この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。
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翌朝まだ日の出前に起き出し、皆でアグン山頂を目指す。眼下は雲海に覆われているが、北西の方にあるアバン山(標高2,152メートル)とバトゥル山(標高1,717メートル。火口湖であるバトゥル湖畔の東側にはバリ先住民であるバリ・アガ族が住むトゥルニャン村がある)だけが頭を雲の上に出しており、朝日に照らし出されて美しく輝いていた。ようやく山頂にたどり着いた僕たちは再び神々に向かって祈った。僕は特定の宗教には帰依していないが、今こうしてアグン山の頂でバリ人のスバム君たちと共に祈ることには何ら違和感をおぼえない。ここでの「祈り」は自らの魂を凝視しながら、その果てに魂を遊離・飛翔させることを目指すものだ。僕は幼い頃に「遊離魂」の状態に陥ることが何度かあり、以前はそのことが少し不安だったのだが、最近になってようやく「遊離魂」とは魂が自然と溶け合おうとして脱我を試みているのだということに気がついた(これについては山折哲雄著『日本人の心情』、河合隼雄著『明恵 夢を生きる』、白洲正子著『明恵上人』などから示唆を受けた点もある)。そうした自然な心の働きを大切にしながら僕は祈りたい。
山頂でひと時を過ごした一行はインスタント・ヌードルを食べて腹ごしらえをしてから、下山することにした。昨日の疲れがたまったのか、サリタさんはもう膝がガクガクになってしまい、ふらついたり四つん這いになったりと大変な苦労をしながら下りていく。後半になっていよいよ歩く気力もなくなり、見かねたスバム君が肩を貸してようやくブサキ寺院までたどり着いた。一行は手近なワルン(屋台店)に飛び込み、ロテック(ガドガド(数種類の野菜を茹でたものに唐辛子入りのピーナッツ・ソースを掛けたもの)にロントン(もち米をバナナの葉で包み蒸したもの)を付け合せたもの)とアヤム・ゴレン(鶏の唐揚げ)をかっこんだ後、ココナッツ・ミルクのたっぷり入ったエス・チャンプルを食べて、ようやく人心地つけることができた。
ブサキ寺院の駐車場に停めておいた車に乗ってサヌールのサリタ家に戻った僕たちはマンディ(水浴び)の後、夕食をご馳走になった。イスラム教徒の多いジャワではお目にかかることのない豚肉の料理だ。ところで、サリタさんと僕の共通の友人であるボブ・ホブマンさんが進めている「Putra Tagaroa Expedition - In The Wake of Ancestors」という航海計画が現在難航しており、夕食時の話題はそのことになった。ボブさんはかつて「サリマノック」というダブルアウトリガーカヌーで東インドネシアからマダガスカルまでの航海を成し遂げた冒険家だが、今回はサンギールを起点にニューギニア島北岸、ソロモン諸島、サンタクルーズ島を経てフィジーへ至る航海を計画している。ボブさんはマナド沖のシラデン島でカヌー作りを行っていたのだが、現在は資金集めのためにダーウィンに滞在しているそうだ。僕は年末にはシラデン島で彼と再会する約束をしているだが、それまでに資金調達の目処がつくことを祈りたい。
その夜はサリタ家ではなく、スバム君の家に泊めてもらうことになった。彼の家は昔ながらの雰囲気を色濃く残したサヌールのデサ(村)にあるのだが、その広大な敷地内には幾棟もの家屋が立ち並び、さらにはシワ、ブラフマ、ヴィスヌの三神と一族の祖先神を祀った寺や大きな集会所まであるので驚いてしまった。よくよく聞いてみると、彼の一族はクシャトリア(王族・貴族・戦士)階級に属するのだそうで、バリではかなり由緒ある家柄らしい(ちなみに、スバム君の名前の中にある「プトラ」というのはインドネシア語では「男の子」を意味する丁寧な表現だが、ジャワ古語では「王子」を意味する)。スバム家の庭で彼の両親も交えてビールを飲みながら談笑し、僕が「世が世ならば、僕は君とは対等に付き合ってもらえないんだね」と冗談を言うと、壁を這っていたヤモリが「クククククククゥゥゥ・・・」と鳴いた。それを聞いたスバム君は「ヤモリもヒロシに同意しているよ」と言って笑ったが、バリではヤモリは神の使いとされており、人々が会話をしている時にヤモリが鳴き声をあげると、それはその時に発言していた人の意見を正しいとする「天の声」だと言われる。
