拓海広志「キラキラの国の四方海話」

 これは1996年12月に奈良県十津川村で催されたアルバトロス・クラブのシンポジウム「大いに語ろう! インドネシア」からの抜粋です。このシンポジウムでは僕の他に、国際交流基金小川忠さん、那智山青岸渡寺高木亮英さん、料理研究家坂本廣子さん、龍谷大学生(当時)の嶋田ミカさん、ヨットマンの高橋素晴さんが、それぞれにとってのインドネシアを語りました。


   *   *   *   *   *


 こんにちは、拓海広志です。皆さんが真面目なテーマでお話されているのに、自分だけ「何を話しても許される」といった感じの緩いタイトルにしてしまいました。ごめんなさい(笑)。


 僕は1992年から今年(1996年)までの4年強をジャカルタで暮らしたのですが、自分がインドネシアについて書く際にはインドネシアのことを「キラキラの国」と称しています。「キラキラ」というのはインドネシア語で「アバウト」すなわち「曖昧さ」を意味する語です。それはあの国で見る太陽や星の輝きをも表しているようで、僕の大好きな言葉なんです。


 「曖昧さ」を社会システムの中でどのように許容するのかということは、非常に重要な問題だと思います。通説では、インドネシアには250以上もの民族がいるとされています。このような世界でそれぞれの人が自分の主張をまともにぶつけ合うと大きな摩擦が生じかねませんが、そうしたことを融和するための方便の一つとして「キラキラ」なるものがあるとも考えられます。


 僕はインドネシアでは様々な人とお付き合いをしました。ビジネスで関係の出来た人たち。僕がこの国でバックパッカーをしていた学生時代に知り合った人たち。海や音楽、スポーツ、旅を通してできた数多くの仲間たち。それに加えて古くからインドネシアに住んでいる日本人の方々にも大変可愛がっていただきました。


 僕が親しくお付き合いをしている人の中にマジック、つまり呪術を使う人が何人かいました。ジャワではこうしたマジックを用いて祈祷や治療を行う人のことをドゥクンと呼びます。インドネシアにはイスラム教の他にキリスト教ヒンドゥー教などの宗教が見られますが、それらの信仰を一皮剥ぐとアニミズム的な土俗信仰が顔を出してきます。ドゥクンはそうしたアニミズム信仰の上にあるもので、彼らの多くは日常的にはイスラム教徒やキリスト教徒を名乗りながら、実際にはその教えと矛盾する神秘的な行為を行っています。


 庶民が日々の暮らしの中で何らかの問題や悩みを抱えたとき、また幾つかの選択肢の中から適切な回答を見いだせないときなどにドゥクンのところへ足を運ぶというのはよくあることで、スハルト大統領なども自分の周囲に優秀なドゥクンを数人抱えていて、重大な政治決断を下すにあたって彼らの助言を参考にしていることはよく知られています。以前ボゴールでAPECが開催されたときにもスハルトはドゥクンたちに雨除けのまじないをさせ、その結果雨季であったにもかかわらずAPEC期間中は全く雨が降らなかったという話もあります。


 タンジュン・プリオク港近くのスンタールという地区の路地裏に、僕の友人のドゥクンが住んでいます。彼は日中は外で仕事をしており、夕方に帰宅するとマンディ(水浴び)をして身を清めた後、霊を降ろして人々の相談に乗ります。彼の狭い家には中年の女性を中心に実に多くの人が訪ねてきて、神経痛が治らないとか、商売がうまくいかないとか、夫との関係がうまくいかないなどといった様々な悩みを、霊が憑依してトランス状態にあるドゥクンに訴えます。ドゥクンの方は霊の言葉で相談者に様々な助言をしていくのですが、そんな最中でも奥の方から彼の妻が「チョッとあんた」なんて呼ぶと、すっと素の状態に戻って「何や?」と応えたりもします(笑)。それはかなり滑稽なことなのですが、その場に集っている人々はそのことをあまり不自然には感じていないようでした。


 そこでは「何でそこまで喋んの?」と言いたくなるほどペラペラと、人々は自分の秘密の悩みをドゥクンに打ち明けていきます。そしてドゥクンと様々な会話を交わした後は、自分なりに得心したり、安心して和やかな気持ちになったりするようです。そういう光景を見ていると、このドゥクンは中上健次の小説に出てくるオリュウノオバという路地の巫女的な人物と似た存在なのではないかという気がしてきます。もしかしたらドゥクンのところに集まってくる人たちは彼が真の霊力によって自分の問題を解決してくれるとは思っていないのかも知れず、彼は路地という地域社会に根付いた一種のカウンセラーのような存在のようにも見えます。


 僕にも神戸の垂水や長田の路地裏というのが幼少期の原体験の一つとしてあるのですが、そこにはそうした無意識のカウンセラーがいたように思います。子どもたちも自分の両親には決して話せないことを、そのおばちゃんにだけは素直に何でも話せてしまうというような人ですね。今の日本社会ではこうした存在を見かけることが少なくなっていますが、インドネシアではまだたくさん見かけます。ドゥクンについても呪術師、呪医といった面だけではなく、地域社会における無意識のカウンセラーとしての側面をちゃんと見ておきたいと思います。


 ドゥクンは正式な医者ではないのですが、伝統療法の知識を持っているドゥクンであればジャムゥと呼ばれる民間薬を用いて医療行為を行いますし、一種の催眠術を使って神経症などの治療を行うこともあります。こうしたことはかつて日本でも山伏がやっていましたし、民間療法についても「ヤブ医者」という言葉の中に名残があります。「ヤブ」には通常「藪」という字を当てますが、元来は巫覡の「巫」という字を使って「野巫」と書いたと言います。「藪医者」を「野巫医者」と書き改めてみると、その本来の意味や存在感が伝わってきますが、それはドゥクンとも通ずるところがあるのではないでしょうか?


 それにしてもインドネシア人というのは、ジャカルタのオフィスでスーツを着て働いているエリート・ビジネスマンのような人であっても、スーツを脱ぐとアニミズム的な感性を強く持っており、ビジネス上でのことでも平気でドゥクンに相談したりしますので、そのギャップはとても面白いですね。日本企業の駐在員の中にもそういうことを仕事の中で体験している人はいますが、なかなか東京の本社にはそのまま報告できないようなこともあります。


 マジックの中に「ケトック・マジック」なるものがあります。これは東部ジャワのブリタールに伝わる秘術でして、何をするのかというと要は車の修理屋なんです。マジックで人間の怪我や病気が治るというのは、「病は気から」とも言われるように人間の精神と身体の関係性のことを考えるとある程度は理解できるのですが、マジックの力で壊れた車を直してしまうというのは、チョッと僕らの理解を越えています。ところが、インドネシア人の中には「ケトック・マジック」を信じている人がかなり多いのです。


 僕は日本の某建機メーカーがインドネシアに作った合弁工場の仕事に携わったことがあるのですが、ある時日本から送られてきたCKDパーツがその輸送途上においてダメージを受けました。通常ならばサーベイヤーを入れてダメージの程度を調べ、それに応じて保険求償を行う一方で損傷個所の修理もしくは代替品入手の手配を行うのですが、何故かこの合弁工場で働くジャワ人の調達部長はそれらを一切行いませんでした。で、どうしたかと言うと、密かに「ケトック・マジック」に運び込んで修理してしまったのです。これはなかなか、日本本社の人たちには報告できない事件ですね(笑)。


 少し話を変えましょう。先ほど坂本廣子さんから料理の話がありましたが、インドネシアの料理にはかなりバリエーションがあって、「インドネシア料理」と一言で呼ぶのは少し無理があるように思います。東インドネシアのマルク地方はかつて香料諸島と呼ばれていましたが、チェンケ(クローブ)もパラ(ニクズク)も昔はこの地方でしか採れなかったため、大航海時代にはヨーロッパの列強がここに殺到した歴史を持っています。またさらに歴史をさかのぼると、香料諸島は2世紀頃からジャワ、スマトラ経由で中国への香料輸出を行っています。


 そんな風に香料の産地として有名なインドネシアなのですが、インドネシア人たち自身は香料を使って調理をするということはあまりしませんでした。ところが、後にインドで洗練された香料料理の文化がマレー半島を経てスマトラ地方に入ってきたために、スマトラのパダンやアチェの料理はスパイシーなものになったのだと思います。しかし、料理に香料を用いる度合いはジャワ、バリと東に進むにつれて少なくなり、マルクやイリアンジャヤなどのサゴ食圏に至ると料理に香料はほとんど使わなくなってきます。


