拓海広志「渡海−人は何故海を渡るのか?(3)」

 1989年から1994年にかけて「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現プロジェクト(アルバトロス・プロジェクト)」が実施されました。1995年初頭に僕が書いた小文をここに転載させていただきます。


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 様々な困難を乗り越えて建造された我らがカヌー「ムソウマル」が進水式を行ったのは、1994年2月のことだ。最後まで二転三転して決まらなかった船長もサタワルのマウ・ピアイルック氏にお願いすることで決着し、僕はホッと胸をなでおろした。ピアイルック氏と言えば、ハワイのダブルカヌー「ホクレア」によるハワイ〜タヒチ間の航海でナビゲーターを務めた人で、正に太平洋を代表する航海者だ。


 同年4月、「ムソウマル」はヤップからパラオまでの往航を成功させ、ピアイルック船長率いるクルーたちはパラオ諸島南西部のウロン島という無人島にこもって石貨の切り出しとカヌーの補修作業に明け暮れることとなった。復航に出るためにウロン島からマラカルの港に回航される「ムソウマル」を見つめながら、僕はずっと気になっていたことをピアイルック氏に尋ねてみた。「この船は少し重くないですか?」


 ヤップ本島を代表する船大工のジョン・タマグヨロン氏率いるチームが長い歳月をかけ、丹精を込めて造り上げたカヌーだけに、僕はその質問を口にすることに少し気が引けたのだが、ピアイルック氏は極めて率直に「そう。だから、このカヌーではあまり多くのクルーや荷物を積んで外洋を航海することはできないね。サタワルにある俺たちのカヌーを使えればいいのだが」と言った。


 サタワル島を含むヤップ離島群はヤップ本島に従属してきた歴史を持っており、太平洋の英雄ピアイルック氏でさえもヤップ本島に滞在中は少し肩身の狭い思いをせざるを得ない。石貨交易航海は元来ヤップ本島民たちがやってきた航海であり、離島民たちがそれに関わったという歴史はない。しかし、既に本島民の間ではカヌー航海の技術が失われてしまっているため、今回ピアイルッグ氏ら離島民たちの出番となったのである。


 ピアイルック氏は「ムソウマル」のことを「デザイン的には美しく、よく出来たカヌーだが、サタワルのカヌーに比べると実用的でない」と評し、ウロン島滞在中にはその艤装にも一部手直しを加えた。ちなみに、『Canoes of Oceania』には、ヤップ本島では戦闘儀礼用のカヌーが多く造られるのに対して、離島ではより実用的なものが造られるとあり、チャモロ族による「フライング・プロア」の航海性能の高さにも言及している。ある時期から、ヤップ本島のカヌーと離島のカヌーの間にはこうした違いが生じてしまったのかも知れない。


 ところで、パラオからヤップへ戻る復航の前後で印象的だったことがある。マラカル港を出帆する前夜にパラオの「バイ・ラ・メタル」で催されたパーティーパラオをあげての盛大なものとなり、そこではピアイルック船長以下のヤップ離島のクルーたちが「ミクロネシアの英雄」として主役の扱いを受けたのに対し、「ムソウマル」がヤップに戻った後にコロニアの町外れにある「バイ・ラ・ベラウ」で催されたパーティーにはケネメツ大酋長以下の主な酋長とペトゥルス・タン州知事ら州政府の要人しか招かれず、クルーたちには屋外で宴会の料理をつまみながらビールを飲むことしか許されなかったことだ(ガアヤン氏とジョー・タマグ氏は自ら屋外に出て、クルーたちを労っていたが・・・)。


 翌日、僕は缶ビールの差し入れを持ってマドリッジ(ヤップ離島の人たちがヤップ本島滞在中に住む集落)のクルーたちを訪ねた。ヤップ本島民よりも一回り大柄で、むしろポリネシア人に近い感じのする離島の人々は陽気で、ビールを見た彼らから歓声があがった。ピアイルック氏は「石貨交易航海は本島民の伝統航海だ。しかし、彼らはもうカヌーを操ることが出来ない。俺たち離島の民がそれを成し遂げたということについて、誇りをおぼえるよ」と語った。


 一方、この5年の間にガアヤン氏は老いた。1989年の夏に初めて高梁の野村勲氏(岡山ヤップ会)宅でお会いしたときの矍鑠とした感じはなくなり、まだ若かった頃に痛めた足(太平洋戦争中に日本軍のために働いていた際に遭遇した事故が原因)はいよいよ悪くなってきたようだ。それでも、その洞察力の鋭さには変わりがないし、相変わらず意気も盛んで「もう少し元気になったら、かつてヤップで造られていたレーシング・カヌーを造ってみたい」などということも言う。


