拓海広志「信天翁の会・原論」

 1989年5月20日に発足した環境活動支援ネットワークのアルバトロス・クラブ(現代表:高橋素晴さん)も、来年には創立20周年を迎えます。今後はそれを記念したイベントも企画されているようですが、クラブ創設時の初心を思い起こすために、僕が1991年に同クラブの「入会案内書」に寄稿したやや青臭い一文『信天翁の会・原論』をここに転載させていただきます。


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 最近、巷間では「海」がブームになっているようだ。歴史学民俗学などの学問の世界やレジャーの世界、はたまた新たな資源開発の舞台として人々は「海」に目を向け、少し気のきいた人ならば「海からの視点」の重要性を力説してみたりもする。しかし、そういった論者の中で実際に海に出て、イメージとしての「海」ではなく、そのものの「海」にこだわっている人はどれくらいいるのだろうか?


 一部の日本人の血に海洋民族のそれが流れていることは確かだし、そういう視点から日本史や日本文化を見直すのは重要なことだろう。だが、「海」に対して何のこだわりも持たない人が流行として「海」や「海洋民族」だった我々の祖先のことを語ってみても、それらの本質的な部分は見えてこないように思う。もちろん、僕がここで言う「こだわり」とは通俗的なロマンティシズムのことを意味するのではなく、もっとやむにやまれぬ根源的なもののことだ。


 近代人はその幣として、対象に対して客観的であることを第一義的に考え過ぎる傾向がある。もちろん、場合によってはそれも必要だが、事物の本質的な部分には、その対象にとことん惚れ込んだり、こだわり抜くという主観的行為の果てにしか到達できない気がする。あえて誤解を怖れずに言うならば、事物の本質とは外部からの主観的な意識の働きかけがなければ存在しえないのではなかろうか?


 価値相対化あるいは重層的非決定の時代と言われる<現在>に生きる僕たちだが、時代性の問題を抜きにして考えても、全ての対象をいったん相対化した後になお残る残留物のような「こだわり」にしか意味はなく、それ以外の本当にこだわってもいないことをこだわりめかして表現するのは空しいことだ。もし、あえてそれを表現したいのならば、「こだわっていない」あるいは「こだわることができない」ということを表現すべきである。こうした残留物に徹底的にこだわりながら、むしろこだわる自分自身こそを客観化する視点と、その表現方法=文体を獲得することが一番大切なことのように、僕には思えるのだ。


 そして、そうした表現方法=文体を確立することができれば、私的な「こだわり」を追求しているうちにいつの間にか普遍の領域に到達するということも可能になる。一方、その表現方法=文体が確立されていない場合の表現や行動は、どうしても狭視野的、独善的、自慰的なものとなり、なかなか普遍性を得ることはできない。柄谷行人氏は「思想家が変わるということは文体が変わるということに他ならない。理論的内容が変わっても文体が変わらなければ、彼は少しも変わっていない」(『マルクスその可能性の中心』)と語っているが、表現方法=文体というのは実に重要なものなのだ。


 アルバトロス・クラブの原点にあったのは、「海」と海で生きる「人」、海を渡る「船」などのモノに対するこだわりと、近代では希薄になってしまった「人間」としての全体性の回復という課題であった。もちろん、これらはクラブ設立時(1989年)の旗揚げメンバーたちのこだわりに過ぎず、その後様々なこだわりを持つ多くの人たちがクラブに参加する中で、クラブのサロン化が促進されてきたように思う。


 「対象の相対化」→「残留物へのこだわり」→「こだわる自分自身への客観視」→「表現方法=文体の獲得」→「社会での表現&行動」という順序は重要であり、特に自分のこだわりをどのように表現するのかということは僕たちが<社会>人である以上、大切な課題だ。もっとも、如何に切実なこだわりに基づいていたとしても、その表現や行動から語られるものが陳腐であったり、間違っていたりすることも多々あるわけで、それを互いに批判・検討することもアルバトロス・クラブのサロンとしての機能だと言えよう。


 かくてアルバトロス・クラブには様々な「こだわり」を持つ人がたくさん集まってくださった。今後も個々の「こだわり」を大切にしながら、「全体」と「個」の<関係>をも重視し、様々な活動を展開していきたいと思う。そして、家族連れでワイワイ楽しく参加できるムードと、率直で真剣な議論を交わすことのできる信頼関係を大切にし、自然の中で思い切り身体を動かしながら、多彩な活動を同時並行的かつ等価的に行うことのできるクラブでありたいと願っている。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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