拓海広志「南の島の星降る夜に : 大内青琥さん」

 画家の大内青琥さんの七回忌に招かれ、多摩霊園へ行ってきた。梅雨時の蒸し暑い日だったが、霊園の木陰を歩いているととても心地よく、僕は大内さんの息子の将さん、大内さんの支援者だった辰野和男さん(朝日新聞で「天声人語」の執筆を担当なさっていた方)、アルバトロス・プロジェクトミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海再現プロジェクト)メンバーの一人・柴田雅和さんらと共に、大内さんの思い出を大いに語り合った。


 僕が大内さんと最初に出会ったのは、僕が初めてヤップを訪ねた1990年のことで、以来数年にわたってとても濃密なお付き合いをさせていただいた。大内さんは当時ヤップ島マープの総酋長だったベルナルド・ガアヤンさん宅に居候をしており、ミクロネシアの伝統的帆走カヌーに関心を持ってヤップを訪ねるようになった僕と大内さんの間には、カヌー、ヤップ、ガアヤンさんという三つの接点があった。


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 ところで、ガアヤンさんは友人のジョン・タマグヨロンさんと一緒に帆走カヌー「ぺサウ」を作って、ヤップから小笠原までの航海を行ったことがある。大内さんはその建造記録を残すと共に、「ぺサウ」の航海にも参加している(現在、「ぺサウ」は尼崎の園田学園女子大学に保存・展示されている)。大内さんの書かれた建造記録は太平洋学会の学会誌にも掲載され、僕も大いに参考にさせていただいた。


 大内さんは芸術家らしく非常に繊細な感受性を持った方で、人見知りで寂しがりや、そしてとても気性が激しくてロマンチストだった。ガアヤンさんの家の前の椰子の葉陰で、月と星の明かりを頼りに椰子酒を飲みながら語り明かした幾夜・・・、ガアヤンさんと大内さんと僕は、太古の太平洋の、そして縄文の海人たちに思いを寄せながら、帆走カヌーの航海について語り合った。それは実に壮大かつ愉快な会話で、胸躍る素敵な時間だった。そして、大内さんと僕は喧嘩もたっぷりした(笑)。
 

 その後、僕はアルバトロス・クラブの仲間たちと共に、かつてヤップ〜パラオ間で行われていた石貨交易航海の再現プロジェクトを実行することを決めた。そして、僕らのプロジェクト・チームは3年がかりでヤップの酋長会議と州政府の承認を取り付け、2年近くをかけて原木の切り倒し〜帆走カヌー「ムソウマル」の建造、そしてクルーの人選とパラオ側との交渉も行い、1994年にヤップ〜パラオ間の往復航海を実現することができた。


 大内さんはアルバトロス・プロジェクトの発足当初は部分的に関与してくださっていたのだが、やがてガアヤンさん宅への居候をやめて帰国してしまったため、プロジェクトとの関わりはなくなってしまった。それでも、大内さんがアルバトロス・プロジェクト発足時の功労者の一人であることに違いはない。また機会があれば、是非ヤップで大内さんとお会いしたいと思っていたので、その想いが果たせなかったのが心残りである。大内さんのご冥福を心からお祈りしたい。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



ミクロネシアのヤップ島マープ・ヴォネッヂ村。ベルナルド・ガアヤンさんの家の前の通り】


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