 料理一つをとってみても非常に多様性のあるインドネシアだけに、「インドネシア人」という概念・意識の共有度についても微妙な点があります。インドネシアでは各民族ごとにジャワ人、スンダ人、バリ人、ミナンカバウ人、ブギス人、アチェ人などといった意識は強く見られますが、インドネシア人という意識は必ずしも強くありません。1920年代にオランダからの独立を目指す若者たちが集まり、当時は東インドと呼ばれていた島々を「インドネシア」と称し、ムラユ語を「インドネシア語」としてこの島々の共通言語にしようと決めたときに、「インドネシア人」という民族概念が誕生しました。しかし、インドネシアが実際に政治的な独立を獲得したのは第二次世界大戦後に日本、次いでオランダが撤退してからのことですから、この新しい意識が国民に十分浸透していないとしてもそれは仕方のないことでしょう。


 こうした中でインドネシア政府は「インドネシア」意識を国民全体に浸透させるべく様々な努力をしてきました。我々が「インドネシア人」「インドネシア語」「インドネシア料理」などという言葉を使う際には、こうした背景を知っておく必要がありますし、政治的な思惑によって作られた虚像としての「インドネシア」に惑わされないようにせねばなりません。そうしたことは、ジャワ島を一歩出て、ジャワ人たちが外島と呼ぶ他の島々を旅しながらインドネシア各地の実像を見て回ると少しずつわかってきます。


 しかしながら、ジャワ人の政治エリートたちの統治術は非常に巧みですし、ジャワの貧農層は政府が進める「トランスミグラシ(移住政策)」によってインドネシア各地に移住しているため、ジャワ人の政治指導者たちによってジャカルタで作られた「汎インドネシア」というイメージは徐々にインドネシア全土に浸透してきているようにも思えます。これは料理についても言えることでして、ジャカルタで洗練されたメニューがメディアの力なども借りながらインドネシア各地に普及していき、それが「インドネシア料理」として認知されていくといった例もあるようです。


 さて、インドネシア多民族国家であることはわかっていただけたと思いますが、民族によってその性格とか行動様式が異なるという点については、大方の日本人の想像の及ばぬところだと思います。先ほどの嶋田ミカさんのお話にもあったように、ジャワ人というのは概して温厚で人間関係を円く治めることの巧みな人たちですが、近年のトランスミグラシによるものは別として、元々はそれほど移動性向の強い民族ではありません。一方、パダン料理で知られるミナンカバウ人には商才のある人が多いのですが、出稼ぎをしながら遠方の地まで拡散していく傾向があり、ブギス、マカッサル、ブトンなどの海洋民族と同様に移動性向の強い民族だと言えます。また、移動性性向ということで言うと、漂海民のバジャウのように移動それ自体が生活であるといった人々もいます。


 こうした民族の違いというものが今後どうなっていくのかは興味のあるところですが、一つ言えることはジャカルタ、スラバヤ、スマラン、バンドン、メダン、デンパサール、ウジュンパンダン(マカッサル)といった大きな町の都市化、特にジャカルタコスモポリタン化は急速に進んでおり、その結果として首都ジャカルタと東京の間の距離はジャカルタインドネシア各地間の距離よりも小さくなってきたような気がします。ですから、皆さんが東京からジャカルタを訪ねたときに目にするものは、インドネシア各地、特に都市部以外のところの実像とはかけ離れているかも知れません。


 それでは、そうした地方というものも今後はジャカルタに巻き込まれていくのでしょうか? 僕は大きな流れとしてはそれは避けがたいと思っていますが、それが日本の場合のように強固な形で進んでいくとも思いません。現在のインドネシアには大きく分けて二つの世界があります。一つはジャカルタなどの大都市及びそこと経済的に深く結びついた世界。もう一つは経済的にかなり閉じていて、都市と繋がっていない世界です。先ほどの嶋田さんのお話にあったパサールというのは微妙な存在でして、それが閉じた世界の中心であるという場合と、そこから都市と繋がり外界に向かって開かれていくという場合の両方があるように思います。


 そこで外部からインドネシアの社会を眺める者が不用意に「貧富の差」なんてことを言う前に、その差が社会的に問題となりうる社会であるのか、あるいはそんな差には本質的な意味はないと見なしうる社会なのかということを、一つ一つ丁寧に見ていく必要があるように思います。インドネシアの場合は後者に属する社会もまだ残っており、そこには近代的な市場経済のもたらす豊かさとは異なる豊かさも存在するからです。


 それでは「四方海話」の風呂敷をもう少し拡げるために、これからフリーディスカッションに入らせていただきたいと思います。ご質問、ご意見をいただけますでしょうか?


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


テロと救済の原理主義 (新潮選書)

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鳳仙花―中上健次選集〈4〉 (小学館文庫)

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拓海広志「グローカルな仕事と人生について考える」

 立教大学で教鞭をとる畏友・加藤晃生さんが今期限りで大学を去る決断をされたので、僕からの餞(はなむけ)として昨年末に彼のゼミの学生を対象に半日ワークショップを行いました。題して「グローカルな仕事と人生について考えるワークショップ」。アジェンダは以下の通りで、第1部は僕が講義をしながら、参加者に様々な質問をしたり、意見を出してもらい、全員での討議。そして、第2部はテーブルを幾つかのグループに分けて、食事をしながらの座談でした。


 第1部(昼の部):立教大学池袋キャンパス10号館
 *イントロダクション(1115−1145)
 *テーマ1「渡海―人はなぜ海を渡るのか?」(1145―1330)
 *テーマ2「ロジスティクスが産み出す価値について」(1345−1545)
 *テーマ3「仕事が産み出す価値:真の人財とは何か?」(1600−1745)
 *クロージングセッション(1745−1815)
 第2部(夜の部):立教大学池袋キャンパス5号館「レストランIVY」
 *テーマ4「グローカルな仕事と人生について」(1830−2100)


 教室のスペースの関係で、受講者66名、オブザーバー12名という定員を設けたのですが、加藤ゼミ以外の立教大生や神戸大生、茨城大生、早稲田大生、東京海洋大生、山形大生なども参加したため、募集開始後すぐに定員に達してしまいました。ちなみに、オブザーバーは加藤さんをはじめとする立教大や茨城大の先生方、あるいは様々な企業の第一線で活躍している方々で、夜の部はオブザーバーが各テーブルの議論のリード役を務めてくださったことで、内容の濃い話ができたと思います。


 受講者の方々が提出してくださったレポートの中から、幾つか抜粋して以下に紹介させていただこうと思います。今回のワークショップでは、僕は敢えて「グローカル」という語の定義を明確にせぬまま、オムニバス的に3つの話をすることで、受講者の方々に「グローカル」を具体的にイメージしていただこうとしました。今回レポートを提出してくださった受講者の方々とは、2−3月中にフォローアップセッションを行う予定なので、そこでさらに明確なイメージをつかんでいただきたいと思っています。


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※Aさん「今回のワークショップに参加したことで、これまで自分が考えていたことに自信を持つようになった。私は元々「人それぞれ」といったような言葉が嫌いで(それはもちろんある程度は正しいことだと思うし、基本的にどんなケースにも当てはまると思うが)、そこで思考停止してしまう人が周囲に多すぎるように感じていた。それぞれの人や地域にそれぞれの考え方・文化があるのは当たり前のことであって、私たちはそこに自分がどのようにアプローチをかけていくべきか、ということまで熟考した上で生きていかなければならない。私も、これからはこれまで以上にバックグラウンドの異なる人と出会ったり新しい世界に触れたりすることが多くなると思われるので、思考停止しないことを常に念頭に置いて、しかしローカルな文化に対する配慮も忘れずに生きていこうと思う。うまくバランスをとりながら」


※Bさん「拓海さんの話はいつも非常に興味深く聞いています。なぜなら、それは拓海さんが愛をとても大切にしているからです。ぼくはビジネスをしたいと、拓海さんと出会ってから考えるようになりました。それは拓海さんが仕事をする上で最も大切なことは、愛を持ってサービスを提供することであるという話をされていたからです。今回のワークショップの中でもやはりこのワードが出てきましたし、何より拓海さんの話は人を切り離して考えることはできないのです。それは拓海さんが人を最も大切にしているからだと思います。ぼくも人を大切にして、愛を表現できるような大人になりたいと思いますし、そのような気持ちをさらに刺激してもらえたワークショップでした」


