拓海広志「日本丸航海記(5)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★6月10日
 少し時間があったので、昨年自分が書いた卒論を読み直してみた。テーマは「円高が船員労働市場に与える諸影響についての考察」というものだが、為替変動が海運経済に与える影響を分析した上で、さらにそれらが船員労働市場に与える影響を考察したなかなかの意欲作である(笑)。
 僕は経済論は経営論、労働論とつながらぬ限り、その顔が見えてこないように感じているので、あえてこういうテーマを選んだのだが、ちょっとフリードマン的だけど経済論の真の目的とは「完全な自由」を追求することであり、それは経営論や労働論を通じて具現化させる必要があるのだ(ホントはフリードマンが言ってることとは趣旨が違うんだけど・・・)。
 市場における労働とは機能であり、労働者はそれを提供する替わりに対価を得る。ところが、船員労働市場というのはかなり早い時代からグローバル化の洗礼を受けてきたところで、外航船員は人種や民族、国籍などと関係なく、機能+コスト・パフォーマンスにおいて世界中の船員と戦いながらその地位を獲得し、守らねばならない宿命にある。
 今後円高がどんどん進めば製品輸入が増えることになるが、それに連れて日本のメーカーがモノ作りの拠点をアジアにシフトしたり、あるいはアジアのメーカーや労働者がその機能を高めてくれば、日本の労働者の多くは日本人船員が一足どころか、二足も三足も早く味わった問題に直面することになるはずで、僕は日本社会はその時に備えておく必要があるように感じる。
 これは何も企業や個人の機能を高めるということだけではなく、むしろ個々が世界を相手にする覚悟を持つということ、またこれからは個々の労働者がコスト・パフォーマンスの面で途上国の労働者に追い越されていく可能性も高いので、そうしたことに対するつまらない偏見を捨てるということでもある。
 しかし、それと同時に資本主義経済下の企業経営&労働という、ごく狭い範囲内で発揮される機能だけに基づいて人の能力や人格を評してならないのは言うまでもなく、そうならぬためにも人々がもっと多様な側面から評価されうる社会も作っていかねばならない。
 つまり、経済論は経営論、労働論と結びつくことによって具体的な顔を持つが、さらに社会論と結びつくことによって心を持つのである。自分の卒論がそこまで届いていたとは残念ながら思えないが、それを書きながら僕が目指していたのは、こうしたバランスの取れた個−組織−社会のありようを求めることであり、このことはこれからも社会で働き、様々な活動をする中で求め続けていきたいと考えている。


★6月13日
 いつかは風が吹くだろうと思いながら我慢を続けていた僕らだったが、日本を出てから2週間になるというのに、まだ風をつかむことができないでいた。
 既に東経170度線は越えており、本来ならばこのあたりから強い風が吹きまくるはずなのに、ここ2〜3日は全くの無風状態なのだ。風に乗らねば飛ぶことのできないアホウドリたちは本船の周囲の海面に降り、本船から投げられる残飯をつついていた。
 ただ、夜間になると無風状態で鏡のようになった海は満天の星空を映し出すため、本船は360度を星空に囲まれ、まるで宇宙空間を漂っているような神秘的な感覚に浸れるのが素晴らしい。
 船乗りというのは洋の東西を問わず、昔から様々な言い伝えや因習に対して一定の敬意を払うものだが、帆船に乗っていて風が吹かなくなってしまったらマストを爪で「ギーッ」と引っ掻いたり、サメの歯を船内にぶら下げたりすればやがて風が吹くという言い伝えがある。
 また船では「口笛は嵐を呼ぶ」ということから厳禁なのだが(これには人が海中転落した際などに発せられる笛信号と間違えてはならないからという理由もある)、今の本船の状況ではその全てを試してみたいところだ。
 結局、キャプテンはもう少し風をつかめそうな海域まで進むために帆走を一時中断して機走に切り替えることにした。僕らは全行程帆走という夢が破れて無念だったが、スケジュールの詰まっている日本丸のことゆえ、この状況ではいた仕方がなく、午後から絞帆作業に入った。しかし、僕は密かに口ずさんでいたのである。アブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマ曲「吹けよ風、呼べよ嵐!」を・・・。


★6月14日
 機走に入って一夜したら急に風が強まり、風力が7にまで上がってきた。僕らは嬉々としてキャプテンの「帆走再開」のオーダーを待った。そして1日。満を持したキャプテンは17時、ついに「展帆作業かかれ」のオーダーを出し、帆走が再開されたのである。
 ところで、今日は「風まかせ」第2号の発行日でもある。今回のトップ記事は「帆走中断、機走開始」という昨日の状況説明で、僕のエッセイはかつて日本各地を旅しながら出会った妖怪について書いた「妖怪考」、Cさんの「東京メモリーズ」は前回の「板倉・キャンティ」に続いて「デパート対決・三越VS高島屋」となった(ただし、読者はそこに出てくるカタカナ語の大半を理解できなかった)。


