拓海広志「神戸再生への序章」
1995年の1月17日に神戸を阪神大震災が襲いました。その年の春に僕が書いた小文を、ここに転載させていただきます。
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1月17日の朝、僕は出張先のボンベイで阪神地方を襲った大地震のことを知った。自身の故郷であり、その感性や精神、思想を形成するにあたって多くを負ってきた神戸の街や港に甚大な被害を与えた震災だっただけに僕は大きなショックを受けたが、それ以上にこの地域に住んでいる家族や恩師、友人、知人たちのことが気になって仕方がなかった。この震災で亡くなった方々や被害を受けられた方々に対し、まずはこの場をお借りしてお見舞い申し上げたい。
僕は1月23日までボンベイとマドラスに滞在したのだが、その間に読んだインドの新聞は被災民に対しては概ね同情的だった。しかし、日本政府の対応の遅さに対しては批判的で、中には震災にかこつけて文明批判を展開しているものもあった。「昨年ロスを地震が襲った時、日本人は口を揃えて『日本のテクノロジーならばこの程度の地震には耐えうる』と述べていたが、その傲慢さこそが今回の地震の被害を大きくしたのではないか?」といった具合である。
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海と山に挟まれた細長い街・神戸は地形的な必然によって自然の影響を受けやすい。このため、古来この地に住む人々は自然に対する畏敬の念があったようだが、都市開発の進んだ現在でも市民が海や山に寄せる思いは強い。神代の頃より六甲・摩耶は神の坐す山とされており、中世の修験者たちもここを行場としていた。西神戸の垂水には海神社として知られる綿津見神社もあるし、明石には俗に赤石伝説と呼ばれる海と山の出会いを象徴する伝承も幾つか伝わっている。また、大同元年(806年)に活田(生田)村の民家44戸が「神の封土」を意味する「神戸(かんべ)」として指定されたことが「神戸(こうべ)」の名の由来とされているが、当の生田神社にしても海とは縁の深い神社であり、こんな調子で神戸を一巡りしていくと海と山の自然に対する人々の信仰の跡を数多く見出すことができる。
また、神戸は交通の要所であったことから、古来「歴史の流れる舞台」という役割を担うことが多く、平清盛、源義経、楠木正成、足利義満、豊臣秀吉、高田屋嘉兵衛、勝海舟、坂本龍馬、陸奥宗光、伊藤博文など、神戸を舞台に活躍した人物も少なくない。だが、近代以降の神戸が持つ独特の雰囲気を作り上げたのはやはり居留地時代(1868〜1899年)及びそれ以降もこの地で活躍した欧米人の影響によるところが大きいだろう。勿論、神戸には朝鮮半島や中国、東南アジア、インド、中南米などからやって来た人も少なからず住んでいるので、街の雰囲気は国際色豊かで開放的だ。僕はそうしたことが神戸を生協活動やリサイクル運動、ボランティア活動など、様々な市民活動が活発に行われる自由な交流の<場>にしたのではないかと思っている。
他方、神戸には僕の敬愛する稲垣足穂氏のように神戸の持つ「気」を通じて宇宙と交感することに成功した人もいた。僕はかつて『キラキラの国のシティライフ』というエッセイの中に、神戸が持つ独特の都市性と熊野が持つ独特の土俗性は共に違った角度から日本を相対化する力があると書いたのだが、僕が学生時代からずっと熊野に惹かれてその山海河里にひたすら通い続けてきたのは、神戸と熊野をつなぐ線上を往還するためだったような気がする。稲垣足穂氏(神戸)と南方熊楠氏(熊野)を結ぶ思想の線があり、村上春樹氏(神戸)と中上健次氏(熊野)を結ぶ文学の線があるように、この二つの<場>は僕の中では確かにつながっているのである。
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ところで、神戸の市政も本質的にはこの街の持つ独特の精神風土の上に成り立ってきたと僕は思う。東京への一極集中が過ぎる日本において、神戸市は常に地方自治のあるべき姿を模索し、中央政府に依存することなく自治体を運営してきたことで知られている。その独創的な手法は時に「株式会社神戸市」と揶揄されることもあったが、その意気自体は評価されてもよいし、実際に成功をおさめた事業の数も少なくはない。この開発路線を推進した宮崎辰雄前市長は「三割自治」のジレンマを乗り越えて地方が自立するための道を拓こうとしていたのである。