※Cさん「過去にこのようなワークショップに参加した事がなかったのでとても新鮮で、新しいことに目を向ける機会となった。講義が始まったばかりの時は、「グローカル」を軸として構成された話の共通点が見えずに漠然としていたが、7時間の講義を全て通して聞いて、感じて、考えて、自分なりの「グローカル」の意味についてイメージが出来るようになった。私が感じた「グローカル」の意味とは、多数派と少数派の相互作用である。グローカル(多数派)とローカル(少数派)はお互いに目を向け、尊重し合い、刺激し合える関係でありたいと思う」


※Dさん「グローカルとはある特定の地域・場所で起こっていることを、そこだけではなく広い視野で物事を捉えることだと私は考えている。私は現在就職活動を行う中で、「グローバルな企業を目指しています」と日本の多くの企業が言っていることに気づいた。しかしこれからは、国家の垣根を超越した状態のことであるグローバルだけでなく、ローカル性も踏まえた「グローカル」な企業になるべきだと考えている」


※Eさん「グローカルとは、あるモノとあるモノが自身のオリジナリティを失わずに相互に関わることだと思います。そしてその2つの異なるモノが出会うことによって、今までになかったような別のモノが生まれるというところまでがグローカルだと考えました。この一連の流れの中で、個々のオリジナリティを失わないということが重要です。私がこのワークショップに参加したことで気づいたのは、相互理解の大切さです。口でいうのは簡単ですが、実際に実行した経験を持つ拓海さんから直接話を聞けたことで、改めてその重要さを認識することが出来たと同時に、今までに考えてもみなかった「グローカル」ということについて、自分なりに考えて定義できたことも良かったです」


※Fさん「お客様に提供する「価値」に関するお話が非常に印象に残っている。そこで得たものは、さまざまな価値の中で最も大事なものは「信頼」であるということである。また、お客様、会社、自分という三角関係の中で、会社やお客様と一緒に成長することが大切だということも知ることができた。お客様の幸せを願い、会社にとって必要な存在となれるように、自分もこれからがんばっていきたいと思った」


※Gさん「世界全体での共通な価値感、考え方を「グローバル」と言えるのではないかと思います。一方で「ローカル」の場合、世界規模ではなく個々の地域ごとの価値観、考え方と捉えることも出来ると思います。このように考えると、「グローカル」とは、個々の地域ごとの価値観や考え方を受け入れつつも、世界規模での価値感や考え方を持つことではないかと思います。これからの世界では、グローバル、ローカルといった風に物事を捉えるのではなく、多様でグローカルな物の見方が必要であると思います。このことは各個人における仕事への価値感、生き方等を考える上でも重要な見方になってくると私は考えます」


※Hさん「拓海さんは講義の中で、自分は文化相対主義者ではないとおっしゃっていた。私は最初、「グローカル」と文化相対主義は同じような意味なのではと思っていたので、その発言に疑問を持っていた。しかし、今では大きく違うと思う点が1つある。文化相対主義には、「文化はそれぞれ違うのだから」と、ローカルを受け入れる姿勢が欠如している。それに対して「グローカル」はローカルを深く理解することが求められる。つまり「ローカルの文化を受け入れるのかどうか」ということだ。単に文化相対主義に則るのではいけない。ローカルをよく知り、その文化にグローバルな考えを適用させるにはどうすべきなのか。すなわち「グローバルにローカルをみること」が私にとってのグローカルである」


※Iさん「私にとって、仕事は人生の一部である。ゆえに、生き方がグローカルにならなければグローカルに仕事をすることは不可能だと思う。そこで、拓海さんは「グローカルな生き方」をしているように見える。拓海さんは自分の価値観を相手に押し付けるわけではなく、それとなく感じ取らせる。このような姿勢こそが「グローカルな生き方」なのだと感じた。また、そんな生き方ができているからこそ、「グローカルな仕事」について考えることができるのだと思う。私は、グローカルな仕事をするためにも、まずはグローカルな生き方をしていきたい。そのためには様々な「ローカル」について考えていく必要がある。今まで、自分にとっての「ローカル」を重視するあまり、他の「ローカル」に目をやることが少なかった。これからは、多くの「ローカル」に触れ、もっと「グローカル」な考え方のできる人間になりたい」


※Jさん「私たちは今までグローバルな文化の弊害を多く見てきた。グローバル化を、ローカルな目線、グラスルーツから考え直していくのがグローカルなのではないか。まさに拓海さんたちがヤップで行ったNPO活動がその典型例だったと私は考える。地域で今まで引き継がれてきた「物語から生まれる」本物の価値を見つけ出し、その実現を支援する。そしてそこからグローバルとは何か、それが生み出す弊害と今後のグローバルのあり方とは何かを考える。そんな姿勢こそグローカルな姿勢と言えるだろう。グローバル化が世界規模の情報共有を実現し、その一方で民族の多様性を奪ってしまった世の中で、ローカルな文化を今一度掘り起し、地域から生まれた本物の価値を再評価しグローバルを考え直す、「グローカルな考え」が今重要になってきているのではないか?」


※Kさん「本講義内にて、航海術の基本は「自分の居場所を知ること」&「自分の進むべき道を知ること」という話があった。近現代の航海計器に頼らず、大海原を自分の身体感覚や経験、受け継がれてきた手法のみで航海するためには地球全体と対話する必要がある。しかし、風や波のうねり等の自分の目の前にある変化にも敏感でないといけない。つまり、自分の身辺の些細な変化や様子を気にかけつつも、身辺を取り巻く環境にも敏感でいなければ、現在の居場所を知って今後進むべき道を導き出すことはできないのだ。文字通り、海を渡るには、地球というグローバルな視野を持ちつつ、身の回りのローカルな視点を失わないことが重要だと私は考える。私は拓海さんがこの講義を一番目に選んだ理由として、まず「私」という最も身近な題材でグローカルに考えることが、仕事・人間関係・生活、全てにおいて物事を見る基本になるからではないか推察する。したがって、海を渡るテーマでのグローカルに関する講義であったが、自己理解をする視点としてのより広義な意味合いも認識することができた」


※Lさん「ワークショップを通じて、グローバルとは「地球規模で通用する普遍的な価値基準や思想」であるという考えに至った。例えば、ワークショップの中で出てきた「人財=仕事を通してお客様や仲間、社会に価値を提供できる人&仕事を通して自分の人生を価値あるものにできる人」という考え方は、どんな場においても通じるグローバルな考えであると言える。また、グローバルは普遍的な価値基準であるので、この考えを身につけている人は、アフリカなどで行われている女子割礼のような明らかに虐待と言えるような風習に対し、グローバルな価値基準から逸脱しているとして、しっかりと批判をすることが出来る。それに対して、ローカルとは、自分を含めた個人が、今まさに立っている場所のことであり、個人の行動がその人の周りに影響を与えることである。「グローカル」はここで述べたグローバルとローカルの概念を組み合わせたものであると言える。つまりグローカルとは、「地球規模で共通また、通用する普遍的な価値基準や思想を備え、自分の足元から行動すること」であると私は考える」


※Mさん「今回のワークショップを通して、私の仕事についての考え方が大きく変わった。「趣味を仕事に」とはよく言われる言葉であるが、後半のワークショップの中で拓海さんから「仕事を趣味に」という言葉を聞いたのは、衝撃的であった。正直なところ、私は将来仕事に就くということがかなり怖かったのだが、この言葉を聞いて仕事に対する価値観が大きく変わり、今では仕事に就くことが楽しみに変わった。自分に関わる多くの人に価値を提供することができ、そのような過程を通じて自分が成長していくことが出来るような仕事をし、またそれが「趣味だ」と言える人間になりたい!」


※Nさん「私が特に惹かれたフレーズは「イメージの力で海を渡る」だ。島と島、国と国、あるいは人と人の間には茫洋とした海原が広がっている。それを越えるには、技術や体力、心の強さが求められるだろうが、何にもまして重要なのは、その海をいかにして超えるかという想像力、つまりイメージの力なのだと私は受け取った。「わたし」と「あなた」はそれぞれ異なった存在であり、わかりあえないかもしれない。「わたし」は「あなた」に自らの価値観を押し付けることはできないが、共感することはできるかもしれない。目の前に傷ついた他者がいたとして、それを無視できる人がいるだろうか。傷ついた生身の他者が現前したとき、人は彼(彼女)に感情移入せずにいられないだろう。そのとき文化や宗教などの些細な違いは抹消される。拓海さんが旅の果てに感じたのは、そのようなことではないかと勝手に想像する」


