拓海広志「北斗丸航海記(1)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★12月16日
 堺の日立ドックにて乗船式。これから3ヶ月半にわたって生活を送ることになるタービン練習船・北斗丸(総屯数5856トン、全長125メートル)は、現在このドックで整備中なのだ。僕は商船大学に入学してから今日までに銀河丸、大成丸、青雲丸といった練習船に乗ってきたが、ドックでの乗船式というのは今回が始めての体験である。
 ここに集まってきているのは神戸、東京の両商船大学の航海科、機関科(原子動力科を含む)の4年生の半数ずつだ。残る半数は現在神戸港に停泊中の青雲丸に乗船しているはずである。この汽船での航海を終えると機関科学生の大半は卒業して就職していくが、我々航海科学生の大半は乗船実習科に進学し、帆船(日本丸海王丸)で半年間の実習を受けることになる。


★12月18日
 今、我々は日立ドックの寮で生活しており、まだ本格的な実習は始まっていない。なんだか中途半端な感じがするが、まあこれもあと3日のことだ。我慢、我慢・・・。
 夕方、散歩上陸(通常17時から22時の間だけ許可される上陸のこと)の許可が出た。乗船していないのに「上陸」と言うのもおかしな話ではあるが、ちょうど良い機会なので堺に住む旧友のS君に会うことにする。
 S君は僕が中高生時代に主宰していた歴史研究会のメンバーの一人だったのだが、「天皇論」「武士道」「国防論」についての造詣が深く、高校時代にはよく熱い議論を交わした仲である。三島由紀夫の「天皇文化論」を援用して日本人の文化的アイデンティティにおける天皇の不可欠性を語るS君と、天皇は実体概念ではなく関係概念なので、それも理解できるが、それが全てはありえないとする僕の議論はいつも刺激的だったが、僕は彼との対話を通じて能天気なスポーツ少年、アウトドア少年から少しだけ脱皮できたような気がする。
 久々に会ったS君は上品なスーツをお洒落に着こなすスマートな青年になっていたが、一緒に行ったレストランでワインを片手に語り出すと、やはりまだまだ熱い! こういう素晴らしい友と人生の折々で邂逅しながら、お互いに刺激を与え合って生きていきたいものである。


★12月21日
 ようやくドックの寮から本船に移る。今日からが本当の乗船実習だ。ちなみに僕は以前大学を1年休学してオーストラリアや東南アジアを旅していたため、今回一緒に乗船する仲間の半数以上は1学年下の連中である。もっとも、あまり誉められた話ではないが、変わり者が多いせいか、人生を横路にそれやすく、留年組の多い商船大学生のこと故、同期の連中や先輩も結構いるから面白い。
 僕のルームメイトは神戸のA君と、東京のK君である。K君は航海科の人間としては珍しく、北斗丸下船後に就職することを決めている。僕を含むほとんどの者は北斗丸下船後も4月から9月までは帆船実習に進むため、就職のことなどまるで頭にはなく、そもそも洋上にいるために就職活動を行うこともできないのだが、世間ズレしたヤツの多い航海科にもK君のような堅実タイプがいることを知りチョッと安心した。


★12月22日
 日立ドックを出て、洲本沖にアンカー(錨泊)。停泊中の我々の生活は朝6時半の総員起こしから始まる。後部甲板上に整列して人員点呼、体操の後、清掃及び練習船名物のタンツーにかかる。タンツーというのは turn to の略で、本来は作業に取り掛かることを意味したのだが、いつの間にか木甲板上の椰子磨りのことを意味するようになったようだ。
 帆船の甲板は全て木甲板(チーク材)なのだが、それには作業時に甲板上を裸足で走り回らねばならぬ故の安全目的の他に、船の美観を保つためや、甲板上の騒音が下の居住区に伝わりにくくするためといった意図がある。が、チークを長持ちさせるためには常に手入れを怠るわけにはいかない。
 そのために我々は毎朝甲板上に海水と砂を撒き、石や椰子の実を半分に割ったものを使ってゴシゴシと磨きまくらねばならぬわけだ。従い、帆船のタンツーは理にかなっていると思うのだが、何故か汽船の練習船までが甲板の一部を木甲板にしているため、我々はここでも毎朝タンツーをやらねばならない。
 ところでこのタンツー、真冬の雪の朝などには長靴を履いてやってもよさそうなものだが、何故か伝統的にいつも全員が裸足になってしゃがみこみ、ゴシゴシとやらねばならない。みっともないと言えばそれまでだし、足の指先がしもやけになったりもするのだが、実際船の仕事の中にはみっともなく見えるタフな作業も多いから、このくらいのことで文句を言ってはいられない。


★12月27日 
 内航の初期訓練を終えて、今本船は東京湾沖に錨泊している。実習生は今日いったん下船して、来月の5日まで正月休みだ。僕らは連絡船に揺られて竹芝桟橋に向かった。冬の竹芝はなんとも言えずクライ雰囲気が漂っている。


★1月5日
 正月休みの間はハチ高原にこもってスキー三昧の日を送ったが、今日また東京へ戻ってきた。友人のCさんがこの春に結婚するというので、お祝いをするため銀座のカフェで食事をした。Cさん、おめでとう。良かったね!
 その後、高尾まで足を伸ばし、造形大学に通う友人T君の下宿に転がり込んだ。新宿を出た頃はちょっと肌寒い程度だったのに、高尾では膝下あたりまで雪が積もっているのでビックリした。久々に二人でジャズやアートの話なんかをしながら、ウィスキーの雪割りと洒落込んだ。T君のような友人とは第三者を交えず、二人だけで飲むのが一番で、そうすると味わいのある話ができる。


