拓海広志「『帰らなかった日本兵』を読む」

 インドネシア・アンボン島の東にトゥレフという小さな港町があります。漁港近くの村に住む人々は村を流れる濁った川で食器や衣類を洗ったり、水浴をしたりしているのですが、この川にはびっくりするほどたくさんの大ウナギが泳いでいます。村人たちは大ウナギを亡くなった祖先の生まれ変わりだとして大切にしており、餌を与えて養っているのです。


 この村から山に分け入って行くと、やがて川の水は美しく透明に変わっていき、それを利用してタロから澱粉を採取している人たちにも出会えます。それから鬱蒼と生い茂る緑のジャングルを抜けて行くと、川は清流と呼ぶにふさわしい小川に変わり、やがてその流れの中から温泉が湧いている場所に出くわします。


 人気のない山の中だというのに、川の傍には掘っ立て小屋があり、その番をする老人までいました。老人によるとこの温泉は太平洋戦争中に日本軍が開いたものだそうで、戦争が終わってからは地元の人たちが使うようになったと言います。


 川底から湧き出る湯の温度は結構高いのですが、冷たい川の水と混ざり合うことで適温になります。インドネシアでは各地に温泉が湧いており、僕はもうかなりの数の温泉に入ってきたのですが、この川湯温泉はその中でも特に素晴らしいものです。熱帯林に覆われた川の中に身を横たえていると、身体が深い森の緑に溶け込んでいきそうな錯覚にすら陥ります。


 川湯から上がった僕は老人といろいろな話をしたのですが、老人が語ってくれたことの中に、戦争が終わって日本軍が解散・撤退した後もなおアンボン島に残った日本兵がいたという話がありました。実はこうした残留元日本兵の話はインドネシアのあちこちで耳にすることで、日本で一般に知られているよりも残留兵の数は多かったのです。


 インドネシアに残留兵が多かったことには幾つか理由があったものと思われます。日本はこれからアメリカの植民地になってしまい、もうロクなことはないと悲観して居残った人もいたでしょう。また、インドネシア人の娘と恋に落ちてしまい身動きの取れなくなった人もいるでしょうし、清濁を併せ呑むほど懐の深いその自然と社会に魅せられ、そこに身を投じた人もいたかも知れません。


 しかし、日本軍の中には政府や軍が大義名分として掲げてきた「インドネシアをオランダの支配から解放し、独立国に育て上げるのだ」という言葉を信じてこの国にやって来た若くて純真な兵士たちもいました。やがて戦争が進むにつれて、彼らは掲げられた大義が真実ではないことに気づくのですが、そのことに対する道義心とインドネシアに対する義侠心から戦後もそこに残り、オランダとの独立戦争においてはインドネシア兵として戦いに参加した人も少なくないのです。


 インドネシア政府は独立戦争に参加した元日本兵たちを英雄として遇し、その死に際しては国軍葬で送り、ジャカルタの英雄墓地に埋葬してきました。しかし、それが日本軍が解散・撤退してからの行動であったにもかかわらず、日本政府は彼らを逃亡兵という扱いにしてしまい、軍人年金などの支払いも拒否しました。そのためもあって、彼らの大半は独立戦争後もインドネシアで暮らし続けたのです。


 僕は以前ジャカルタに住んでいたときに、数人の残留元日本兵に会っているのですが、彼らから伝わってくる矜持のようなものに触れ、背筋がピンとする思いがしたことがあります。ジャカルタ日本人学校で美術教師をしていた長洋弘さんは、インドネシア各地をめぐって残留元日本兵たちへのインタビューを行い、それを『帰らなかった日本兵』という本にまとめています。インドネシアと日本の戦後史の裏頁として、是非多くの人に読んでいただきたい本です。


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