この文章は1993年にジャカルタで書かれたものです。
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9月にバンコク、ソウル、東京、大阪、シンガポールを巡った際、神戸の元町高架下の台湾料理屋「丸玉食堂」に僕の海の仲間たちが集った。参加者の一人であるカヤッカーの阿部年雄さんから心に残る話をうかがったので、少し紹介しておきたい。昨年阿部さんはお父さんを亡くされたのだが、それを契機に阿部さんは森の中に入ると木や土が自分のことを待ってくれているような、そんな感慨を抱いて妙な安心感に浸れるようになったと言う。「いつでも死ねるという心境に達したわけじゃないんだけどね」と阿部さんは笑われたが、こんな風に何かをきっかけにして自分の中の何かがすーっと変わっていくことがある。僕の場合は日本よりもはるかに自然に左右される生活を余儀なくされるインドネシアにおいて何か変わったことがあるのだろうか。
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インドネシアは基本的には「信仰の自由」が保証された国だが、1980年の国勢調査によると総人口中の約88%がイスラム教徒であり、現在世界で最大のムスリム人口を持つ国となっている。インドネシアのイスラムは、アラブのイスラムとはかなり趣が異なる。もともとこの国にはアニミズム的な信仰に基づく神秘主義やヒンドゥー教、仏教などの精神的古層があり、その表面にイスラム教がかぶさったような形になっている。従い、イスラム教徒とは言っても、いわゆるサントリ(熱心で敬虔なイスラム教徒)ばかりではなく、むしろアバンガン(形式的なイスラム教徒。アニミズム的な信仰の方が強い)に属する人の方が多いようだ。
マルバングン・ハルジョウィロゴ著『ジャワ人の思考様式』中にも、「ジャワ人はその根本において仏教的ないしはヒンドゥー教的な考え方を保ち続けている」という記述がある。日本人にとってイスラム教というのは少々縁遠い宗教で、そのことが中東の政治情勢までもわかりにくくしがちなのだが、インドネシアにおいては人々がムスリムを名乗っていても、日本人から見てそれほど距離感がないのは、これが理由なのかも知れない(インドネシアにおけるイスラムについては、タウフィック・アブドゥルラ著『インドネシアのイスラム』、アリフィン・ベイ著『近代化とイスラーム』などを参照)。
しかし、それでも多くのインドネシア人は礼拝の時間が来ると、どれだけ重要な仕事をしていてもオフィスや工場を抜け出して礼拝堂に向かうし、ラマダン(イスラム月の第9月)中のプアサ(断食)はきちんと守られ、レバラン(ラマダン明けの祭り)には親族が集まってお互いの健康と新年を祝う。日頃から人々のそんな姿を見るにつけ、僕の中でも日本人の宗教について少し考えさせられることがあった。日本人にはよく「自分は無宗教です」などと語る人がいるが、そういう人は宗教というものを限定的に捉えすぎているのだと思う。
日本の仏教は古来のアニミズム的な思想と習合したユニークなものだが、日本人の感性や思想の多くはこのアニミズム色の濃い日本仏教から影響を受けており、それは「無宗教です」と語る人においても同じだろう。西欧の近代科学がその根っこにキリスト教の思想を持っていたことはよく指摘されてきたが、「神は死んだ」と語ったニーチェにしても最後までキリスト教の呪縛と格闘せざるをえなかったように、日本人はその人が神や仏に向かって手を合わせる気持ちを持っていようがいまいが、仏教と古来の自然信仰に多くを負っているのだ。僕がそのあたりのことを少しきちんと考え直してみようと思ったのは、インドネシアのムスリムたちから伝わってくる「宗教的雰囲気」のせいだったのかも知れない。
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ところで、マレー半島からスマトラ、ジャワにかけては「アジアの十字路」と呼ばれるように、はるか昔から東西の文物が行き交った地域である。日本にいるとどうしても「太平洋」のことしか見えにくいのだが、インドネシアにいると「太平洋」と「インド洋」(インドネシアでは「インドネシア洋」と呼ぶ)がほぼ同じくらいの比重で見えてくる。アジア・モンスーンと海流に関する知識を持って世界地図を眺めると、インドネシアにとって太平洋というのはこちらから乗り出していくしかない広大な海であったことが納得できるが(太平洋の島々に拡散していった人々の出発地は東インドネシアだったと言われている)、インド洋には東と西を結ぶ「海の道」があったようだ。この道を辿ってイスラム教はインドネシアまでやって来たのだし、逆にインドネシア人ははるかマダガスカルまで植民の旅をしたのである。
