拓海広志「初めてのヤップ(9)」

 アルバトロス・クラブが発足してからまだ間もない1989年の初夏に、僕は岡山県高梁市の医師・野村勲さん(岡山ヤップ会)宅で、ミクロネシア連邦ヤップ州のヤップ島から来日中だったベルナルド・ガアヤンさん、ジョン・タマグヨロンさんと出会った。彼らはヤップに伝わるシングルアウトリガーカヌーの建造術と航海術を再現したいという思いから「ペサウ」という名のカヌーを建造し、1986年にヤップ〜小笠原父島間の航海を成功させた人たちだ。


 学生時代から太平洋のカヌー建造・航海術に興味を持っていた僕と彼らの話は弾み、二人と別れた後も僕はカヌーについての情報収集と研究を続けた。そして、翌1990年の6月末、僕は彼らと再会するためにヤップを訪問した。これは極私的な旅だったが、結果的にはこの訪問を契機として「アルバトロスプロジェクト(ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト)」が発足へ向けて動き出すこととなる。このときの旅の話を、当時の日記からの抜粋で紹介したい。


  *  *  *  *  *  *  *


※7月1日

 今朝は日本から画家の大内青琥さんがヤップにやって来る。僕と入れ替わりだ。大内さんの乗ったグアムからの飛行機はヤップに立ち寄った後、パラオへ向かい、再びヤップ経由でグアムに戻る。その帰りの便で僕はヤップを発つことにしていた。僕は朝食を終えると早々にチェックアウトを済ませ(1泊朝食付きで25ドルだった)、ジョー・タマグと共に空港へ向かうことにした。

 車の中で、僕は昨夜の乱闘の話をした。ジョーは驚いたが、僕が暴漢の風体を説明すると、「あー、あいつね。あいつは頭がおかしいんだよ・・・」と言った。

 ジョーによると、男はかつて米国の大学を卒業したこともある」エリートだったそうである。しかし、帰国後に故郷の伝統的な生活や慣習と、米国で修得した学問や思想との間でうまくバランスを取ることができず、精神分裂病となったらしい。このようなケースは太平洋諸島の新興国のエリートに比較的多く見られ、自殺者の増加と合わせて大きな社会問題になっている。

 それからジョーはヤップの観光開発について語った。「今ね、マープにね、大きなリゾート地を作ろうとしている人たちがいるのよ。ただね、今のヤップにあまり多くの外国人が来ると、ヤップの自然や文化を維持していくのが難しいかも知れない。こういう話はゆっくり進めたいといけないね」。

 やがて僕らが空港に到着すると、程なく飛行機が着陸した。飛行機のタラップを大内さんが降りてくるのが見える。

「大内さん、こんにちは」

「やあ、どうも!」

 実は大内青琥さんと会うのはこれが初めてだったが、これまでに何度も手紙や電話でやり取りをしていたので、お互いに初対面という気がしない。大内さんは「あなたのフライトまでまだ2時間ほどあるでしょう。ジョーさんのホテルでビールでも飲みながら話しましょう」と言った。

 こうしてホテルに戻ると、僕らは2時間という短い時間を惜しむように、色々な話をした。大内さんはガアヤンがやった「ぺサウ」の航海を振り返り、「カヌーの航海自体も重要なテーマだけど、カヌーの建造や航海を通して色々なものが見えてくるだろう。太平洋の文化とか、人間のあり方の普遍的というか根源的な部分がね・・・。本当はそれらが一番大切なんで、カヌーは題材に過ぎないんだよね」と語った。

 この考え方は僕と全く同じで、僕は大内さんの言葉に共感を覚えた。そして、僕は大内さんがその著書に記されている「いつかヤップからパラオまでをカヌーで航海し、石貨を切り出してカヌーに積み込み、またヤップまで戻って来たい。昔のままのやり方で」という夢について、「これは僕もやってみたいですね」と言った。

「いいですね。やりましょう!」

「ええ、やりましょう!」

 と、2人が盛り上がったところに、傍で聞いていたジョーおじさんが冷や水を浴びせ掛ける。「無理だよ。ガアヤンの「ぺサウ」で小笠原へ行くだけでも大変だったんだ。もうヤップにはカヌーで遠洋航海を出来る人はいないよ」。

 僕と大内さんはそれを聞いて苦笑したが、飛行機の出発時刻が迫っていたので、僕は再びジョーの車で空港へ向かうことにした。大内さんも空港まで見送りに来てくださる。僅か1週間の滞在だったのに、ヤップとの別れが故郷との別れのように感じられて辛い。

 僕が感傷にふけりかけていると、「ヘイ、ヒロシ!」と、格別陽気な男が声を掛けてきた。昨日ダイビングショップで一緒にビールを飲んだハワイ島コナのレストラン経営者マークだ。「君もこの飛行機かい? グアムまでの話し相手が出来て良かったぜ。ハハハ!」。

 僕は大内さんとジョーに別れを告げると、陽気なマークと共に飛行機に乗り込んだ。こうして、僕の初めての「里帰り」は終わった・・・。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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