拓海広志「そのままの自分と向き合うこと : 上川あやさん」

 3年前に上川あやさんが東京都世田谷区の区議会議員として政治活動を開始した際に、僕は当時自分が発信していたメールマガジンで彼女のことを紹介させていただきました。僕が彼女と初めて出会ったのは、6年程前にTNJ(トランスネット・ジャパン:TSとTGを支える人々の会)の方々を招いて茅ヶ崎で開催したシンポジウム(主催:アルバトロス・クラブ)においてですが、そこで自らの歩んできた人生について上川さんが語ってくださった真摯な言葉の一つ一つに僕は強い感銘を受けました。


 上川さんは元々男性としての人生を歩んでいたのですが、思春期頃から自分に与えられた性別に対して違和感を抱くようになり、やがて精神科医から性同一性障害との診断を受けました。現在彼女は女性として生活し、働いているのですが、日本には公的書類上で性別を訂正する制度がないため、企業から女性として正規採用されるのは難しいそうです。


 よく知られているように、多くの生物の世界における性のあり方というのは実はかなり多様で、単純に雌雄だけに分類できるものではありません。哺乳類の場合、生物学が雌雄を分ける根拠としているのは性染色体なのですが、それがホルモンのちょっとしたバランスによって変わってしまうこともよく知られており、昨今の環境ホルモン汚染問題などを通じて性差には非常に微妙な部分があることが理解されつつあります。


 しかし、人間が男女を分類する場合、性染色体よりも、むしろ器質・形質の外見によるケースが多いのは言うまでもありません。このため、現代では新生児が男女のハッキリしない中性的な形状をした性器を持っている場合、即手術をして男女いずれかにするということも行われていますが、かつては半陰陽として生涯を送った人も少なくはないようです。さらに大脳生理学の分野ではまた少し異なった観点から男女は分類されますので、人間の男女というのはそれほどハッキリと分けられるものではないということを我々は知っておく必要があります。


 さらに、人間の性にはこうしたセックスとしての性だけではなく、ジェンダーとしての性もあります。つまり慣習や通念に基づく社会的な役割、文化としての性です。このジェンダーとしての性のあり方は、社会が近代化し、労働や生活のあり方が多様化するにつれて、必然的に多様化していかざるをえないと思うのですが、それに抗する「男・女はこうあるべき」という考え方が日本などでは意外に根強く残っていますので、社会でエネルギッシュに活動しようとする女性、逆にそこから降りたいと考えている男性が何らかの差別や抑圧に悩むケースも少なくありません。


 また、「男・女はこうあるべき」という通念の強迫度が高い社会においては、知らず知らずのうちに自分に付与された性別が個々の人間のアイデンティティを形成する上で核を成している場合があります。例えば、人は幼少期に虐待などによって強い精神的なショックを受けると、そのトラウマから心理的に逃避するために、自分のアイデンティティを無意識のうちにずらすことがあるのですが、こうした社会においては、アイデンティティをずらした結果、自らに与えられていた性別に違和感が生ずるということもありうるでしょう。


 つまり、どのようなレベルで見てもそれほど決定的とは言えない性差を、我々は無理やり男女に二分することによって社会を形成していますので、それに対して何らかの違和感を抱く人が出てくるのは当然ですし、その社会の性観念についての強迫度が高いほど、前記のような問題も発生してくるわけです。こうした中で、自分の性別に対して違和感を抱く人は洋の東西を問わず古くからたくさんいました。そして、多くの社会においてそうした人たちは何らかの差別を受けることもあれば、同じくらい多くの社会において自然に受け入れられてきましたし、また社会によってはむしろ貴重な存在、超越的な存在として扱われることもあったのです。


 こうして考えると、自分の性に対して違和感を抱くということには様々なケースがありますし、なかなか一概にはこうだと決めつけられませんが、既に男女の性差の曖昧さがわかってきた現代において、こうした人たちを社会が疎外するというのはナンセンス以外の何ものでもないと思います。しかし、他方では自らの性に違和感は抱かぬものの、同性の人しか愛することができないために「同性愛者」として差別を受けている人がいたり、独身のまま社会で活躍する女性に対して悔し紛れから偏見の眼差しを向ける人がいるのも現実ですので、まず我々の性についての意識はまだかなり偏狭なものだと思い知り、そこから改めていく必要がありそうです。


 従い、このような偏狭さの残る社会において、自分の性に対して強い違和感を抱いた人が、その問題に真摯に立ち向かった結果、自らの性を変えることを決め、やがて家族や親しい友人だけではなく、社会に対してもカミングアウトするというのは大変勇気のいることだと思います。上川さんの場合はそれだけではなく、自分と同じ境遇に悩む人たちや、あるいはそれとは事情が全く違っても社会的に抑圧されている人たちを救いたいという思いから政治活動まで開始されたわけですから、僕は一人の人間としてその姿勢に強い共感をおぼえます。


 人が人として、その能力や個性のまま受け入れられ、それぞれの努力の結果が正当に評価されるような社会、しかしそれによって全ての人の人権や尊厳が脅かされないような社会を僕は望んでいます。そして、世田谷を「誰もが、自分らしく暮らし、自分の能力を発揮できる街」「子どもが健やかに育ち、誰もが安心して年を重ねられる街」「偏見や差別のない街、弱い立場の人々の意見が尊重される街」にしたいと語る上川あやさんの今後の活躍に期待しています。


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 「上川あやさんのホームページ」


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