また、この地域は南シナ海を通じてインドシナ半島や中国、台湾、日本ともつながっていたことも忘れてはならない。それ故にこそ「アジアの十字路」と呼ばれるのである(家島彦一著『海が創る文明』『イスラム世界の人々4・海上民』、鶴見良行・村井敬編『海のアジア史』などを参照)。もちろん、そういう知識は日本にいた頃からあったのだが、インドネシアで生活をしてみるとそういったことを身体で感じられるのが面白い。
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こうしてインドネシアの自然と文化、人々の信仰が僕の目を開かせてくれたような気がするが、それはそれだけ自分を取り巻く、あるいは自分に内在する<関係>の糸がよく見えてきたことを意味するのだろう。そんな中で僕は最近「リサイクル」についてよく考えるようになってきている。僕は「リサイクル」の根本には「万物流転」「輪廻転生」的な思想があると思うのだが、それを経済学の言葉に直すと室田武氏の『エネルギーとエントロピーの経済学』や、P・エキンズ氏や玉野井芳郎氏の『生命系の経済学』になるのだろう。要は「生命系における物質とエネルギーの循環を重視し、その中で生命の再生産を最も中心的な課題として考える」(中村尚司著『豊かなアジア 貧しい日本』などを参照)ということが「リサイクル」の根本思想なのだが、この「再生」という課題についてはインドネシアの自然や文化の中にいると常に考えさせられる。
そんなことを思いながら、ふと我が家の前を流れる川を見ると、そこに捨てられているゴミの約3割はビニールやプラスチック、化学潜在などの自然には浄化されにくいものであることに気づいた。鶏や山羊、魚やカニ、プランクトンやバクテリアたちが食べることのできないものを川に流すようになってくると、アジアの伝統的リサイクルは機能しなくなってしまう。
阿部年雄さんは「これからの産業界にとって大きな課題となるのは、『自然に浄化・還元できないものは買わない・使わない・作らない・売らない』ということで、そういうコンセプトにおいて新商品の開発に成功した企業が伸びていくのではないかと言われるのだが、僕も「なるほど」と思う。もちろん、産業界においても「右肩上がりの経済成長が永遠に続く」などという陳腐な幻想は既に崩壊しており、未来を見つめる目を持つ人々は「持続可能性」という概念を重視して現実の企業経営を考えるようになってきている。「持続可能性」とは「自然の持つ再生力を超えない範囲内で経済活動を行う」というごく当たり前のことを前提とした考えだが、20世紀とはこの当たり前のことがよく見えなくなっていた時代だったようだ。
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ジャカルタに転居してからも僕は時々日本を訪ねているのだが、その際に必ず足を伸ばすのは故郷の神戸と、僕が学生時代からずっと関わり続けてきた熊野だ。僕が熊野に惹かれ、その山・川・海を自らの活動のフィールドとしてきた理由は幾つかあるのだが、最近になってつくづく思うのは多分僕は熊野の持つ「再生」の力に引き寄せられてきたのだろうということである。説経節の『をぐり』(小栗判官物語)は日本の口承文芸における物語世界の豊饒さを今に伝える貴重なものだが、ここでも熊野の持つ「再生力」は象徴的に示されている。
かつて神戸に住んでいた頃の僕は、週末になると熊野を訪ねて山々を歩き、カヤックで川を下って、海で潜ったり船に乗ったりして、温泉に浸かるというような旅を数え切れぬほど繰り返し、その中で多くの素敵な人たちと巡り会ってきた。そして、そうした旅を終えて家路につく度に、身体中に生気が満ち溢れていることを感じたものだ。日本全体が「再生」の力を失いつつあるようにも見える昨今だけに、熊野の持つ力は大切にしなければならない。その力を失った時には生命は滅びるしかないのだから。
西ジャワはまた雨季に入ってきたようだ。彼方で雷が鳴り響き、急に雨の匂いがしてきた。驟雨が近いようだ。熊野も一年中雨の多いところだったが、キラキラの国にとって雨季は生命の「浄化」と「再生」のために重要な季節である。今年の雨季も雨を見つめながら、様々なことを感じてみたい。
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