拓海広志「アンボン旅日記(1)」

 これは今から10数年前のある年の暮れから翌年始にかけて、インドネシアのアンボン島周辺を旅しながら書いた日記からの抜粋です。


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★12月30日

 インドネシアを旅していて一番面白いのは東の方である。それは具体的に言うとスラウェシからヌサテンガラ、そしてマルクに至る島々のことなのだが、海洋文化の豊かなこの地域を旅してまわるのは楽しい。

 インドネシアでは「東」という言葉には「辺境」という含意があるのだが、ジャワの政治家や軍人が華人財閥の力などを借りて築き上げてきた中央の権力を相対化する視線を獲得し、インドネシアの全体像を知るためにも東インドネシアの旅は必要である。

 ジャカルタからマカッサル(ウジュン・パンダン)まではガルーダ航空機に乗り、マカッサルからはメルパティ航空機に乗り換える。小型の飛行機ではあったが、僕は特に遅れることもなくアンボン空港に到着した。

 マルク州の州都アンボンの市街地は空港から車で40分ほどのところに位置している(途中フェリーを使って湾を横切る時間も含む)。州都とは言え、アンボンの人口は島全体でも7万人。超過密都市ジャカルタからやってきた者の目には島の風景はのどかで美しく映る。

 空港でタクシーを拾った僕はまず市街地の北側に位置する港へ向かうことにした。ここからはかのアルフレッド・ウォーレスが「世界で最も美しい海」と絶賛したバンダ海に浮かぶバンダネイラ島へ向かう船が出ており、次回の旅では同島に渡ろうと考えている僕はその便数などを調べておきたかったのだ。

 ペルニ(内航船社)の事務所で訊ねたところ、バンダネイラ行きの船は毎夕出ているとのことで、それならば便は決して悪くはない。次の旅も今から楽しみになってきた。

 アンボンは古くからマレー半島、ジャワ島とモルッカ諸島を結ぶ中継地としての役目を果たしてきた島だが、16世紀初めにポルトガル船が来航して以来、彼らの根拠地となった。

 17世紀に入ると英・蘭の両東インド会社がアンボイナ(アンボンの旧称)に商館を置き、双方の間で香料貿易の覇権をめぐっての攻防が行われていたのだが、オランダ商館の奇襲を計画していたイギリス商館の動きがオランダ側に漏れ、イギリス人商館員10名、日本人傭兵9名、ポルトガル人1名がオランダ側によって処刑されるという「アンボイナ事件」が起こった。この事件を契機にイギリスは東南アジアから撤退し、その主要な活動の場をインドに移すことになったのである。

 中央マルクはインドネシア共和国が独立するまでオランダの支配下に置かれていたのだが、キリスト教化の進んでいたこの地方はオランダから植民地軍の供給地として優遇されていたこともあり、ジャワ人主導によるインドネシアの独立には反対の動きを示した。その後も中央政府との対立は続き、現在でも一部の過激派がオランダにおいて「南マルク共和国」の独立を掲げて活動している。

 僕は市街地にあるアンボイナ・ホテルに投宿することにした。夕方、街をぶらぶらと散歩してみる。小さいが清掃も行き届いており、なかなかきれいな街だ。東インドネシアの多くの地域と同様に人懐っこい感じの人が多く、あちらこちらから笑顔で声が掛かるのが嬉しい。ことに僕が日本の下駄を履いていたせいか、「おしん!」という声が掛かるのは面白かった。

 街角の食堂に入り、アジの塩焼きと野菜炒めを肴にビールを飲む。アンボン名物には犬料理なるものもあるが、マルクの料理はジャワ、スンダ、バリ、パダン、アチェ、マカッサル、ミナハサなどの料理と比べると特徴に乏しい。

 7人ほどいた色白のウエイトレスたちは皆マナドからの出稼ぎだ。彼女らによるとアンボンの人たちはあまり熱心に働かないので競争が少なく、マナドよりも職を得やすいのだと言う。

 ちなみに、マナドのあるミナハサも比較的早い時期にヨーロッパの文化やキリスト教を受容した地域で、ヨーロッパ人との混血も広い範囲に及んでおり、混血美人の産地としても知られている。

 夕食後、僕は夜風に吹かれながら港のそばのゴトン・ロヨン市場(旧市場)から海岸通りを東へ向かい、メルディカ市場(新市場)の方まで歩いてみた。星空が美しい。

 インドネシアの街はどこでもそうだが、夜になるとそこら中にワルン(屋台店)が出て毎晩がまるでお祭りのような風情になる。それらの屋台を冷やかしながら陽気な人々の輪に入ってお喋りをする楽しみを覚えるとインドネシアの旅は病みつきになる。

 僕は一軒の屋台に入り、熟す前のバナナをサンタン(ココナッツ・ミルク)で煮込んだものにかき氷と練乳を掛けたエス・ピサン・イジョという名の氷菓子を食べた。少し甘ったるいが、なかなか旨い。熱帯で食べてこそ美味しいと感じる味だ。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【アンボンの街にて】


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