女性になった」ことを示すために頭にかぶる飾り物、ビンロウの実を入れておくための皮袋などである。

 やがて宿の息子さんが近所の雑貨屋でソピと称するニッパ椰子の樹液から作った蒸留酒を買ってきてくれた。椰子の発酵酒は少し古くなると酸味がきつくなりすぎていただけないが、新しいものは実に芳醇な味わいで僕は大好きだ。しかし、この蒸留酒の方はアルコール分が強すぎて悪酔いしそうな気がしたので、少し口をつけただけで遠慮させていただいた。

 ロウフア村からマソヒの町に戻り、僕は宿のテラスで秋道智彌さんの新著『クジラとヒトの民族誌』を読むことにした。太平洋の全域に拡散したモンゴロイドたちがそれぞれの地域の自然環境に適応しながら鯨たちとどのように関わってきたのかということを、「人と鯨」、「自然と文化」の多様な関係性の物語として記述した本書はとても面白かった。

 ところで秋道さんの著作中でも紹介されているが、ヌサテンガラのフローレス島の東に浮かぶレンバタ島では毎年6〜8月頃に回遊してくるマッコウ鯨を狙って捕鯨が行われている。

 それは手漕ぎ舟と手槍を用いた伝統的な突き取り漁であり、かつてFAO(国連食糧農業機関)は彼らの捕鯨の効率性と安全性を高めるために近代的な捕鯨船を贈ったのだが、1年間だけそれを試用したレンバタの人々は「我々の捕鯨は自家消費のためのものであり、市場で売るためのものではない。近代的な捕鯨船を使うと船の燃料代や維持費を稼ぐために市場を見つけねばならなくなり、それは鯨の乱獲につながる」と判断し、その船を使うのをやめてしまったという。

 アジア太平洋の海でひたすら魚介類の乱獲を続けてきた日本人や台湾人、韓国人にとってかなり耳の痛い話だろう。

 神戸の舞子で生まれ育った僕は、地先の明石海峡でとれる季節ごとの魚を食べていればそれで十分なのだが、地先漁で生計を立てている漁民たちには本来自分の首を締めるだけの乱獲などできっこない。もしかしたらレンバタの人々には「地先の鯨」という意識があるのかも知れない。

 話はそれるが、先だってマナドのサム・ラチュランギ大学で水産経済学の研究をされているエディ・マンチョロさんがジャカルタに来られた。三ヶ月ほど鹿児島大学で研究するために日本へ向かうのだという。その際に彼から東インドネシア各地で行われているサシについて教えてもらった。

 サシとは海産物やココ椰子、サゴ椰子、カンラン科の木などを採取できる期間を限定することによって海と森林の資源管理を行うというアダット(慣習法)の一つだが、昨今特にアンボン沖に浮かぶハルク島のサシが環境NGOなどの注目を集めている。

 先進諸国は今ごろになって資源管理なんてことを言い始めているが、インドネシアにはそういうものが生活の中に溶け込んだ形でまだたくさん残っているのである。こうした点はむしろ先進国を名乗る国々の方が謙虚な気持ちで教わらねばならぬことだろう。

 夕方、僕は再び市場へ行き、ワルンでアジの塩焼きとドゥリアンを食べながらオン・ザ・ロックでビールを飲むことにした。ドゥリアンとアルコール類は食べ合わせが悪いのだが、僕は時々ビールを飲みながらドゥリアンを食べている。今のところ特に問題は起こっていない。

 宿に戻ってそろそろ休もうかなと思っていた頃、突然30人ほどの若者たちがギターや太鼓などの鳴り物を打ち鳴らし、陽気に歌い踊りながら宿に押しかけてきた。新年を祝う寿歌を歌って町内の各家を回っているらしい。

 寝室から出てきた女将さんも彼らと一緒に踊りながら、掛け合いで歌を歌う。素朴だが実に楽しい雰囲気である。若者たちは15分間ほど踊り歌ったあと、女将さんから祝儀を受け取ると礼儀正しく礼を言って立ち去り、隣の家に向かって行ったが、静かな元日の夜のちょっとしたハプニングだった。


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【コレコレ】



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