★1月6日
 再び竹芝桟橋から連絡船に揺られて東京港外錨泊中の北斗丸に戻る。「どーも、ご苦労様でした! 明けましておめでとうございます!」と、正月ワッチのため帰郷できなかった士官や乗組員の方々に挨拶する。本当にご苦労様でした。
 ちなみに船の組織には、士官と乗組員の区別がある。商船学校を卒業してプロの船乗りになると、三等航海士、三等機関士という下級士官になるわけだが、そうした若い士官が海の古兵そろいの乗組員たちを率いていくというのは容易ではない。僕がこれまでにお世話になった士官の中には、そんな試練を誠実に乗り越えてきた人が多いのが嬉しい。
 もっとも、最近の商船は途上国船社との競合のために、近代化という名の下で凄まじい勢いで人減らしを行っているので、航海士と機関士、士官と乗組員という区別も明確ではなくなってきているのが実情である。一昔前のようなフルキャストの船員が揃っているのは、今や練習船だけだ。


★1月11日
 東京湾を出て三河湾へ向かう。1、2、3年生の頃の国内での乗船実習と比べるとスケジュールは若干のんびりしているが、連続9ヶ月の長丁場だけにあまり焦る必要もないのだろう。
 ところで、航海中の船の1日は4時間毎に6つに区切られ、航海・機関士、航海・機関部員はその内の2回当直(ワッチ)に入る。0時〜4時、12時〜16時はゼロヨン・ワッチと称し、二等航海・機関士がワッチに入る(夜のゼロヨンはミッドナイト直、もしくは泥棒ワッチとも呼ばれ、昼のゼロヨンはヌーン直とも呼ばれる)。4時〜8時、16時〜20時はヨンパー・ワッチと呼ばれ、一等航海・機関士がワッチに入るが、日の出、日の入り時にあたる、何かと忙しい時間帯である。そして、三等航海・三等機関士がワッチに入るのが8時〜12時、20時〜24時のパーゼロ・ワッチということになる。
 勿論、実習生も士官や部員同様にワッチに入るのだが、我々はワッチ以外にも座学としての授業を受けたり、船の保守整備など様々な作業もせねばならぬため、北斗丸ではドックワッチという制度を採用している。
 つまり、実習生のグループを3班ではなく4班に分け、夕方のヨンパー直を16時〜18時と18時〜20時にさらに細かく分けることによって1日を7つに区切るのである。そして、4班がこの7つの時間帯に順番にワッチに入れば、授業などを交代で受ける余裕も出てくるし、遠洋航海に出てからも公平に様々な時間帯のワッチを経験できるというわけだ。
 もっとも、このドックワッチ制は遠洋航海になると、毎日少しずつ生活時間帯が変わるために疲れやすくなるという欠点もある。


★1月13〜14日
 三河湾沖にて抜錨〜発進〜増速〜通常航海〜回頭〜通常航海〜減速〜微速後進〜投錨〜静止という流れで操船実習が行われる。実習生全員がブリッジ(船橋)で指揮を取るキャプテン(船長)、コンパスやレーダーなどを用いて位置を確認するファーストオフィサー(次席一等航海士:今では練習船でしか見られない職名の一つ)、キャプテンの命令と各部署からの報告を伝達し、テレグラフを操作してエンジン回転数を変えるようエンジンルーム(機関室)に指示を出すサードオフィサー(三等航海士)、操舵を行うクゥォーターマスター(操舵士)、また船首で見張りや抜投錨の現場指揮にあたるチーフオフィサー(一等航海士。略してチョッサー)、船尾で見張りなどにあたるセカンドオフィサー(二等航海士)などの役につき、船を自分たちの手だけで動かすのだが、それと並行して各種の実験も行い、本船の操縦性能も調べあげねばならぬため、なかなか大忙しである。


★1月18日
 再び東京に戻り、本船は晴海埠頭に停泊中である。22日の本出航、つまり遠洋航海へ向けての出航を前に、今日の17時から明日の22時まで上陸休暇をもらう。停泊中であっても、授業や各種作業、航海の準備やレポート作成などで結構忙しい。
 この夜、僕は横浜の中華街へ行き、友人のBさんと食事をした。彼女は米系のコンピューター会社で活躍しているのだが、開放度の高い米系の会社であっても日本支社では日本特有の村社会的閉鎖性があって思い切り仕事をすることができないので、ポスティングの機会を見つけてアメリカかシンガポールに移りたいと言う。
 それから、大塚に住む旧友O君の下宿に転がり込む。O君は某出版社で編集の仕事に励んでいるのだが、僕の同世代の友人中では群を抜く読書家だ。「最近は村瀬学という人の本が面白くって!」と語るO君の話を聞きながら、「さすが!」と思った。
 出版界でメジャーかマイナーかということに関係なく現在的な意味合いでの重要なテーマを追及している本というものがあるわけだが、O君はその的を外さない。一緒に軽くビールを飲んだあと、彼は徹夜でやらねばならぬ仕事があるとのことだったので、僕だけ先に眠らせてもらう。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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