※Oさん「私にとってグローカルとは、グローバルとローカルな視点を往還することによって、共感可能性を押し広げていくための技術であるように感じた。拓海さんの豊富な経験とそれに裏打ちされた思想(という言葉は強すぎて好まれないかもしれないが)が言葉の端々から感じられるレクチャーで、私自身まだワークショップで聞いた話の全てを吸収できないでいる。しかし、これは恐らくボディブローのようにじわじわと効いてくる類のものだと思うので、今後の人生において自分がいかなる道を歩もうとも、ここで教わったことを羅針盤として、あるいは歌として、参照していきたい。そしていつの日にか、自分もそれを語り継ぐことができたらなと思う」


※Pさん「初めに講演の構成を見たときは各部がどうグローカルとつながるのかまったくわかりませんでしたが、後から振り返ると全てが繋がっていたのだと気づきました。今回の一番大きな学びはグローカルの意味を深められたことですが、他にも多数印象的だったことがあります。例えば、エスキモーやヤップの人たちのおかれている経済状況についてお話しがありましたが、支配の関係の中で保護されているというのは、東日本大震災の被災者と国の関係にも似たところがあるように感じました。職場でのモチベーションの維持には、コミュニケーションの量と質、そして仕事の進捗管理が重要であることや、マネージャーが身につけるべき能力についてのお話は、サークルのまとめ役として運営に行き詰まっていた自分に大きな示唆を与えてくれました」


※Qさん「慣習・環境から生まれた多様なローカルな文化と、それを束ねるように存在する、基盤となるグローバルな視点。そのような二方向の視点を持つ事が「グローカル」といえよう」


※Rさん「ビジネスとは「信頼関係」のことであるという話を聴いて、自分の仕事への意識が大きく変わった。正直な話、「ビジネスパーソン」なんていうと、すごくかた苦しい人とか、プライベートは一切分離したような人だと勝手に想像していたので、自分とは遠い話だと思っていた。しかし拓海さんは、仕事と言う概念を新しいやり方で説明し、希望ある未来を提示してくれた。「価値を生み出すための仕事」というごく当たり前の事を、ご自身が実際に成し遂げたという事実に基いて具体的に示してくださり、刺激的だった。夜の座談会では、「趣味を仕事にするとつまらなくなってしまうのでは?」という私の質問に対し、さらりと「趣味を仕事に、じゃなくて、仕事を趣味にすれば良いんだよ」という答え。単純なようだが、この答えは私にとってまさにパラダイムシフト的衝撃となった。当たり前の事なのだけれど、なかなか気付かない事に気付かされた」


※Sさん「私は、ある伝統が誰かの手によって革新され、世界中に受理されて、初めてグローカルと言えるのではないかと思います。伝統だけでもなく、革新だけでもなく、受理だけでもない。3つが重なって初めてグローカルと言えるのではないでしょうか。モノも人も全て、この3つの段階を踏むことによって、初めて価値が出るのだと思います」


※Tさん「自分とは関係ないと投げるのではなく、「自分だったらどうするだろうか?」と考えること自体が、「グローカル」への第一歩なのだろう」


※Uさん「どんな地域・国・地方・コミュニティでも通用する普遍性と、その人間にしかない細分化された専門性。この2つがあって初めて、グローカルな人生を謳歌できるのだと感じました」


※Vさん「ヤップ〜パラオ間の石貨交易航海再現プロジェクトに関する話は、実は世界の至るところで行われているビジネスとフレームは同じなのだと感じました。プロジェクトを進めるためにヤップ島内の村長たちとの意思疎通や資金集めに時間を掛け、たとえ文化復興のイベントと言えども、プロジェクトを進めるためにビジネス感覚を持った現地の人にキーパーソンとなっていただいた話など、場所やプロジェクトの概要が一見「ローカル」に見えても、実際のプロジェクトの中身は世界的に行われているグローバルなビジネスと同様であり、このプロジェクトはそうしたビジネスの手法をヤップに合うように応用させたものだったのだと気付きました」


※Wさん「今回のワークショップでは、どの話も大変興味深く自分の世界観が大きく広がりました。そしてこれからの私の人生を後押ししてくれるような内容でした。私は拓海さんの考え方はとてもシンプルなものだと感じました。自分と他者がつながっているように捉え、正しいという自分の直感を突き進めていくということ。これは私にはできていなかったことです。本当はそのような価値観を持っているのに、論理や理屈を述べて隠してきたのかもしれないとも思いました。また、たくさんのことに興味を持って行動していく実践力は単純に楽しそうだと感じ、自分にも身につけたいと思いました。こうしてたくさん教えていただいたことを、いつか実行できる人間になりたいです」


※Xさん「私の中でこのワークショップを通して変わったことと言えば、ビジネスに対する姿勢がまじめになったことです。私は所詮学生であり、どんな経済論やビジネス・コミュニケーションを勉強しても、「まあいいや」という考えが今までは心のどこかにありました。しかし、根本の部分、特に人間関係については社会と何も変わりません。今回のワークショップに参加して、私達大学生がモラトリアム人間であることを理由にして考えることを辞めてしまっているのはとても勿体ない気がしました。幸いにも3年生にしてこのことが学べたので、残りの学生生活を有意義に過ごしたいと思います。視野を広げ、「なぜ? どうして?」という疑問を常に持ちながら日々を歩んでいきたいと思います」


※Yさん「ヤップ島でのプロジェクト、ロジスティクス、マネジメントについての3つの講義で学んだ共通のポイントは、やはりコミュニケーション能力の大切さである。実際に、今回のワークショップで地方からもたくさん参加者がいたこと、FBなどから伺える拓海さんの人脈の広さなどから、それはグローカルな仕事にとって欠かせないものなのだろうと思った。そして自分に足りないものでもあると感じた。私はデザイン事務所でもアルバイトをしているが、その中で社内のコミュニケーションは本当に大事なものだと日々実感している。それ次第で仕事の進行具合や出来さえも変わってくることもある。逆に技術だけあっても、コミュニケーション能力がなければ必要とされないこともあるのだと思った。今回のワークショップを通して、コミュニケーション能力の向上という自分の新たな目標が見えた気がする」


※Zさん「今回「グローカルな仕事と人生について考える半日ワークショップ」において、グローカルという言葉は「その人自身をローカル、その周りの人や世界をグローバルと捉えて、その間の交流ということにも応用出来る」というオブザーバーの方の言葉を聞き、そのような見方も出来るのかと感銘を受けました。グローカルの意味を考える時に日本と世界をイメージしていた私にとって、そのように一個人単位の視線は衝撃的で、今後科学の発展に伴ってローカルが地球、グローバルが宇宙というようにビジネスや生活スタイルが広がっていっても面白いなと感じました」


 ※関連記事
 拓海広志「立教大学にて・・・」


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 ワークショップに参加してくださった皆さん、ありがとうございました。また、お会いしましょう!


(無断での転載・引用はご遠慮ください)






【ワークショップ・昼の部と夜の部の光景】


ビジュアルでわかる船と海運のはなし

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星の航海術をもとめて―ホクレア号の33日

星の航海術をもとめて―ホクレア号の33日

拓海広志「続々々・神戸大学にて・・・」

 2009年、2010年、2011年に続いて、今年も神戸大学キャリアセンターの依頼で、同大学全学部の希望者を対象に「職業と学び−キャリアデザインを考える」というテーマの授業を行いました。


 2009年の授業は「モノを運ぶことは、心を運ぶこと−国際物流と貿易の仕事、そしてNPO活動を通して」というタイトルで、僕の海との付き合い方と旅の話、貿易・国際物流・ロジスティクス・SCMと仕事の話、国際・民際交流や環境活動支援などのNPO活動の話、僕がかつて「アルバトロスクラブ」というNPOにおいて実現した「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海再現プロジェクト」の話、異文化コミュニケーションとMulti Cultural Managementの話、神戸が持つコスモポリタンな文化土壌の話などをネタにしながら、学生たちとの対話形式で進めました。


 また、2010年の授業は「越境するモノたち―物流におけるグローバル化」というタイトルで、モノの調達、製造、販売のグローバル化が加速する中で、そのSCMとロジスティクスの現場がどうなっているのかといったことや、ビジネスコミュニケーションのあり方について、学生たちとの対話形式で進めました。


 2011年は「価値を生み出す仕事とは?」というタイトルの授業を行いました。まず、バリュー・チェーン、バリュー・プロポジション、またカスタマーエクスペリエンスの考え方の基本を学生たちに説明した上で、仕事の連鎖の中でどうすれば顧客や仲間、社会への「価値」を生み出すことができるのか、また最高の価値である「信頼」をどのように築いていくのかについて、やはり学生たちとの対話形式で進めました。


