拓海広志「日本丸航海記(10)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★8月15日
 今日は船上での剣道大会。付け焼刃の剣士大集合で竹刀を振り回して1日が過ぎたが、剣道ってなかなか面白い。


★8月16日
 いよいよ東京が目前となってきた。ワッチのために帆走中はいつも賑わっていたデッキ上だが、機走に入ると当直員がブリッジ詰めになってしまうため、誰もいなくなる。
 僕はS君と二人で缶ビールを持って夜のデッキに上がり、これで見納めとなる満天の星空を眺めながらビールを飲んだ(勿論、これは船則違反です。ごめんなさい)。
 商船大学航海科の仲間の良いところは、普段はあまり群れないことで、ほとんどが単独行動を取る者ばかりだ。勿論、船の上での仕事となると心を合わせて働くが、あまりベタベタした人間関係は作らない。しかし、いざとなったら理屈抜きにお互いを助け合う。
 N君あたりはこれを評して「君子の交わりは淡き水の如き」と言うのだが(笑)、仲間たちとこういう友情を築くことができたのは幸運である。


★8月17日
 ついに沿岸航海に入り、我が新聞部は「風まかせ」の最終号を発行する。今回はO船長に寄稿していただき、僕は井上ひさしの『吉里吉里人』と大江健三郎の『同時代ゲーム』についての書評を書いた。
 ポストモダニズムの潮流の中で「物語の解体」なんてことを言う人もいるが、所詮小説は「物語」なのであって、読者はそんなことは百も承知で読んでいるのだから、あまり小難しいことを言わずに、小説家には面白い物語を紡いでいただきたい。


★8月18日
 とうとう東京に戻って来てしまった。夢の島の悪臭漂う検疫錨地にアンカーを落とし、日本の大都会特有のむせ返るような鬱陶しい暑さにげんなりする。
 それでも夕方からは安着パーティーでそれなりに盛り上がり、「ああ、航海が終わったんだなぁ」という実感が湧いてきた。


★8月20日
 有明岸壁接岸。夕方から散歩上陸許可が出たので、O君と共に銀座へ飲みに行く。夜のネオンが妙によそよそしい。


★8月21日
 武内カメラマンが、ハワイでセスナから写した写真を引き伸ばして額に入れて持って来られた。さすがにプロだけあってきれいに撮れていたが、考えてみると僕らはずっと船に乗っていたから、本船の帆走美を目にすることは出来なかったのである。こうして見ると、帆走中の本船は本当に美しい。


★8月23日
 連日、本船の補修作業や整備作業に追いまわされながら、実習のまとめをしている。
 9月に入ると全国に5つある商船高等専門学校の航海科の連中が本船と海王丸に乗船してきて、来年3月までの練習航海を行うことになっているので、それまでに船をきれいにしておいてあげなければならない。
 新聞部は最後の仕事として乗船者全員の一言メッセージ付きの住所録を作り、全乗員に配布した。僕が船内新聞に連載していた小説「イルカ☆My Love」は<イルカ>という夢のメタファーの解読を軸に物語が成り立っていたのだが、この物語は船内ではなかなか好評だったので、それをパクッてこんな編集後記を書いた。
 「1960年代の吉本隆明は、大学の目的とは学生に贅沢な苦痛を味あわせることだと語った。なるほど、それは今でもそうなのかもしれない。今、我々は本船を去ると同時に、大学を後にするのだが、我々の人生が本当に面白くなってくるのはこれからだろう。少年よ、イルカを抱け!」 


★8月26日
 下船前夜、教務担当教官だったMファーストオフィサーを囲んで最後の宴会を行う。
 剣道の達人で、森田健作ばりの熱血漢のMさんは、時には練習生をぶん殴り、時には怒鳴りつけたりしながらも、基本的には豪快に笑い飛ばしながら仕事をこなしてこられたわけで、最後はほろ酔い気分の「旅人よ」を歌って別れの挨拶に代えておられるようだった。
 宴が終わったあと、僕はN君、S君、O君、K君など、特に親しかった友人たちの部屋を回って別れの盃を交わした。


★8月27日
 ついに下船の日がきた。下船式のあと、「蛍の光」の流れる中、船長を始めとする士官の方々と握手を交わしてから舷梯を降り、足が岸壁に着いたとき、僕らの長い旅は終わった。
 ありがとう、お世話になった皆さん! さらば、日本丸! ごきげんよう


 ※関連記事
 拓海広志『イルカ☆My Love』


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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