★6月16日
 本船は完全に低気圧の影響下に入ったようで、強い風雨の中を30度以上も船体を傾けたまま突っ走っている。
 汽船とは異なり、帆船は強風の中では風下側に一定角度傾いて走り続けるため、船酔いに悩まされる者は皆無に近い。しかし、30度を越す傾斜というのは壁と床の区別がつかないような感じで生活はしにくくなる。
 また、デッキ上に出ると風下側の舷側から海面までが僅か数10センチしかなく、波しぶきや黒山のようなうねりが本船を飲み込まんとばかりに迫ってくるので、かなりの迫力だ。時折、海水が台風時の川の濁流のように甲板上を流れていくので、当直員は常に転倒、落水などに万全の注意を払いながらのワッチとなる。
 本船はこの強風の中でその帆走性能の高さをしっかり証明してくれ、14ノットを超す速力を出しながら、あっさりと日付変更線を通過してしまった。英国には「ボストン・ティーポット杯」なるものがあり、1年間を通じてある一定期間中に最も長い距離を帆走した帆船に対して純銀製のティーポットを贈るのだが、本船は昨年それを獲得しており、トロフィーはキャプテン公室に飾られている。
 本船の場合はきっちりと決められたスケジュールに従って運航せねばならぬのと、訓練を目的とする船であることから、あまりこういう賞とは縁がなくて当たり前なので、そうしたことを考えるとやはり日本丸の帆走性能は抜群に良いのだろう。


★6月19日
 太平洋には帆立クラゲという名の不思議な生き物がいる。彼らは帆立貝と同じように帆を立てて、波上をセーリングしながら太平洋を一回りして生涯を終えるのだ。
 今、本船の周りでは多数の帆立クラゲが本船に付き従うかのように帆走しているのだが、僕らはバケツに紐を付けて海面に降ろして何匹かをすくい上げ、その神秘的な帆に息を吹きかけたりして遊んだ。
 それにしても帆船は汽船よりもスピードが遅い上に、エンジン音がしないせいか、多くの動物が接近して来る。好奇心の強いイルカは勿論のこと、シャチ、クジラ、アホウドリたちはしばしば本船を訪ねてくる常連客だ。
 夜間一人で船首に立ち、ルックアウト(見張り)をしているときなどにイルカの鳴き声を聞くと何とも幻想的で、海坊主に海中に引き込まれそうな気すらしてくるから不思議だ。
 海坊主と言えば船の世界には面白い慣習がある。昨今の船では実際に鳴らすことは少ないのだが、船にはタイムベルと呼ばれる鐘があり、4時間のワッチに入ったら30分後に1点鐘、1時間後に2点鐘といった具合に30分毎に鐘の数を一つ増やしながら鳴らしていく。そして当直交替の15分前にもう一度1点鐘を鳴らした後、交替時(4時間目)に8点鐘を鳴らしてまた振り出しに戻るわけだ。
 しかし、夕方のヨンパー直だけは変則的な鐘の叩き方をし、16時にワッチを引き継いでから2時間後の18時に4回叩いた後、18時半に1点鐘、19時に2点鐘、19時30分に3点鐘を鳴らし、当直交替の20時には8点鐘を鳴らすのである。
 何故このようなことをするのかと言うと、18時から20時にかけては海坊主が出現しやすい時間帯なので(俗に言う逢魔時というやつだろう)、彼らを騙すためだそうだ。


★6月21日
 本船はますます快調に走り続けているが、アリューシャンの南海域は終日小雨に近い濃いガス(霧)に包まれており、気温も低い。従い、ワッチ中のテーマはまずこの寒さに耐えることとも言える。
 ところで、僕は北斗丸、日本丸での航海の中で様々な思索をしてきたのだが、そうした中で今後の自分の人生においてやりたいことが幾つか明確になってきたような気がしている。
 まず一つ目は、海と船に一生関わり続けたいと思う。特に船などを使ってモノを運ぶことにより、異文化間を結ぶ仕事をしていきたい。つまり物流や貿易の仕事を諦めないということだ。
 二つ目は、世界各地で様々な形で海と関わりながら生きる数多くの人々との出逢いを大切にし、そこで自分が学んだことを何らかの形で記録に残したり、後世に語り継いでいきたいということ。このことは多分自分のライフワークになりそうな気がする。
 三つ目は、日本丸のような近代帆船でも太平洋を渡るのは大変なことなのに、人は何故太古より太平洋に点在する島々に拡散することが出来たのかという疑問に挑むことである。これについては在学中からミクロネシアポリネシアの海人たちの伝統航海術についてそれなりの勉強はしてきたのだが、今後は実際にミクロネシアあたりでカヌーを建造し、そうした航海術を今に伝える人たちと共に実際に海を渡ってみたい。それによってその航海術の背後にある彼らの自然認知能力を感受したいと思うのだ。
 これら三つのこと以外にやってみたいのは、様々なジャンルで海という環境に関わりながら社会的な活動を行っている人たちが、そこでの肩書きや経歴、年齢などに関わりなく、対等の立場で出会い、自主的に交流することによってさらにお互いの視野を広めることができる、自由なサロンを作りたいということである。
 僕はこれまでにも「サロン」を標榜する組織には幾つか顔を出してきたが、実際にはそこで他者に何かを与えることよりも、人脈を得ることに熱心な人だけが集まった場が多かった。また、カリスマ性を持つリーダーの周りに人が集まっているだけのサロン的とは言えない場もあったし、比較的よく運営されているサロンであっても、やはり事務局をする人は固定してしまい、結局は事務局(店)−会員(客)のような関係になっているケースも少なくはなかった。
 僕が作りたいサロンは、誰が中心なのか判然としない中に幾つもの核が自然発生し、メンバーが特定の人が持つ求心力で一つにまとまっていくのではなく、異文化を持つ個々のメンバーが互いの個性を尊重し合いながら、互いの遠心力によって一定の距離を保ちつつ自律的に関わり合っていく、そんな場である。だから、リーダーも事務局もほとんど固定せず、時と場合に応じてどんどん変わりうるような形が望ましいだろう。
 日本丸での航海を終えたら、僕はこれら四つのことを並行的に進めていきたいと考えているのだが、さてどこまで出来ることやら…。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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