 そして、今年の授業は「真の人財とは何か?」というタイトルで行いました。僕は仕事における「人財」の定義を「仕事を通してお客様や仲間、社会に対して価値を提供でき、かつ仕事を通して自分の人生を価値あるものにできる人」だとしています。また、巷間ではよく「今はグローバル人材が必要な時代だ」といった話が出ますが、僕はただのグローバル人材ではなかなか世界では通用しないと思っています。グローバルで普遍的な価値を提供すると同時に、様々な地域・国や地方あるいはコミュニティや組織のローカルな文化にも適応し、それぞれに合った価値をも提供できるようになるためには、グローバルとローカルを併せ持ったグローカルで柔軟な思考や仕事の仕方、コミュニケーションのスキルが必要なのです。そういった観点から、真の人財について学生たちと話し合ってみたのが、今回の授業です。

 
 毎回、この授業に参加する学生たちは非常に熱心で、授業中もなかなか積極的に発言や質問をしてくれますが、授業後も個別に僕に質問をしてくる学生たちが多くて1時間以上もつかまってしまいます。さらにその後も質問のメールを送ってきてくれたり、もっと詳しい話を聞くためにわざわざ僕に会いに来る学生も何人かいたりして、僕は神戸大学の学生たちがとても好きになりました。今回も授業後に数人の学生たちと町にお酒を飲みに行き、さらに議論が盛り上がりました。そこで、前々々回、前々回、前回と同様に、受講してくれた学生諸君のレポートから幾つか抜粋し、紹介してみようと思います(複数の方のコメントを一つにまとめたものもあります)。


   *   *   *   *   *


※Aさん「ビジネスで成功するためには利己的になってはならず、お客様や仲間、社会に対してどのような価値を提供できるかを本気で考え抜かねばならない。自分の仕事の価値を決めるのは、お客様、仲間、社会であるという話には衝撃を受けました。また、営業で成功するためにはお客様の目先の問題を解決するだけではダメで、その問題がなぜ起こるのかをお客様と一緒に考えていかねばならない。その為には高いコミュニケーション能力が必要だと学びました」


※Bさん「拓海さんからの問いかけが多く、対話形式の授業だったため、ひとつひとつの問題を自分なりに深く考えることができました。これまで企業とは利潤を出すことしか考えていない冷たい組織というイメージだったたけに、今回の授業で企業のビジネスに対するイメージが変わりました。企業がお客様に提供する価値の最上部に「信頼」があるということの意味も非常に深いものであることがわかりました」


※Cさん「ビジネスコミュニケーションの基本は「率直・正直・公正」「簡潔・明瞭・論理的」「情熱・感謝・パーソナル」であると拓海さんから教わりましたが、その根底には「相手に価値を提供すること」と「価値の階層の最上部に位置する信頼を構築すること」を大切にする考えがあることを理解しました」


※Dさん「ビジョンが見えないと面白みを感じないという話はもっともだと思いました。大切なのはビジョン化された目的であり、目標や手段と目的を混同してはいけないという話も素直に頷けるもので、僕も目的を明確にして仕事に取り組んでいきたいと思います」


※Eさん「拓海さんの話を聞いて、組織におけるマネージャーの役割の大きさを理解することができました。「組織のバリューを共有しているのに成果を上げられない部下に対しては、不足しているナレッジやスキルを部下に身につけさせるか、その仕事の仕方(プロセス)にメスを入れる必要がある。見かけ上の成果を上げていても組織のバリューを共有できていない部下に対しては、正面からきちんと対話しなければならない」という話は奥が深いと思いました」


※Fさん「Inside-out Thinkingは恋、Outside-in Thinkingは愛だという話は面白く、わかりやすかったです。手前勝手な恋ではなく、深い愛を持って相手のことを考えるという姿勢がビジネスやマネジメントの現場でも必要だという拓海さんの話は、私の胸にストンと落ちました」


※Gさん「これまでに60ケ国近くを訪ね、その内の多くの国で仕事をしてきた拓海さんが「どの国にいても基本的なことは同じ」と語るのは、拓海さんが通り一遍なグローバリズムで物事を語っているのではなく、人間として普遍的に大切にすべきことを見つめながら、同時にローカルな文化や価値観を大切にしているからだと理解しました」


※Hさん「今回の授業では、「何のために、誰のために働くのか?」ということについて深く考えさせられました。どんなビジネス、職業も「お客様(相手)」がいることで成り立ちます。「ビジネス=相手のことを考える」「相手に価値を提供するためにはどうすればよいか?」といった拓海さんの言葉はとても身に沁みました」


※Iさん「「ワークはライフの一部に過ぎない。しかし、非常に重要な一部であり、ワークを通してライフの価値は上がる。だから、ワークライフバランスという言葉はそもそもおかしい」という拓海さんの話には最初びっくりしましたが、よく話を聞いてみて納得・共感しました。仕事は人生の重要な一部であるからこそ、仕事にはそれに関わる人の人間性が全面的に現れるのですね」


※Jさん「就職活動の中で接した多くの企業が「お客様の求める価値を提供します」「お客様のニーズを引き出します」などと強調するのを聞きましたが、その話の多くは曖昧なものでした。今回拓海さんの話を聞いて、価値の構造や位置づけ、相手のニーズを引き出す手法(質問技法)などについて具体的に理解することができました」


※Kさん「私がグローバルについて考えるとき、いつも気にかけるのはローカルな特性であったり、「当たり前」は文化や人によって違うということであり、どうしても差異に注目しがちです。拓海さんはそうしたことの重要性を語った上で、世界中どこに行っても共通する普遍的な価値観や人間的な魅力があるとも語られ、その両方について理解せねばならないと思いました」


※Lさん「今日の拓海さんの話を、自分の部活動と重ね合わせて聞いていました。今、英語劇の公演に向けて準備をしていますが、練習が辛いものにしか感じられない人、自己満足してあまり練習をしない人など、様々なメンバーがいます。そこで「あなたが成功すれば、劇も成功する」「ボロボロになっても愉しいと思えることで、良い劇を上演できる」という風に拓海さんの言葉を言い換えて、皆でもっと練習に励もうと思いました」


※Mさん「これまで色々な人からキャリアについての話を聞く中で、コミュニケーションスキルが重要だという話はよく耳にしました。しかし、拓海さんの話はとても具体的でわかりやすく、実はビジネスコミュニケーションと言っても、人間が社会で生活していく上で基本的に求められるものなのだということに思い至りました」


※Nさん「拓海さんの転職のルール=「今までよりも難しく、新しい、ワクワクするようなチャレンジが待っていること」&「一緒に思い切り汗を流したいと思える仲間がいること」を聞いて、自分も社会に出て仕事をするのが楽しみになってきました」


※Oさん「「今求められている人財は、人の気持ちに敏感で、想像力のある人だ」「本当に優秀なビジネスマンは本気で相手(お客様や仲間、社会)のことを考えており、人間的に素晴らしく魅力的な人が多い」と拓海さんが語るのを聞いて、社会で仕事をすることに対するモチベーションが上がりました」


※Pさん「「信頼が企業が顧客に提供する価値として最上部に位置する理由は、それが困難かつ重大な意思決定のリスクを軽減するからだ」という拓海さんの話を聞いてハッとしました。今日の話は間違いなく自分の人生の糧になると思います」


※Qさん「個々人の性格に関して「何をもって長所、短所とするかは環境・状況や相手によって変わるから、あまり気にする必要はない。それよりも自身の性格と相手の性格、また環境・状況を理解した上で、自分の性格をうまく使いこなすことの方が重要」という話をされたのは、とても参考になりました」


   *   *   *   *   *


 神戸大学学生の皆さん、ありがとうございました。いただいたご質問に対しては、可能な限り個別に回答をさせていただきたいと思います。また、機会があれば神戸の六甲台か深江浜でお会いしましょう!