 ガアヤン氏の住むウォネッジ村の入口を流れる小川には、小さな丸木橋しか架かっていない。これは氏が村内への自動車の侵入を拒むために取った措置である。そのおかげで、ウォネッジ村を貫くココ椰子とビンロウジュの並木道は、ハイビスカスの花にも囲まれた実に美しい小道になっている。だが、最早その状態を維持していくのも難しいと、氏は語る。「アルバトロス・プロジェクト」を契機に多くのヤップ人は自らの伝統が持つ意味について考えるようになったが、それだけで時代の流れを大きく変えるのは容易ではないとも言う。


 ガアヤン氏が石貨交易航海の再現を提唱したのは、ヤップの若者たちに自らの拠って立つ場所、すなわち祖先たちの「海との付き合い方」を見つめる機会を与えるためであった。我々は今回のプロジェクトのために造られたカヌー「ムソウマル」と、パラオで作られた3つの石貨をヤップに寄贈することにした。ヤップ側はそれらを島の共有財産とすることとし、ジョー・タマグ氏は「現在ヤップで行われている学校教育はアメリカからの押し付けのような面がある。このカヌーを使ってヤップの伝統文化を子供たちに伝えていきたい」と語った。


 プロジェクトを全て完了し、ヤップからマニラ経由でジャカルタに戻る際に、僕は再びパラオに立ち寄った。特にお世話になった国会議員のアラン・セイド氏とコロール州政府行政官のジョーン・ギボン氏にお礼を述べるためだ。ところが、それがちょうどセイド氏の誕生日だったために、そのパーティーに招かれ、僕は島の要人たちと夕食をご一緒することになった。


 セイド氏とギボン氏は「石貨交易航海の歴史にはヤップのパラオに対する侵略という側面もあったため、今回のプロジェクトに対しては当初パラオ内でも反対する声が少なくなかった。でも、ヤップとパラオの人たちが力を合わせてこんな大きな行事を成し遂げたのは、恐らく歴史上初めてのことだ。やってみてよかったと思うよ。ありがとう」と言ってくださった。当初プロジェクトに対して協力的ではなかったパラオのムードが正反対の方向へ転換されたのはこの二人に負うところが大きく、感謝すべきなのはむしろ我々の方である。


 アメリカにとってミクロネシアの西端に位置するパラオは戦略的に重要なところで、それ故にパラオは国際政治の荒波の中で鍛えられてきた歴史を持っている。近年は観光産業にも力を入れてきたことから、島の要人たちはかなり豊かになってきており、彼らの立ち居振る舞いも外国人慣れしている。要人たちの多くは家にフィリピン人のメイドを雇っているし、パラオで肉体労働に従事している人の大半はやはり出稼ぎのフィリピン人だ。だが、そうした豊かさの一部がアメリカからの援助に支えられて成り立ってきたことも、見逃すことはできない。


 今、こうしてジャカルタの自室でワープロに向かっていても、僕の心はヤップ島マープのウォネッジ村に住むガアヤン氏の小屋へと飛んでいく。椰子の葉陰からもれる月明かりの下でガアヤン氏を囲み、椰子酒や氏の大好きなウォッカを飲みながら語り明かした幾度かの夜。耳学問の達人ガアヤン氏は島を訪れる外国の学者たちの話を全て覚えており、ヤップ人がはるか昔にインドネシアから海を渡って太平洋各地に拡散していった航海者たちの末裔であることなどを語る。


 僕の方は、そのインドネシアにいた人たちというのは、もしかしたらそのまた遥か昔には中国南部に住んでいたのが、メコン河を下ってインドシナ半島に至り、後にインドネシアへと辿り着いたのかも知れませんよ、といった空想話をする。それから、いつの日かメコン河を源流から河口までずっと下る旅をしてみたいという夢を明かす。少し酔ったガアヤン氏はご機嫌で得意の『大阪しぐれ』を歌ってくれるかもしれない。そして、また酒が進む・・・。
 

 ※『アルバトロス・プロジェクト終了報告会』(1994年12月開催)
 ・岩崎博一「プロジェクト全体の総括」
 ・杉原進「プロジェクト準備期間の経緯説明」
 ・田中拓弥「原木切出しからカヌー建造、進水式、石貨切出し、航海の全記録」
 ・原哲「プロジェクト取材を通して感じたこと、考えたこと」
 ・杉原進「プロジェクトの会計報告」
 (司会:拓海広志)
 

(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【マウ・ピアイルックさん(向かって右)、柴田雅和さん(向かって左)と共に】



パラオのアラン・セイドさん夫妻と共に】






【プロジェクト終了後にヤップ島で催されたパーティーにて】


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