拓海広志「日本丸航海記(8)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★7月21日
 コナコーヒーとカジキ釣りのベースで有名なハワイ島のコナに到着。港内の水深が浅いため、港外に錨泊して交通艇での上陸となる。
 ハワイ島は典型的な火山島で、世界最大の活火山であるキラウエアは今もなお噴火を続けている。この巨大な溶岩の塊のような島の海岸へ行くと真っ黒な砂の浜に出くわしたり、溶岩そのものとも言えるデコボコの大岩が転がっていたりする。珊瑚礁に囲まれた他のハワイ諸島の島々と比べると何とも味気ないが、それだけにあまり観光地化されておらず、古いハワイの田舎の香りが残っているのが嬉しい。また、この島は日系移民との縁が非常に深く、スペースシャトルの事故で亡くなったオニヅカ氏もコナの出身だと聞いている。
 僕らはチャーターしたバスで地元のコーヒーミルなどを見学した後、日系人会による歓迎レセプション会場となる公民館に向かった。大きなホールの中に配置されたテーブルの上には地元の方々の手料理がたくさん並べられていた。ポリネシアミクロネシアではカジキなどの刺身にレモンなどの柑橘類を搾った汁を掛けて食べるが、それはここでも出されていた。さっぱりしていて美味く、無理して醤油とワサビで食べるより、この方が良いと思った。
 僕らは席につくと一人ずつ立ち上がって自己紹介を行い、それが終わる度に地元の女性が首にレイを掛けてくれ、頬にキスしてくれる。やがて、日系人会と本船側の双方が用意した出し物を交互に披露したが、今夜のところは我々の忍者喜劇の出番はない。そのうちに地元の方の中から故オニヅカ宇宙飛行士のお母さんとお姉さんが紹介され、一同から大きな拍手を浴びた。かくて、ハワイの田舎の静かで優しいパーティーは続けられた。


★7月22日
 コナ抜錨。機走にてヒロに向かう。


★7月23日
 いよいよ国際祭りの会場となるヒロに到着。岸壁に接岸するや否や、入港歓迎式典が盛大に催され、我々はまた一人ずつレイを首に掛けてもらう。
 夕方からは歓迎レセプション。ヒロはハワイ島最大の町だけのことはあって、レセプションの規模も大きい。ここで我々の班はザ・ドリフターズ風「忍者喜劇」を披露したのだが、こちらの思惑をはるかに上回るバカウケで、長い練習が報われた僕らは大いに満足だった。


★7月24日
 夕方から国際祭りのパレードが行われ、我々はそのトリを受け持って神輿を担ぐことになっている。この国際祭りには日本丸海王丸が毎年交替で招待されているため、何年か前に本船のカーペンター(船匠)の手によって作られた帆船神輿が本願寺の倉庫に保管されており、パレードの度に乗組員と練習生が補修してこれを担ぐのである。
 我々は本船に数人の留守番を残して、全員が法被姿となると甲板上に集合し、S機関長の音頭で清めの酒を飲み干し、本願寺へ向かった。本願寺では既に先発隊の手によって補修された神輿が用意されており、我々は実際にそれを担いでネリの入れ方などを少し練習すると、寺の用意してくれたビールを飲んで景気づけをした。
 かくてパレードは開始されたが、各国代表による様々な意匠を凝らした行進が続いて行くのに圧倒される。しかし、我々はそのトリなのだ。祭りを盛り上げねばならない。皆で「ワッショイ! ワッショイ!」と大声で叫びながら夕暮れの大通りを練り歩く。沿道を埋めた人々は惜しみない拍手を送ってくれ、僕らは祭りの熱気に酔った。
 やがてパレードが終わると、本願寺のホールで本船側と米海軍との交歓パーティーが催される。ネービーのバンドはプレスリーを中心に懐かしいR&Rのナンバーを連発し、連中はさっそく踊り始める。特に恰幅の良い初老の幹部仕官のスマートな踊りっぷりには脱帽した。これはホントに格好良かった。
 やがて酒の酔いもまわり、本願寺ホールは両陣営入り乱れる大ディスコ会場へと様変わりしていったが、テーブルのそこここでは本船側と米海軍側によるアームレスリング大会が行われたりして、大いに盛り上がった。久々に思い切り熱く飲んだ!