(無断での転載・引用はご遠慮ください)




神戸大学での授業と授業後の懇親会にて・・・】


ビジュアルでわかる船と海運のはなし

ビジュアルでわかる船と海運のはなし

拓海広志「ボランティア山形のこと・・・」

 東日本大震災から1年が経とうとしていた3月10日、僕は久しぶりに戦友の寺垣ゆりやさんとお会いした。本名(恵谷洋)の方の僕が震災当時に役員を務めていた欧州系のロジスティクス企業が、大型自然災害発生時の緊急救援物資の物流手配についてWFPとグローバル契約を結んでいたことから、僕らはWFPが世界各国から集めてきた毛布などの物資を東北の被災地や各地にできた被災者の避難所に無償で送り届ける仕事に従事した。僕自身も震災後しばらくは会社近くのホテルで寝泊まりし、トラックに乗って物資輸送を行ったりしたが、これは本当に貴重な経験をさせていただいたと思う。


 当時、外務省の人道支援課において不眠不休でこのオペレーションのコーディネートをしてくださったのが寺垣さんで、彼女がいなければ僕らの仕事はまったくスムーズにいかなかっただろう。寺垣さんは阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸〜阪神間の出身であることや、外務省に入る前に総合商社とNGOで働いていたことなど、僕と共通するバックグランドを持つ人だ。そして、その多彩な経験と人脈を活かして、実に柔軟性のある見事な采配を振るってくださった。寺垣さんのような人を採用する外務省もなかなかのものだと、僕は思った。


   ***   ***   ***


 そして、翌3月11日。僕は東日本大震災復興祈念式典の手伝いをするために米沢に足を運んだ。会場にはファミリーコンサートのために、歌手の井上あずみさん&ゆーゆちゃんも来てくださり、僕はその付き人を務めた。米沢は、井上肇さん、丸山弘志さんを中心とするボランティア山形の拠点だ。震災や津波による被害だけではなく、原発事故による放射能汚染から逃れるため、米沢には福島から多くの避難者がやって来ている。こうした方々への生活支援や、東北の被災地・避難所への支援物資の提供と輸送、東北で活動する様々なボランティア団体への中間支援、そして行政への政策提言がこの1年間のボランティア山形の活動の柱だった。


 ボランティア山形が結成されたのは1995年1月の阪神淡路大震災の時で、それは当時井上さんが常務理事をされていた米沢生活協同組合(現・生活クラブやまがた生活協同組合。井上さんは2006年から2011年までその理事長を務められた)が軸となって組織された。井上さんたちは被災地となった神戸への支援のために尽力してくださり、そこで被災地でのボランティア・マネジメントの様々なノウハウを身につけられた。当時神戸では、政治、NGO、ビジネスと多方面で活躍されていた丸山弘志さんが自ら被災しながらも、被災者支援と町の復興のために奔走していた。お二人の出会いはそこにさかのぼる。


 東日本大震災の発生直後に井上さんが丸山さんを米沢に招聘したのは、丸山さんの神戸での経験を活かしてもらうためだったというが、その考えは見事に当たった。丸山さんが加わったことによって、ボランティア山形の活動は高い成果をあげた。特に避難所や被災地でのボランティア・マネジメント、行政への政策提言という面において、丸山さんが果たした功績は大きいと僕は思う。井上さんと丸山さんはお二人とも懐の深いリーダーシップを持つ魅力的な方々で、その周りには綾部誠さんや新関寧さんをはじめ、様々なジャンルの専門家が集い、そうした人々が協力しながら事に当たる体制が作られた。ボランティア山形のあり方は今後のボランティア・マネジメントやボランティア団体への中間支援について考える際に、非常に参考になるものだと思う。


 しかし、ボランティア山形の活動を根っこのところで支えているのは、生活クラブやまがた生活協同組合の職員と組合員の方々の協力だということも見落としてはならない。僕が米沢へ行くたびに感心したのは、ボランティア山形が活動拠点とするグループホーム結いのきの職員の方々がそのお忙しい介護の仕事の合間を縫って、ボランティア・メンバーのために朝・昼・夜の食事を用意したり、寝泊まりする場所を提供してくださっていたことだ。特に食事の提供については多くの組合員も協力してくださっているということを聞いたときには、思わず手を合わせてしまった。人が社会で安心して暮らしていくためには、公助、共助、互助の全てが必要だというが、米沢では元々それらがしっかり根付いていたからこそ、今回のボランティア山形の活動がうまく進んだのではないかと思う。


 僕も微力ながらボランティア山形のメンバーの一人として、これからも井上さんや丸山さんと共に自分にできることをしていきたいと思う。


 *関連記事
 拓海広志「丸山弘志さんからの便り・・・」 
 拓海広志「米沢にて・・・」


【ボランティアでコンサートをしてくださった井上あずみさん、ゆーゆちゃんと共に・・・】


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


市民の力で東北復興

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ジブリ名曲セレクション Dear GHIBLI

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出会いと旅立ちの歌

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6さいのばらーど~NHKみんなのうた~

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拓海広志「ホクレア応援団の思い出」


 1998年の5月に発行された『アルバトロス・クラブ会誌 Vol.18』に寄稿した文章です。とても懐かしい会合のことが書かれているので、ここに転載させていただきます。ちなみに、「ホクレア」の日本への航海は2000年ではなく、2007年に実施されました。


 ***  ***  ***  


 3月から4月にかけて仕事でかなり忙しい日々が続いていたのだが、そんな折に屋久島に住む作家の星川淳さんから手紙をいただいた。手紙にはハワイのダブルカヌー「ホクレア」を日本に招くための支援組織(仮称:ホクレア応援団)を結成したいのでその発起人に加わってほしいということと、同船の船長であるナイノア・トンプソンさんが4月末に来日するので、それに合わせて行う発起人集会に出席してほしいという趣旨のことが書かれてあった。


 星川さんはもともと精神世界やディープエコロジー関係の著作や翻訳の多かった方なのだが、このところモンゴロイドの移動・拡散というテーマの著作も書かれており、僕の関心領域と重なる部分がかなり増えてきている。特にナイノアとポリネシア航海協会の活動について書かれた『星の航海師』という本は、僕らがかつてミクロネシアのヤップ島で行った「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海再現プロジェクト(アルバトロス・プロジェクト)」とも響き合う内容で、僕は大いに関心をそそられた。


 1970年代にハワイで伝統的なダブルカヌーを建造しようという動きが起こった経緯や、建造された「ホクレア」が成し遂げてきた航海については『星の航海師』に詳述があるし、ナイノアは龍村仁さんが作られた映画『ガイア3』に登場したことによって日本でも既に有名人なので、ここではそれらの紹介は省きたい。だが、あえて強調しておくことがあるとすれば、ポリネシア航海協会が行ってきた幾つかの航海は単に考古学や人類学的関心に基づく古代航海の実証ということにとどまっておらず、それはハワイ人による伝統文化の復興運動を引き起こし、さらにはその運動が他の太平洋の島々にまで拡がるとともに、次の段階ではエコロジカルな社会運動にまで高まりを見せているということだろう。


 1974年に「ホクレア」がハワイからタヒチに向けて初めての遠洋航海を行った際、一切の航海計器を使わずに星の位置や海上のうねり、また生物現象などを読み取りながら自らの位置と進むべき海の道を見出すという、身体的な知に拠る伝統的航海術を有する人はハワイはもとより、他のポリネシアの島々でも見当たらなかった。それで、ミクロネシアカロリン諸島に位置するサタワル島の航海者マウ・ピアイルッグさんがチーフ・ナヴィゲーターとして招かれ、彼の指揮によって「ホクレア」は処女航海に成功したのである。


 この航海にクルーとして参加していたナイノアはやがてマウに個人的に弟子入りし、伝統的航海術を会得することに成功した。そして、今ではハワイで青少年たちに伝統的航海術の指導を行うようにもなっている。太平洋の島々に住む人々が太古より培ってきた知恵と技術が急速に失われ、正に風前の灯火となっていた20世紀の末に、マウとナイノアという二つの偉大な魂が出会ったことによってそれが再生したことには大きな意義があるし、ナイノアをサポートしてきたポリネシア航海協会やその周囲の多くの人々の努力にも敬意を表したい。


 実は僕たちがヤップ島でシングル・アウトリガー・カヌー「ムソウマル」を建造し、「アルバトロス・プロジェクト」を実現した際にも、ヤップ本島には伝統的航海術を有する人はいなかった。そこで、やはりマウに船長をお願いしてヤップ〜パラオ間の往復航海を成し遂げたのだが、僕はそのプロジェクトを推進しながらもポリネシア航海協会の活動には強い関心を寄せていた。今回、星川さんを介してナイノアと出会い、「ホクレア」の日本へ向けての航海を多少なりとも応援することができるのは全く幸運なことだ。


 ホクレア応援団(仮称)の発足集会に出席したのは、ナイノアと星川さんの他に、竹内美樹夫さん(映画『ガイア』のプロデューサー)、内田正洋さん(海洋ライター)、添畑薫さん(写真家)、名畑哲郎さん(ヤマハ発動機)、豊崎謙さん(ヨットジャーナリスト)、佐藤淳一さん(海上保安庁)、ヒロシ・カトーさん(海洋生物学者)と僕だった。ここから応援される側のナイノアを除き、龍村さんを加えたメンバーが応援団の発起人になるそうだ。


