拓海広志「ハキリアリの文化」

 何年か前のことですが、僕はパナマの林でハキリアリの群れが木の葉を運んでいる光景に出くわしたことがあります。ハキリアリというのは、ひたすら植物の葉を切り取っては巣に運び込むことで知られる変わったアリなのですが、彼らがそんなことをするのは巣の中でキノコを栽培するためで、葉はキノコの養分となるのです。ハキリアリは巣内でのキノコ生産が過剰にならぬよう、その成長を程よいところで抑えるための化学物質まで体から分泌するというから、ちょっとビックリです。


 ハキリアリの巣の近くにはこんもりとした赤土の山があるのですが、その砂を触ってみると実にサラサラしていて、まるで砂のようです。実はこの土のかたまりは、キノコを栽培したあとに不要になった土や葉などのゴミをハキリアリたちが巣の外に運び出したものなのですが、驚くべきことは彼らが土の山を築くにあたり、いったん近くの木の上に登り、適当な枝や大きな葉を滑り台のように利用して、土を下に落としていくということです。これによって土山はきれいな円錐形になっていくのです。


 ところが、聞くところによると、この土山はハキリアリたちの墓場でもあるそうで、彼らは仲間が死んだらその屍骸をここに運んで捨てるのだそうです。また、死んではいなくても、怪我をして傷ついたり、老いて体力の衰えたアリたちも仲間の手でここに捨てられ、彼らがどれだけ頑張ってももう巣には戻してもらえないというから実に厳しく物悲しい話です。言ってみれば、この土山はハキリアリたちの「姥捨て山」でもあるわけです。


 ハキリアリが巣内でキノコを栽培するということにはビックリですが、実はこれは共生のあり方の一つで、異なる種類の生き物がうまく協力し合って生きていっているわけです。でも、もっとビックリさせられるのは、彼らが木の枝や葉を滑り台、つまり道具として利用し、きれいな円錐形の山を築いていくということです。何故そんなことをせねばならないのか? また、どうやってそんな特殊な技術を仲間に伝えていくのか、とても不思議です。


 こうしたことに対して、簡単に「ハキリアリの文化」というふうに言ってしまうわけにはいかないのですが、本当に彼らには文化があるのではないかと思うほど、ハキリアリの行動には不思議なところがあります。僕は、人間が自らを取り巻く環界あるいは他者との間でどのような<関係>を取り結ぶのかという、その<関係>のあり方(=関係性)を「文化」の本質だと考えているのですが、そうした関係性を人間だけが持つと考えるのは人間の驕りかも知れませんね。ハキリアリの群れを眺めながら、僕はそんなことを思いました。


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