周知の通り神戸には世界でも有数の港がある。かつて神戸がその地位を維持していくためには、大規模な埋立地を作ってそこに本格的なコンテナターミナルを建設する必要性があった。海運界のいわゆる「コンテナ革命」は1960年代に始まったが、宮崎氏の前任者であった原口忠次郎元市長が「ポートアイランド構想」を抱いたのは1963年のことであり、翌年には神戸市議会の承認を受け、1967年にはもう人工島の建設が始まっていたというから、その動きは速かった。ポートアイランドや、それに続く六甲アイランドの建設工事が迅速に進んだ理由の一つに、神戸市がその財源を税収などによる一般財源や国庫補助金には頼らず、欧州の債権市場で発行した外債(神戸市債)による借入金を資金としたことがある。正に「株式会社神戸市」の面目躍如といったところだろうか。
しかし、神戸でこうした埋立地を作るということは、神の座のある六甲山系の山々を削り取って宅地とし、その土を今度は海に運ぶということを意味する。山と海がせめぎあう街・神戸を象徴する地に源義経が平家軍に奇襲をかけたことで知られる須磨の一ノ谷があるが、その海岸にはバージが接岸するための桟橋が突き出ている。この桟橋は実は内陸に7キロも入った地点とベルトコンベアで結ばれており、六甲山系で削り取られた土砂はこのコンベアを通って一ノ谷の桟橋まで搬出され、そこからバージに積まれて埋め立て海域まで運ばれたのだ。これは土砂を効率よく、かつ市街地にダンプカーを走らせずに運ぶために取られた神戸独特の方式である。
だが、神戸ではこうした大開発事業もさることながら、むしろこれらの事業の周辺やその延長線上で行われてきた無数の小開発事業こそが貴重な自然を破壊してきたように思われる。神戸市民の多くは、近代都市としての洗練さを持ちながらも、海や山に囲まれた街の環境に誇りを持っている。そんな神戸市民が神戸市の開発路線に違和感を覚え、それを行き過ぎだとする批判が急速に高まってきたのは1980年代前半のことである。その契機となったのは一旦棚上げになっていた筈の「神戸沖空港建設計画」が再浮上したことだが、こうした批判の中で宮崎氏は市長の座を降りることになった。
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1937年に神戸市役所に入った宮崎辰雄氏は、太平洋戦争中に受けた空襲のために焼け野原となった神戸の街を蘇らせるべく、戦後すぐに復興部長の任に就いている。そして、それから半世紀の間に見事に再生した街は今回の地震によって一瞬のうちに再び廃墟と化してしまった。今回の地震のあと、50年前に宮崎氏が就いた神戸市の復興部長の任に就く人が誰なのか(そもそもそんな役職ができるのかどうか)は知らないが、僕たちは当時とは全く異なる理念を持って街の再生を図る必要があるだろう。
神戸には海と山の自然を畏敬した古人の魂と、街の中に大規模な公園などの擬似的な自然を作ってゆとりある街づくりをしてきた居留地の欧米人たちの知恵が今も息づいている。また、宮崎氏の業績の中に、初めて市長に当選した1969年当時はまだ26%だった下水道整備率を、国庫補助などには一切頼らない神戸流の起債方式によって僅か6年の間に93%にまで引き上げたということがあるが、そんな都市経営のノウハウを持つ神戸っ子が古人の魂と知恵を呼び起こしながら、自然と人の調和の<場>としての街を築いていくことは可能だろうか。
谷崎潤一郎氏が『細雪』で描いた阪神大水害(1938年)のことや、野坂昭如氏が『一九四五・夏・神戸』で描いた神戸大空襲(1945年)については、僕も亡くなった祖母から何度も聞かされたことがあるが、そこから立ち上がってきた神戸人の底力を今回の震災に際しても見せたいものだ。都会的な洗練の内側に秘められた神戸人のしたたかな強さは震災後の耐久生活の中でも示されたと思うが、これはそうした生活さえも楽しんでしまおうという「神戸っ子」流の生活感覚によるものだ。その状況に応じてそれなりに生活を楽しんでしまうということこそが、ブランド志向とは無縁の「神戸スタイル」なのである。
今回の辛い体験を経て神戸が、他人の痛みのわかる、精神的に豊かな人たちの住む交流の<場>として再生することができれば、素晴らしいだろう。僕はそんなことを願いつつ、神戸のために自分にできることをしていきたいと考えている。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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