 初めて会ったナイノアは穏やかだが意志の強そうな目をした人で、東京の人と車の多さには疲れたと言いながらも、自分の抱いているプランとアイデアについて一生懸命語ってくれた。それによると、「ホクレア」は来年の6月から半年かけてハワイ〜イースター島間の往復航海を行う予定なのだが、その翌年の2000年には進水25周年記念航海として3月にハワイを経ち、マウの故郷であるサタワルと現在マウが住んでいるサイパンに立ち寄った後、日本を目指したいとのことだった。


 ナイノアが子どもだった頃のハワイでは、学校でハワイ語を話すと友達に馬鹿にされたり、教師に叱られたりしたこともあったという。それが現在ではハワイ大学などでも正式にハワイ語が教えられるようになっており、フラに代表されるハワイの伝統芸能なども単なる観光目的としてではなく、もっと地に足のついた形で復興してきているが、こうしたことはこの25年の間に可能になったことである。これは「ホクレア」の航海やそれを利用した伝統教育の成果なのだが、それが可能になったのも元はと言えばマウがサタワル秘伝の航海術をハワイ人の自分に対して惜しげもなく伝えてくれたからだとナイノアは認識している。だから、2000年の航海はマウへの恩返しになるものにしたいと彼は語った。


 ナイノアは、日本での寄港地については魂の交流が可能になる地を選びたいと言う。サイパンから沖縄に向かい、その後少なくとも屋久島と佐世保には寄港したいので、最終目的地となる東京までの間に寄港すべきところを推薦してほしいとのことだった。僕は「森と海の思想」を孕みながら太平洋や東南アジアの島々ともリンクしうる地である熊野への寄港を彼に勧めた。熊野であれば精神的に実りの多い交流行事を行うこともできるし、そのコーディネートにおいて僕自身がかなりサポートできるからだ。


 僕らはその他にも様々なことを話し合ったが、会合の最後にナイノアは「日本に行くことに一体どのような意味があるのか、またポリネシア航海協会の持つ価値観を日本の人たちと共有することができるのかと、来日前はとても不安な気持ちだったが、今日の話し合いを通じてそうした不安は完全に払拭された。再来年には是非「ホクレア」で日本を目指したい」と語った。


 2000年の航海に向けてやらねばならぬことはたくさんあるし、多くの方々の協力と支援を得なければならぬだろう。また、僕はこのことをヤップ島にも伝え、「ムソウマル」を島の青少年への伝統文化教育に使おうとしている人たちの心に働きかけたいとも思う。星川さん流に言うならば、「ホクレア」の航海を通してハワイとサタワル、ヤップ、サイパン、沖縄、屋久島、熊野などを結ぶインナーネットが既に生まれつつある予感を僕は抱いているのだ。ただし、それを形あるものにするためには様々な働きかけが不可欠だろう。


 昨年末に十津川村で行われたアルバトロス・クラブの第7回年末シンポジウム「熊野―21世紀のオルタナティブ」において、ニュース和歌山編集長の重栖隆さんは20世紀を「人類の活動量が自然環境のキャパシティーを超えた世紀」と位置付け、21世紀においてはそのバランスを回復させねばならないと語った。そんな20世紀最後の年に「ホクレア」が太平洋を渡って日本を訪れるというのは意義深いことだ。僕らにはナイノアらハワイの人たちとの交流を通して学ぶべきことは多々あるだろうし、そこには来たるべき21世紀の指針となるものも少なくないような気がするのだが、どうだろうか・・・。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


星の航海師―ナイノア・トンプソンの肖像

星の航海師―ナイノア・トンプソンの肖像

ホクレア号が行く―地球の希望のメッセージ

ホクレア号が行く―地球の希望のメッセージ

星の航海術をもとめて―ホクレア号の33日

星の航海術をもとめて―ホクレア号の33日

祝星「ホクレア」号がやって来た。 (エイ文庫)

祝星「ホクレア」号がやって来た。 (エイ文庫)

拓海広志「続々・神戸大学にて・・・」

 一昨年、昨年に続いて、今年も神戸大学キャリアセンターの依頼で、同大学全学部1〜2年生の希望者を対象に「職業と学び−キャリアデザインを考える」というテーマの授業を行いました。


 一昨年の授業は「モノを運ぶことは、心を運ぶこと−国際物流と貿易の仕事、そしてNPO活動を通して」というタイトルで、僕の海との付き合い方と旅の話、貿易・国際物流・ロジスティクス・SCMと仕事の話、国際・民際交流や環境活動支援などのNPO活動の話、僕がかつて「アルバトロスクラブ」というNPOにおいて実現した「ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海再現プロジェクト」の話、異文化コミュニケーションとMulti Cultural Managementの話、神戸が持つコスモポリタンな文化土壌の話などをネタにしながら、学生たちとの対話形式で進めました。


 また、昨年の授業は「越境するモノたち―物流におけるグローバル化」というタイトルで、モノの調達、製造、販売のグローバル化が加速する中で、そのSCMとロジスティクスの現場がどうなっているのかといったことや、ビジネスコミュニケーションのあり方について、やはり学生たちとの対話形式で進めました。


 そして、今年は「価値を生み出す仕事とは?」というタイトルの授業となりました。僕は、まずバリュー・チェーン、バリュー・プロポジション、またカスタマーエクスペリエンスの考え方の基本を学生たちに説明した上で、仕事の連鎖の中でどうすれば「価値」を生み出すことができるのか、最高の価値である「信頼」をどのように築いていくのかについて、今回も学生たちとの対話形式で進めてみました。

 
 毎回、この授業に参加する学生たちは非常に熱心で、授業中もなかなか積極的に発言や質問をしてくれますが、授業後も個別に僕に質問をしてくる学生たちが多くて1時間以上もつかまってしまいます。さらにその後も質問のメールを送ってきてくれたり、もっと詳しい話を聞くためにわざわざ僕に会いに来る学生も何人かいたりして、僕は神戸大学の学生たちがとても好きになりました。そこで、前々回、前回と同様に、受講してくれた学生諸君のレポートから幾つか抜粋し、紹介してみようと思います(複数の方のコメントを一つにまとめたものもあります)。


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※Aさん「私は、仕事とはハラスメントに耐えながら組織に同調していくものだと思い込んでいました。拓海さんから、仕事とは人生の貴重な一部であり、自分自身を磨くと共に、社会と自分を結びつける重要なものだと聞いて、前向きな気持ちになれました」


※Bさん「価値を生み出すという視点から、仕事について考えることが出来たのは新鮮でした。相手の暗黙のニーズを引き出して、それに応えていくことの重要性と、そのために必要なコミュニケーション・スキルについて理解することができました」


※Cさん「『人財』とは、仕事を通してお客様や仲間、社会に価値を提供でき、かつ仕事を通して自分自身の人生を価値あるものにできる人のことだというお話をうかがい、他者のことを真剣に考えて価値提供していくことで自分も成長できるのだと思いました」


※Dさん「企業がお客様に提供する「価値」の土台は「商品(Product)」の「品質(Quality)」と「価格(Price)」であり、そこがダメだとそもそも話にならないが、実際は企業の差別化の多くの部分は「サービス(Service)」によってなされている。サービスには幾つかの階層があるが、そこで最も高いレベルにあるのがお客様の経営課題に応えていく「ソリューション(Solution)」であり、そうした「価値」の頂点に「信頼(Trust)」があるのだというお話、また適切な「サービス」、「ソリューション」を提供するために必要となる「Outside-in」のモノの見方についてのお話に感銘を受けました」


※Eさん「具体的な事例を基に、サービスを提供する企業の立場になって考えたり、サービスを受けるお客様の立場になって考えたりということを、皆で討議しながら進めていくという講義のやり方は、とても刺激的でわかりやすかったです」


※Fさん「サービス・エクセレンスの図で、サービスを階層化して「お客様の期待内のサービス」と「お客様の期待を上回るサービス」に分けておられましたが、凄く納得できる図でした」


※Gさん「私はテニスコーチのアルバイトをやっています。コーチという立場を勘違いして一方的にアドバイスをするのではなく、相手の立場に立って物事を考えながら、相手のニーズを引き出していくこと。またそのニーズに応えるために相手と一緒に考えていくことの重要性について、今日の授業で気づきました」


※Hさん「今回の講義は、対話を重視されたもので大変緊張感がありました。拓海さんのやり方は、対話の中で学生たちに気づかせ、一方で学生の回答から拓海さんも大いに感心されることもあり、私にとってそれはソクラテスのやり方を想起させるものでした。相手のニーズを引き出すための質問技法としてのSPINや、価値提案する際に必要なFAB、また様々なコミュニケーションスキルについてお話をしていただきましたが、この講義そのものがそれらの実演であるように思えました」


