拓海広志「真鍋島にて・・・」

　これは今から６年ほど前に書いた小文です。しかし、この６年の間に日本の社会状況も変わってきたようで、最近は「悪平等」論議よりも、むしろ「格差」論議の方が重要になってきましたね。

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　日本映画の中にはスポーツを題材にした青春物の佳作が幾つかある。最近の作品では、男子高校生のシンクロナイズド・スイミングを題材にした矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』や、合気道の愛好者を急増させたという天願大介監督の『AIKI』などが僕の感性に合ったが、少し以前の作品の中では夏目雅子さんの遺作となった『瀬戸内少年野球団』（篠田正浩監督）が大好きだ。

　『瀬戸内少年野球団』は淡路島五色町出身の作詞家である阿久悠さんが、自らの少年時代を回想して書いた小説を映画化したもので、淡路の漁村が舞台となっている。この映画の良さは、敗戦直後の混乱期を紋切り型で辛く悲惨な時代と捉えるのではなく、子供たちにとっては鷹揚な進駐軍がもたらしたチョコレートやチューインガムと共に訪れた一時のパラダイスでもあり、妙に気分が開けた、自由で活き活きした時代でもあったことを肯定も否定もなく、ただあっけらかんと描いていることにある。

　『瀬戸内少年野球団』のロケ地となったのは笠岡諸島の真鍋島だが、そこは周囲８キロほどの小さな島で、僕が過去に訪ねたことのある瀬戸内の島々の中でも特に情趣に富んだところだ。石積みの防波堤、小さな桟橋、猫の額のような平地に密集する木造家屋の合間を縫う路地、電照菊の段々畑、そして独特の存在感を持った真鍋小中学校の木造校舎、旧家（真鍋家）の庭先にそびえるホルトノキの巨木・・・。いずれも旅する者の心に不思議な既視感を抱かせる懐かしい風景ばかりである。

　真鍋島に限ったことではないが、瀬戸内の島々はここ２０年くらいの間に急激に人口が減っている。島々にある家の多くも空き家のような状態で、都会に出て行った人たちが盆と正月にだけ戻ってくるのだ。『瀬戸内少年野球団』には野球と喧嘩、悪戯に明け暮れる腕白小僧たちだけではなく、日々の食い扶持と飲み代を稼ぐために威勢良く海に乗り出していく漁師たちの姿も描かれているが、今の瀬戸内海でそんな活気に満ちた光景に出会うことは少ない。

　この映画で描かれている野球は、日本流のそれよりもむしろアメリカ流のベースボールに近いものだ。日本の野球は協調性と自己犠牲の精神を持ってチームに貢献することを教えてきたが、アメリカのベースボールは個々人がそれぞれのやり方で自分の能力を最大限に発揮することによってチームに貢献することを教える。モットーは同じ「For the team」であっても、野球が互いのネガティブな部分を補い合うことによって成り立つのに対し、ベースボールは互いのポジティブな部分を認め合うことによって成り立っている。

　戦後の自由な雰囲気の中で少年たちはベースボールに明け暮れたかも知れないが、その後の日本社会はいつの間にか多くの点で野球的な方向へ進んでいったように思える。僕はそれを悪いと言うつもりはないし、むしろ日本野球の良さを前向きに評価したい。しかし、いつの間にかその社会は少々行き過ぎてしまい、「平等」という美名の下に能力のある者や努力した者が報われない事実上の不平等社会となり、「ネガティブな部分を補い合う」という建前の下に他人のネガティブな面のみを指摘して、能力の突出した者すら平準化、陳腐化してしまうことが目立つようになった。

　近年、個性的で能力の突出したプロ野球選手たちがどんどん大リーグへ、あるいはプロ・サッカー選手たちがヨーロッパのチームへ移籍しているが、実はこの現象はプロ・スポーツの世界だけで起こっているのではない。ビジネスマン・ウーマンや研究者の中にも、日本を去って活躍している人の数は増えている。戦後の焼け跡でベースボールに明け暮れた少年たちと同じように、経済と労働市場のボーダレス化によって、「日本」の外で仕事に打ち込み、自分を高められる場を見つけて嬉々としている大人たちの数は少なくないのだ。

　もっとも、こうした状況を正しく認識している人や組織は既に着実に手を打っているので、僕はそういつまでも日本の社会や企業、研究機関が停滞することはないだろうと思っている。仮に一時的に人材が流出したとしても、ボーダーを越えられる日本人が増えたということは肯定的に捉えるべきだし、そういう人材はやがて日本社会にプラスの効果をもたらす筈だ。そして、野球的なものの良さを大切にしつつ、ベースボール的なプレーも楽しめるようになれば、日本の個と組織はもっと強くなっていくだろう。そんなことを思いながら、僕はブラブラと真鍋島を一回りしてみたのである。

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