拓海広志「石貨を運ぶカヌー航海のはなし」

 6年ほど前に僕はシンガポールのラジオ番組に4話連続で出演させていただいたことがあるのですが、そのときに収録された四方山話の内容をここに再現・紹介させていただきます。


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志田和子:皆さん、こんにちは。シンガポールにいると、回りの島々に出かけてみたくなることはありませんか? そこで今日から4回にわたり、拓海広志さんにご登場いただくことになりました。拓海さん、おはようございます。 


拓海広志:おはようございます。


志田:拓海さんと南の島との関係についていろいろなお話をうかがいたいのですが、今日は何からいきましょうか?(笑)


拓海:そうですねぇ・・・。じゃあ、カヌーの航海の話をしましょう。ミクロネシアにヤップという島があるんですが、ご存知でしょうか?


志田:ええ。


拓海:ヤップは、ギャートルズに出てくるような石のお金、すなわち石貨を流通させている島として有名ですね。


志田:えっ? あれは今でも流通しているのですか?


拓海:実は、ミクロネシアは太平洋戦争の後にアメリカの信託統治下に入ったことから米ドルが流通するようになっていまして、現在のヤップでも日常的な買い物には全て米ドルが使われています。ただ、結婚の際の結納であるとか、儀礼的なことに際しては、今でも石貨が使われているようですね。


志田:でも、石貨は石を切り出してきたらいくらでも作れるんじゃないんですか?


拓海:いえ。実はヤップには石貨を作るための原材料となる石がないんですよ。ところが、ヤップから南西に500キロほど行きますとパラオ諸島という島々がありまして、その中には結晶石灰岩が大量に採れる島があるんです。それでヤップの人々は昔からカヌーに乗ってパラオまで渡り、そこで結晶石灰岩から石貨を切り出して、またヤップまで持ち帰るということをしてきたんですね。


拓海:勿論、カヌーの航海は命がけのものですし、パラオでの滞在中にも時には戦闘があったりと、石貨は決して楽をして得られるものではありませんでした。それで、そうした航海や石貨の建造にまつわる様々な物語が石貨に価値を与えることになります。


拓海:また、ヤップに運ばれた石貨は島の一定の場所に安置されるのですが、それが何かに使われると所有権だけが移転していき、その使われ方によってさらに石貨の価値が変わります。つまり、石貨はヤップの人々が共有する物語を映す鏡でもあるわけですね。


志田:なるほど。それで、拓海さんたちはヤップ島でその石貨に関わる活動をされたのですか?


拓海:そうなんです。実はヤップからパラオまで石貨を切り出しに行くという航海はここ100年ばかりの間、途絶えていたんです。そこには、スペイン、ドイツ、日本に植民される中で、島の文化が徐々に変わってきたということがあるのですが、特にアメリカの信託統治下においては、その援助によってヤップは働かなくても食べていける島になってしまいました。


拓海:消費のあり方だけが近代的になり、その一方では昔ながらの生産のあり方は崩壊してしまい、それに替わる産業があるわけではないのに、人々は援助で食べていける。そういう状況下において、昔のように石貨にまつわる物語や価値を共有し続けるのが難しくなってきているというのも現実なんですね。


志田:そうなんですか・・・。


拓海:ところが、そうした状況を憂うる人もいまして、特に島の古老たちの中には今のような状況が続くとヤップはいずれアイデンティティのない島になってしまうということで、島の文化の根幹を見なおすべきだという意見もありました。ヤップは楽園的な外見とは裏腹に意外に自殺率の高い島なのですが、その背景にはこうしたアイデンティティの喪失という問題があることも指摘されています。それで、数人の古老は偉大な航海者であった先人たちに倣って再び石貨を運ぶ航海を行い、石貨を通じて物語と価値を共有してきた島の文化を見直そうと言い出したのです。そして、僕たちは縁あってこのプロジェクトを全面的に支援することになりました。


志田:どういう縁ですか?


拓海:実は、当時僕はミクロネシアの航海術に興味を持っていて、ヤップに足を運んでいたのですね。そうした中で島の古老たちとも仲良くなっており、そんな中からこの話が出来てきたということです。それにしても、このプロジェクトには通算で5年もの歳月を要しましたよ(笑)。


志田:そんなに長くですか?!


拓海:ええ。何よりもヤップの様々な人たちとの間でコンセンサスを取り付けるのに長い時間がかかったのです。それから島の森の中にある巨木を切り倒し、昔ながらのやり方でコツコツとカヌーを建造したわけですから、それにも時間もかかります。それでも、最後には何とか帆走でパラオまで渡り、そこで結晶石灰岩から石貨を切り出してきて、ヤップまで持ち帰ることが出来ました。その間には、1年にわたってヤップに滞在し、カヌー建造の記録を取ってくれた仲間もいます。


志田:そのプロジェクトの結果、ヤップの人たちの気持ちは変わったのでしょうか?


拓海:ヤップと言っても人口は1万人もいますので、決して皆が同じ意識を持っているわけではありません。ですから、このプロジェクトに対して非常に熱く燃え上がった人もいれば、冷めていた人もいる筈です。


拓海:ただ、僕たちが持ち帰った石貨は島の共有財産として島内に展示されており、我々が島に寄贈したカヌーも学生などへの伝統教育に利用されているということですので、長い目で見たときにこのプロジェクトはヤップにとって意義があったということになってくれれば嬉しいですね。


拓海:こういうプロジェクトをやったからと言って、彼らの暮らしが昔に戻るなんてことはありえませんし、僕たちもそんなことを望んではいません。ただ、プロジェクトを通じて、かつて自分たちの祖先が歩んできた道を振り返り、それによって自分の居場所を確認するということは大切なことだと思います。


志田:拓海さん自身は、このプロジェクトに対してどんな風に考えておられたのですか?


拓海:僕はかつて航海学が専門でしたので、近代的な航海術については勉強していました。ところが、帆船に乗って太平洋を渡ったときに、この広大な太平洋に何千年も前より人々が移住、拡散してきたという事実から強い啓示を受けました。つまり古代においても、近代の航海術とは異なるパラダイムの立派な航海術があった筈だということについてです。それで僕はそうした航海術について学びたいと思い、ミクロネシアを訪ねるようになったわけですから、このプロジェクトにおいてまだそういう航海術を維持しているヤップ離島のサタワルの島民たち、特に高名な航海者であるマウ・ピアイルッグという人と共に海を渡れたのは良かったですね。


志田:なるほど。


拓海:それから、この航海は、伝統を守るとはどういうことなのか、果たしてそれには意味があるのか、などといったことについて考える良い機会となりました。僕は伝統を守ろうとすることが常に正しいというわけではないと考えています。ただ、自分の居場所をハッキリさせたり、自分と他人の関係のあり方のバランスを取る際に、伝統というものを時々引っ張り出してきて参照しなければならない。そういうことを今回勉強したように思うのです。


志田:なるほど、そうですね。残念ですが、そろそろ時間がなくなってきました。拓海さん、今日はありがとうございました。


拓海:こちらこそ、ありがとうございました。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【ヤップ島の石貨】



【カヌー「ムソウマル」の建造風景。船大工のジョン・タマグヨロンさん】


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