拓海広志「ボンダイ・ビーチ」

 若い頃に故郷を離れて暮らした町は、人生において大きな意味を持つように思う。僕の場合も20歳代前半に滞在したシドニーと20歳代後半に滞在したジャカルタには特別な思い入れがあり、ちょっと気取った言い方をすると「第二の故郷」のような感覚を持っている。


 基本的にはアングロサクソンの流儀を保持しながらも白豪主義と決別して多文化主義を標榜してきたオーストラリアと、250以上もの民族を抱えながら「多様性の中の統一」を国是として掲げてきたインドネシア。共に様々な矛盾や葛藤を抱えながらも、それらを少しずつ乗り越えようとしてきたこの二つの国での生活から僕が得たものは多い。


 僕はシドニーでは何度か居場所を変えながら暮らしていたのだが、中でも一番住み心地が良かったのはボンダイである。眼前に広々とした太平洋を望むこの街の空気はいつも明るく爽快だが、ボンダイはサーファーたちのメッカでもあるだけに、浜に打ち寄せる波は豪快だ。


 当時の僕は早朝に浜でボディ・サーフィンに興じたあと仕事に出掛け、帰ってきたら砂浜をジョギングし、それからパブで友人たちとビールを飲みながら過ごしたりしていた。世界でも有数の大都市であり、主要な国際港を有するのに、その海の美しさには驚くばかりで、シドニーは海好き、船好きにはたまらなく魅力的なところだが、特に当時のボンダイの海は素晴らしかった。


 ところで、僕が20歳代にシドニージャカルタでの生活を通して学んだことは、人の性格というのは必ずしも固定的なものではなく、むしろ多分に他者や環境との関係に基づく相対的なものではないかということだった。つまり、それぞれの場所でどのような関係が可能であるかによって、人の性格やそれに対する周囲の評価はいくらでも変わりうるということである。


 シドニーのように、互いの相違を尊重した上で、そのポジティブな面を重視し、評価するという文化が根付きつつある社会では、多くの人は比較的自由に自己表現しながら暮らすことができるのかも知れない。他方、ジャカルタのように、出身地のコミュニティから切り離された人々が集い、貧富の差による社会的ヒエラルキーが形成されている社会では、人の性格はしばしば様式的にしか表現されないので、よく気をつけないと個人の顔が見えてこないことがある。


 ボンダイ・ビーチの端には岩場があり、そこには海水を引き込めるプールが作られている。以前僕がそこで泳いでいたときのことだが、プールに両腕のない青年がやってきた。彼は着ていた服を脱ぐとプールに入り、そこに居合わせた人々は別段何事もないかのように彼を受け入れ、彼の方もごく自然に足だけを使って泳いでいた。


 ところが、泳ぎ終わった彼は独力ではプールから上がることができない。すると、それまであえて彼に関わろうとしなかった人たちがサッと歩み寄り、彼を抱えてプールサイドに上げたのである。その時、笑顔の中で交わされた会話は「Good swim !」「Thanks」という、ただそれだけのものだったが、この何気ないやり取りの中に凝縮されたポジティブな関係のありようがシドニーでは可能だ。


 一方、これはジャカルタのような大都市ではなく、ベトナムハノイ近郊の農村を旅したときの話なのだが、僕はそこで葬列に遭遇したことがある。笛や弦楽器を鳴らしながら葬列を先導する楽隊の様子をよく見ると、その内の何人かが盲目であることに気がついた。村の人に尋ねたところ、その村では何らかの身体的障害を持つ人は楽器を練習させられ、葬式の際にこうした役割を担わされることが一般的なのだそうだ。


 これは障害者をシルシ付きの存在として扱っているわけだから、差別と言えばそうなのかも知れない。しかし、視点を変えると彼らを社会の一員として組み込み、生存の為の手段を保証しているわけだから、もしかしたら障害者のネガティブな面のみにとらわれ過ぎて、彼らを眼に見えぬ場所に囲い込みがちな日本の社会より健全なところがあるのかも知れない。


 先日、久しぶりに訪ねたボンダイ・ビーチを、カモメと戯れながら歩いてみた。ボンダイの海はいつも大らかで、開けっぴろげだ。逞しいライフセーバーたちも、サーファーたちに対して日本の市民プールの監視員のようにうるさいことは言わないし、過保護な関わりは一切しない。海に出る者が自分の身を自分自身で守るのは当然の義務なのだから。


 しかし、ひとたび何かが起こると、ライフセーバーたちは驚くべき技量をもって危機に瀕したサーファーを波間から救い出す。その様は惚れ惚れするほど見事だが、だからと言って彼らが溺れかけたサーファーに恩を売るわけでもなければ、小言を言うわけでもない。


 社会学には、自助の実現のためには互助、共助、公助が不可欠だとか、自立と依存は反対語ではなくて共存せねばならぬものだといった考え方があるが、そんなこともこの浜の様子を見ているとごく自然に首肯できる。ボンダイがいつまでもそんな爽やかなビーチであり続けてほしいものだ。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



シドニー在住時の僕をよくセーリングに誘ってくださったヨットマンのハイエスさん夫妻】





シドニーにて】


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