※Iさん「今日の話は、企業に就職してから必要になるだけではなく、私たちの普段の生活や仕事以外の場面においてもすぐに役立つものだと思いました。私は、他人から見て魅力的な人になりたいと、思っています。自分の立場から考えると、「難しい資格を取る」「高収入を得る」「スポーツができる」「お洒落ができる」といったことが魅力的な人の条件になりますが、相手の立場から見るとそんなことが重要なのではない。そんな、ごく当たり前のことにも思い至りました」


※Jさん「サービス・エクセレンスの中で、「パーソナルタッチ」の重要性についてお話をされていましたが、私もコンビニなどでのアルバイトを通してそのことを実感しています」


※Kさん「私は塾の講師のバイトをやっています。今までサービスを提供する立場から「相手から求められているであろうもの」をいつも仮定していましたが、今日の話を聞いて、それは「相手が求めているもの」ではないことを思い知りました。今日教わった手法を用いて、もっと深く相手の求めているものを理解したいと思います」


※Lさん「拓海さんが、仕事を含む自分の活動の全てが、自分を成長させてくれている。また、それらの活動は全て根底でつながっていて、それらを通して社会の役に立ちたいと話されたことが印象的でした。今日の講義は「価値を生み出す仕事」についてでしたが、お話を聞きながら「こういう人生にしたい」というところまで考えさせられる内容でした」


※Mさん「私にとって今回の講義は、単に仕事をどうやるべきかとか、どのようなキャリアデザインをすべきかといったことではなく、いかに生きるべきか、どのように他者(家族、友人、異性・・・)と付き合うべきかといった、幅広い方面で役に立つ内容でした」


※Nさん「長い時間、学生たちの興味を全く逸らすことなく惹きつけ続けるプレゼンテーション能力と、対話形式で学生たちをどんどん巻き込んでいくファシリテーション能力に感心しました。是非、参考にさせていただきます」


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 神戸大学学生の皆さん、ありがとうございました。いただいたご質問に対しては、可能な限り個別に回答をさせていただきたいと思います。また、機会があれば神戸の六甲台か深江浜でお会いしましょう!


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


ビジュアルでわかる船と海運のはなし

ビジュアルでわかる船と海運のはなし

拓海広志「今、カボタージュ問題を考える : 松見準さん」


 「全日本内航船員の会」を主宰する、元内航船員の友人・松見準さんから「今、カボタージュ問題を考える」と題するメールをいただきましたので、ご本人の了解を得てここに紹介させていただきます。


 カボタージュとは元々国内の沿岸輸送を意味する語でしたが、現在では特別な許可がない限り内航輸送を自国籍船のみに限定する政策を意味するようになっています。


 外航海運が「海運自由の原則」を前提としており常に国際競争にさらされるのに対して、内航海運はカボタージュに基づいて外国船を排除でき、そのことが日本の内航海運経営を甘やかしてきたという指摘はよく耳にするところです。


 松見さんはそのことを認めつつも、元内航船員の立場から以下のような問題提起をしています。カボタージュ問題については僕なりの見解もありますが、ここで松見さんが書いておられることは非常に重要だと思います。


  ***  ***  ***  ***  ***


 拓海広志様


 「全日本内航船員の会」の活動はちゃんと続いています。しかしここ数年(政権交代を境に)、だいぶ政治的な立場を示す必要がでてきて、こういう時は一体どうするべきなのだろうかと困っています。
 政権交代があって、日本の沿岸物流のカボタージュ制度の撤廃が決まりそうになったのです(震災によって結論決定が延期に)。


 今まで伺ってきた拓海さんのお話が、僕の中にけっこう入り込んでいますので、本当の海洋民の国家とはどういうカタチなのだろうかとか、シンガポールのような生き方はどうなのだろうかとか、色々と迷ってもいました。
 それでも、日本人船員の責任、日本の内航産業の存続を考えると、この制度撤廃には、これまで通り絶対に反対しなければと動きました。
 しかし、現実に政権交代が起こって制度撤廃の方針が示されると、海事団体や関係者の考え方は一転し、カボタージュ制度撤廃を反対する論者は少数派となって、すっかり反体制的な立場へとかわってしまいました。今までカボタージュ問題を取り上げてきた団体の職員からも、カボタージュ制度に関する記事は紹介しにくいと言われることになりました(業界新聞社は掲載してくれました)。
 しかしそれから、内航総連などの業界団体が、大勢のムードに折れることなく制度の堅持を大きく表明し始め、国土交通省海事局までもが制度撤廃の問題点を業界紙で指摘するようになると、海員組合など労使の立場もこえてギリギリになっての反対の声が噴出しました。ただ当時は、極端な政治主導によって、「政権交代したのだから」という理由だけで議論もなく結論がでる情勢となっていたため、関係者の誰もが最後の悪あがきという感じだったことを覚えています。
 そしてその時、大地震原発事故が起こったのです。


 放射能汚染が拡がり、実際に外国船船長の判断による日本抜港という事態が起こった情勢を知ると、島国日本が自力でやらなきゃならない事、さらにはその宿命から海洋民は海洋民としての価値観を裏切っては生きてゆけないという事を強く意識することになりました。
 内航海運の業界紙記者に尋ねても、「この震災でカボタージュ規制の必要性についてまだ議論するというのは、もう時代錯誤だよ」という反応が返ってきました(個人的には宿命論の見地から、時代錯誤なんて問題意識ではなく、海洋民として普遍的な問題意識を確認すべき事態だと感じるのですが)。


 カボタージュ規制という保護制度に守られて(現場は海でたたかい続けているにも拘らず)、ヌクヌクと甘えてしまった内航産業経営の素顔を知れば、誰もが何を守ろうとしていたのかを見失うという問題はさておき、「全日本内航船員の会」は、一度とはいえ関連団体から面倒くさがられるような印象を持たれてしまいました。ずっとウマクやってきたのに! です。残念・・・。
 ただ、こうするしかないだろう時代を迎えている気はしています。Twitterの登場です。これからも船員の支持を得ていくためには、顔のみえる運営は不可欠だと感じています。今までさんざんハッタリで踏ん張ってきて、これからは等身大でやっていくなんて・・・。しかし、今度は等身大という分野で価値を開拓していくのだと思います(まだ今後、Twitter等が日本でどういう位置づけになっていくのか分かりませんが)。この時代の変化は、何らかの行動、意識変革を社会的に挑戦する時の、かつての「ヒーロー像」の在り方? 存在価値? を根本から変えてしまうように感じます。


 実は、国際的な視点から物流を見てこられた拓海さんが、このカボタージュ問題についてどうお考えなのか分からず、おそれながら書き進めております(笑)。先日は大手クルーズ会社の部長さんと会談したのですが、彼は堂々とカボタージュ制度なんて撤廃しても問題ない、時代の流れだと話していました。


 ところで、僕には最近になって、やっと拓海さんの思考に辿り着いた重大事があります。ヤップ島の石貨の話です。石貨の価値が、それを運んできた時の航海の苦労などによっても変化するという考え方の部分です。
 以前は漠然とそういう考え方って良いなと思っていただけでしたが、海の真ん中に生きる島民の文化として、海洋民の思想というのはソコに尽きる! そういう事を守りきれるかに尽きる! と、感じるようになっています。妥協は仕方が無いにしても、忘れてはダメだと思うのです。特に船員は、船に乗っている間は買い物にもいけない生活を続けています。そんな船員にとって、資本主義経済ウンヌンなんてことより、モノを運ぶこと自体の社会的価値の方が、よっぽどリアルで人生を励ますものとなるはずです。資本主義経済の価値はどこにでも入り込んで来やすいので、誰にもどこにでも通用するものと錯覚してしまいますが、ちゃんと価値観を使い分けることが大事なんですね。
 経済という仕組みは、多くの人にチャンスを与え、人類の生活に便利さや豊かさを加速させてきてくれたと思っています。しかし、一方で本来そこにあった人間味のある様々なものを踏みつぶしていったこともよく言われています。ところが具体的には何が失われてしまったのか、一つの価値観の中からは本当に見えにくくなってしまうのだと感じる。人間が優しくなくなった等と言われていても、結局は人の優しさによって立ち直ったりして日々生活していますからね。


 ヤップ島の石貨の話。そして、そのヤップ島本島では、もう当時の航海技術が残っていないという事実。このことは、今の僕に大変な衝撃となっています。


 全日本内航船員の会 松見準


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「今、海から日本が危ない!」
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ビジュアルでわかる船と海運のはなし

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