バリは世界でも稀に見る物質的にも精神文化的にも豊かで、自己充足的に成り立ってきた島だ。ヒンドゥー教に由来するカースト制度によってバリ語には複雑な丁寧語や尊敬語が発達したと言われているが、バリの豊かさは島の人々の日常的な人間関係をフランクで大らかなものにしており、インドのカースト制度に見られるような厳格さや不可触賤民に対する激しい差別(野間宏・沖浦和光著『アジアの聖と賤』などを参照)はないようだ。ヒンドゥー文化、ジャワ文化、ヨーロッパ文化、そして近年ではオーストラリアやアメリカ、日本などから訪れる観光客がもたらした文化がバリに様々な影響を与えてきたが、外来文化を取り込んで自己流に再生させてしまうバリ人の能力には見事なものがある。海外からどれだけ多くの観光客が訪れても、彼らの大半はヌサドゥアやクタの隔離されたリゾートホテルに泊まり、彼ら向けに用意された観光コースを巡るだけのことだから、観光客がバリ社会に与える影響はさほど大きくはないが、むしろインドネシア政府の移住政策によってジャワから移ってきた人々がバリを変えてしまう可能性はあると、スバム君は語った。
ジャワ島の面積はインドネシア全体の7パーセントに過ぎないのだが、その人口はインドネシア総人口(約1億8千万人)の6割を占めており、政府はジャワの貧しい人々の雇用促進や外島の開発のためなどという名目で、ジャワ島民に外島への移住を勧めている。この移民政策は「インドネシアのジャワ化」「先住民に対する人権侵害(東チムールの事例など)」という問題の他に、「外島における森林破壊」などの問題をも惹き起こしてきたのだが(奥源造著『インドネシアの外島移住地におけるジャワ族のデサ形成とその展開に関する研究』、井上真著『熱帯雨林の生活』などを参照)、バリにおいてはヒンドゥー教徒で豊かなバリ人とイスラム教徒で貧しいジャワ移民の間に小さな摩擦が幾つも見られるようだ。ジャワからバリにやって来た人々の中でこれといった職に就くことのできない人たちは、クタ・ビーチで観光客相手にマッサージをしたり、路上で物乞いをしたりしながら食いつなぎ、そういう人々が貧民街を形成していく。「デンパサールも段々ジャカルタ化している」とスバム君は言うが、こうした中でもバリ人の持つ「融合」と「再生」の知恵が発揮されることを期待したい。
デンパサールのジャカルタ化を嘆くスバム君ではあるが、その彼も大学卒業後はジャカルタの外資系企業で働いてビジネスを学びたいと言う。僕が「ジャカルタなんて水も空気も汚いし、そこら中に人と車が溢れていて、そんなに良いところじゃないよ」と言うと、スバム君は「それは知ってるけど、それでも一度はジャカルタに住んで働き、いつの日にか「ジャカルタを卒業」してバリに戻りたいんだ」と応じた。何だかテレビドラマの『北の国から』でジュン君が吐いた「俺はもう東京を卒業したんだ」という台詞を思い出してしまったが、スバム君のように帰るところがある者はそれでもよいだろう。だが、貧しさのあまり地方からジャカルタに出てきた人々の中には帰るところがない人も多い。例えば、中部ジャワのジョグジャカルタ近くにあるグヌン・キドゥル県は地味の乏しさ、雨量の少なさに平地不足が重なってジャワでも有数の貧困地帯なのだが、この地域はジャワの都市部へのお手伝いさんの供給地としても有名だ(倉沢愛子著『日本占領下のジャワ農村の変容』などを参照)。ジャカルタの中〜上流家庭に住み込んで働く彼女たちが一ヶ月に得ることのできる給料は8〜10万ルピア(約5〜6千円)程度だが、彼女たちの多くはこの給料の中から故郷の家族への仕送りを欠かさず、いつの日か良縁に恵まれることを夢見ながら日々を送っている。冷えたビールを飲み干したスバム君は「確かにバリの人間は恵まれていると思うな」と呟いた。
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