拓海広志「キラキラの国のシティライフ(1)」

 この文章は『月刊オルタ』の1996年6月号に掲載された拙文に少し手を加えたものです。ただし、オリジナルの原稿を書いたのは1994年です。


   *   *   *   *   *   *


 ある日曜日の夕方、友人J君の妹から「Jの様子がおかしいの。今すぐ助けに来て!」という電話が掛かってきた。
 彼女によると自宅にある鉄製の階段を上がっていたJ君が突然眩暈を起こして階段を転げ落ちたそうで、足からの出血がひどかったので病院に運んだのだが、医師の手当てを受けている最中に彼がトランス状態に入ってしまったというのだ。
 何か困難な事態や危険な状態に直面した時にJ君がトランス状態に入りやすいことを以前から知っていた僕は、彼の妹に告げられた病院へ向かうことにした。


 J君のトランス癖には理由がある。J君の父親(華人)は若い頃から女性癖が悪かったそうで、奥さん(南スマトラ出身のマレー人)がJ君を身ごもっていた間に彼は家で働いていた女中に手を出して妊娠させてしまったという。
 このことにショックを受けたJ君の母親は自分のおなかの赤ん坊を堕ろそうとしてドゥクンからもらった秘薬を飲んだり、真夜中に冷たい川の水に身を浸したりしたのだが、胎児はそれに屈さなかったのである。
 こうしてこの世に生を得たJ君だったが、何故か父親からは激しく憎まれ、これといった理由もなくしばしば折檻を受け、時には本当に殺されかけたこともあるという。
 そんな幼少時のJ君は自らの魂を肉体から遊離させ、現実の痛みから目を背けることで身を守る術を会得したのである。だが、彼のトランス癖は長じてからも治らず、今でも心身が時々そういう状態になるのだという。


 僕が病院に駆けつけた時、J君はナースと妹に囲まれてベッドに横たわっていた。目は見開いていたが明らかに正気を失っており、口からは意味不明の言葉を発し続けていた。
 ナースは「足からの出血は少しひどかったけど、傷自体は大して深くなかったので、止血をした今は何も問題はありません。でも、何故彼がこんな状態に陥ったのか理解できないわ」と、トランス状態のJ君を指差しながら言った。


 しかし、それから約1時間ほど経つとJ君の視線はようやく定まり、彼は妹と僕の存在に気づいたようだった。それを見てナースは安心して病室を出て行った。
 その後もしばらくは意識が朦朧としていたJ君だったが徐々に回復し、やがて妹が席を外した時に、自分の過去について問わず語りを始めた。


 J君の家で働いていた女中は彼が生まれた半年後に女の赤ちゃんを産んだのだが、当時まだ15歳だった彼女はその子をどう扱えばよいのかわからず、ただ混乱するばかりだったそうだ。J君の父親もそのことに対して責任を取る態度は示さず、困ったJ君の母親は自分の親友の女性に一時この赤ん坊を預けることにしたのだという。
 ところが、それから数ヶ月して女中は突如家を出て行き、行方不明になってしまったそうだ。このことに責任を感じたJ君の母親はその赤ん坊を引き取ることを考えたのだが、自分の息子にさえ容赦のない折檻をする夫を怖れて親友に相談したところ、彼女は「何も言わずにこのまま私に任せなさい」と言い、その赤ん坊を自分の子供として育てることにしたという。
「僕はその女中が産んだ女の子とはまだ一度も会ったことはないけど、彼女はもう一人の僕なんだ」とJ君は呟くように言った。


 病室の裸電球の灯りの下で彼の昔話を聞きながら、僕は自分自身の幼少期のことを思い起こしていた。
 僕はJ君と比べるとはるかに恵まれた環境で育ってきたと思う。だが、まだ幼稚園から小学校の低学年の頃に、「自分は何故ここに存在するのか?」という出所不明の不思議な問いが心の底から湧き起こり、その思いが高まったときに突如としてトランス状態に陥ったことが幾度かある。
 よくはわからないのだが、当時僕の中の何かが自己の存在に疑念を抱き、自分を壊してしまおうとしていたのかも知れない。そしてそのことに危機感を抱いた僕は、自らの魂を遊離させることによって危険を回避していたということも考えられる。
 そんな幼少期の体験を鮮明に覚えている僕にはJ君のことも多少は理解できるし、だから彼もこうして自分の過去を僕に語るのだろう。


 J君の父親はJ君が子供の頃から今に至るまで定職を持ったことはなく、J君の母親やJ君の収入に頼って生きてきた人である。J君によると酒癖の悪い父親は今でも酒を飲んでは母親に暴力をふるうのだという。
 これまでにJ君は母親に対して何度も父親と離婚するよう忠告したそうだが、南スマトラのマレー人社会ではどのような理由があろうとも離婚は妻の側の罪悪と見なすそうで、そう簡単に夫と別れるわけにはいかないという。

 
 余談になるが、僕の友人でボゴールに住むスンダ人の女性Aさんも夫の暴力に泣かされている。しかし、スンダ社会も男には甘いようで、彼女も容易には夫と離婚できぬようだ。
 また、バリ人の友人P君によると、バリには朝から晩まで闘鶏に明け暮れる男性も多く、妻たちは夫に代わって農作業に精を出すのだが、ここでもたとえ夫の行状が悪くとも妻の方から離婚を申し出るのは難しいという。


 ようやくJ君の状態が落ち着き、彼が少し眠りたいと言うので、僕は病室を去ることにした。そして病院からの帰り道、僕は自分がトランス状態に陥らなくなったのは何歳くらいの頃だったろうかと、遠い記憶をたどってみた。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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