★7月25日
 ようやく自由上陸の許可が出たので、W君、M君の二人と共に街に出ることにする。しかし、ハワイ島には路線バスがなく、流しのタクシーなど皆無に近いため、炎天下をひたすら歩いて行くしかない。港から街までは結構距離があるので弱っていたら、1台の乗用車が我々のところで停まってくれた。中には日系人の老夫婦が乗っており、「どこか行きたいところがあったら連れて行ってあげるよ」と言ってくださった。
 老夫婦はOさんという日系二世で、ヒロの市街地近くの住宅に住んでいた。僕らはOさんの案内でレインボーフォールという名の滝を見に行き、それからOさん宅に連れて行っていただいた。
 ハワイの田舎の家はどこでもそうだが、Oさん宅も庭で様々な果物や野菜を栽培している。南国だけにそんなに手間を掛けなくても勝手に成長していくのだ。「ただ、フルーツフライという果物を食べるハエにだけは悩まされるよ」とはOさんの談。
 僕らはそれからOさんの家の近くの公営プールで2時間ほど泳ぎ、庭になっていたパイナップル、パパイヤ、マンゴーなどをたくさん分けていただいた上、船まで車で送っていただいた。
 夕方からは国際祭りの最後の大イベントである「国際演芸の夕べ」だ。これは本格的な大ホールに千人を超す観衆を集めて行われ、ステージ上では各国の代表がそれぞれの国の伝統舞踊などを披露するというもので、我々が今まで各地のレセプションでやってきたような気軽な芸を披露すべき場ではない。
 それにもかかわらず、我々は特別ゲストとして最後にステージに上がらねばならず、なんとも無茶な企画もあったものだと呆れてしまった。
 結局、ここでは有志数名が「大漁節」の歌と踊りを披露し、最後には練習生全員がステージに上がり、「アロハオエ」をハワイ語で、また有名なシー・シャンティの「セーリングセーリング」を英語で歌った。
 このステージの司会(英語)は僕が務めたのだが、ステージを降りて、迎えのバスに乗り込もうとする僕のところに白人の中年女性がやって来て、「素晴らしかったわよ!」と言って小さく折りたたんだ紙切れをくれた。
 バスの中で広げて見ると、それは10ドル札だったので、僕が「なんだか俺たちってホントにドサ回りの旅芸人みたいだよな」と呟くと、皆が爆笑した。


★7月26日
 舷門で当直をしているとカメラマンを名乗る日本人がやって来た。小学館が発行する雑誌で本船の特集をするらしく、そこに載せる写真を撮りに来られたのだ。名前を聞くと水中カメラマンとしてよく知られている武内宏司氏だった。僕はその旨を当直士官に報告した上で、同氏の案内役を引き受けた。
 この日はハワイ最後のイベントとも言うべき武道の交流戦が行われるので、相撲部は昼から、柔道部と剣道部は夕方から会場へ向かった。I次席二等航海士率いる柔道部は果敢にこの戦いに挑んだのだが、有段者がIさん、N君、僕の3名だけではさすがに厳しい。勿論、相手は全員が有段者だし、そのうちの何名かは東海大学に柔道留学していたという強者揃いだ。
 かくて、我が軍は無残な敗北を喫したが(不肖ワタクシも日系四世のS君(東海大留学組)に内股を決められた)、その後の乱取ではお互いに気持ちよく汗を流した。この状況はM次席一等航海士率いる剣道部にしても、船内の重量級を揃えた相撲部にしても同様で、「まあ勝ち負けよりも親善ですよ(笑)」ということでオチがついた。
 その後、交流戦のために武道場を提供してくれた道場主のご厚意による親善パーティーが催され、関係者一同は和気藹々と盛り上がった。我が柔道部は加山雄三さんの「お嫁においで」を、Iさんをリーダーに合唱したが、ウクレレの伴奏は僕が務めた。そして最後は現地の方の指導でフラを踊り、交流会は幕を閉じた。


★7月27日
 ようやく国際祭フィーバーが終わって自由上陸となったが、特に行くところもないので、近くの浜までジョギングし、そこで一泳ぎしてから船に戻った。
 すると先日お世話になった日系二世のOさんが船を訪ねてこられて、「今からうちでバーベキューをするから来ないか?」とおっしゃる。僕は先日一緒にOさん宅を訪ねたW君とM君を探したが、彼らは上陸してしまっていて見つからないので、僕一人でこの招待を受けることにした。
 Oさんの家に行くと息子さんもいたが、日系も三世になると日本語は全く話せない。結局ここでの共通言語は英語になったが、僕は久しぶりにのんびりした雰囲気の中で食事ができ、Oさんに大いに感謝したのである。


★7月28日
 総員で活火山のキラウエア見学。さすがに迫力がある。Kボースンが船内新聞「風まかせ」に寄稿してくださった純白のボースン鳥ともめぐり合えた。


★7月29日
 最後の上陸日。ヒロの歓迎レセプションで知り合った日系人のKさんが船にやって来て、郊外を案内してやろうとおっしゃるので、M君と一緒に出かけた。Kさんは今では少なくなった一世だけに、彼の語るハワイ開拓の思い出話は興味深い。
 様々な日系人ゆかりの地(さとうきび畑、古い商店など)やアカカフォールという滝を案内していただいた揚句、ホテルでのディナーにもご招待いただいた。
 僕の父はかつて南米移民船でも船員をやっていたが、母の方もアルゼンチンに移民した従兄弟が医師をやっていたことから、若い頃はアルゼンチンで看護師修行をしたり、やはり移民船にも乗り込んで看護師として働いていたことがある(両親が出会ったのは、ぶらじる丸の上でのことだ)。
 そんなこともあって、僕は南米やハワイへの日系移民の歴史には深い関心を持っており、そんな話をしたところKさんはとても喜んでくださった。
 「ハワイというと今の日本人は遊びに行くところみたいに思っとるかもしれんが、わしらがここに来た頃は凄まじい暑さと荒れた原野しかなかったよ。だから、わしらはひたすら働いて荒野を耕さねばならんかった。今でも日系の一世は金があっても家でのんびりしとるヤツは少ない。朝から晩まで汗を流して生きるのが性に合うとるんじゃろ。だからこそ開拓なんちゅうことができたんだ」。
 こう語るKさんの瞳はキラキラと輝いていた。仕事も遊びも中途半端な昨今の日本人には耳が痛い言葉である。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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