拓海広志「捕鯨をめぐる話(2)」

 2000年4月に和歌山県太地町を訪ね、くじらの博物館前館長の北洋司氏宅にて太地の家庭料理としての鯨料理をご馳走になりながら、北氏から太地町捕鯨の関わりについてお話をうかがうミニツアーを催したのですが、それに引き続き同年5月には新宿歌舞伎町にある居酒屋「樽一」にて「鯨祭り」と称する催しを行い、日本鯨類研究所理事長の大隈清二氏より「最近の捕鯨問題」という題の講演をしていただいた上で、「樽一」店主の佐藤孝氏より同店自慢の鯨料理の数々をご披露いただきました。今回はその席上で僕がお話したことを紹介させていただきます。


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 こうして海外へ進出した人々の中に、当時アメリカで普及していたノルウェー式の捕鯨法を習得する人が出てきました。ノルウェー式の捕鯨というのは捕鯨銃を使って銛をクジラに撃ち込むというものなのですが、ノルウェー式の捕鯨法を習得した人々が後に日本に戻ってからその技術を国内でも普及させることによって日本の捕鯨業は新時代を迎えることになります。彼らの技術が最大限に発揮されたのは太平洋戦争後の日本の食糧難を救うためにGHQが再開の許可を与えた南氷洋捕鯨においてですが、当時は学校給食に出てくる肉と言えばクジラの大和煮が一般的になっていましたし、家庭で酒の肴にされるのもクジラのベーコンやおばけというほどクジラは日本の食卓を賑わせました。


 ところが、実はこの時代の捕鯨にはずいぶん問題もありました。この時代に捕鯨に従事していた国々の間ではBWU方式と呼ばれる資源管理法が使われていました。BWU方式というのはブルーホエール・ユニット、つまりシロナガスクジラの頭数を基準にしてあらゆる種類のクジラを便宜的に換算し、トータルで一年間に捕獲していいBWUを決めるというやり方です。それも「よーいどん!」で各国の捕鯨船団がクジラを捕っていき、その総捕獲量が決められたBWUの数に達した時点でその年の捕鯨は終了するといった形になっていたため、俗に「捕鯨オリンピック」とも称されていたのがこの時代の捕鯨です。しかし、クジラの種別の資源量などを全く考慮しないBWU方式が結果的にクジラの乱獲を招いたことは指摘せざるをえないでしょう。


 こうした中でシロナガスは勿論のこと、大型のクジラたちの数は激減し、最後にはかつては誰も見向きもしなかったミンククジラという体長10〜12メートルほどの小さなクジラ、これはヒゲクジラの中で一番小さなクジラなんですが、そういうクジラが捕獲の対象になるようになってしまいました。こうなるとクジラの身体の全てを食物や工業原料として利用する日本の捕鯨が、クジラから油だけを得ようとする欧米の捕鯨よりも採算的に優位に立つのは当然のことです。


 他方、石油の安定供給が可能になってきたこともあって、欧米諸国はどんどん捕鯨から撤退していきます。かくて日本は結果的に捕鯨オリンピックの最終勝者となったわけですが、ここで重要なことは欧米諸国が捕鯨から撤退したのは商業的な採算性が悪くなったためであり、環境思想、エコロジー思想を根拠に捕鯨をやめた国は一つもないということです。


 その後、1972年にストックホルムで国連人間環境会議が開催されましたが、ここではベトナム戦争で使用された化学兵器によって奇形児が生まれてきているといった問題や、水俣病イタイイタイ病といった公害の問題が提起されました。こうした問題が国際的な会議で初めて本格的に取り上げられたということで、これは非常に意義のあることだったのですが、何故かこの時にクジラの乱獲問題が同じ土俵の上に提起されてしまったのです。それから今日に至るまでクジラは環境保護を唱える人々のシンボル的地位を確立し、そのことがIWCに対して様々なプレッシャーを与えるようになっていきました。


 ところで、IWCは自らの管理下にある捕鯨商業捕鯨と原住民生存捕鯨という二つのカテゴリーで括ろうとしてきましたが、僕の感覚ではこの二つは相反する概念ではないような気がします。原住民というのは生存のためだけに捕鯨をしており、それを商業的には利用することはありえないというのは一種の桃源郷幻想であり、ものすごく間違っていると思うのですね。


 僕自身が世界の辺境を旅してきて感じたことは、人間が何らかの集団を作り、それが他の集団と何らかの関係を持ちながら社会が形成されているところで、商業のないところなんてありえないということです。必ずそこにはその社会に見合ったモノのやり取り、交換、商業、交易というものがあり、それが社会のダイナミズムを生み出してしていると思うのです。それにもかかわらず、非常にクローズというか、閉じた社会を仮定して、そこの人たちに同情する形で、これは生存捕鯨だから許してあげようと言うのは、ちょっと高見に立ったものの見方じゃないかなという気が僕にはします。


 ジャニス・へンケという人が『あざらし戦争』という本を書いているのですが、彼女が言っているのは動物保護論議の多くは自然の本質とか動物と人間の関係を見極めた上で展開される例は少なく、野生生物や野生生物と関わって生きている人たちの実態を知らずに、それらをイメージの中でのみ捉えて語られるケースが多いが、そこから出てきた保護の論理は全部ダメだということですね。僕もそれについては全く同感でして、狩猟の対象となる動物については保護されるべきもの、保護されるべき時期というのがあってしかるべきですが、それが生態系の中での全体性や関係性を無視して論じられるようになると間違いが起こるのではないかなという気がしています。


 よく知られるようになった東インドネシアのサシの例をあげるまでもなく、伝統的な社会においては資源保護のための様々なルールがあります。我々は先人たちが培ってきたそうした知恵のエッセンスを見つめなおし、動物との関係、自然との関係のあるべき姿を再確認しながら、これからの捕鯨について考えていく必要があると思います。


 捕鯨をめぐる議論はあまりにも間口が広くなってしまったので、かなり多様な見方ができます。いわゆるエコロジカルバランスという切り口もありますし、伝統文化とアイデンティティーの問題という切り口、あるいは自然と信仰・宗教の関係性といった切り口もありますが、そんな風にクジラをキーワードにすると現代社会が抱える様々な問題がいつの間にか透けて見えてくるのが捕鯨論議の面白いところです。


 僕は人間という生き物の宿命は自然を対象化し、それを利用して生きていくことにあると思っています。ですから、自然を利用するという時に、利用の仕方、これ以上はやってはいけないというブレーキの掛け方、これが非常に大事になってくるわけで、そうした人間の宿命について、もう一度よく見つめ直す必要があるように思います。


 ところで、僕は学生時代に『イルカ☆My Love』という掌編小説、人間の青年とイルカの少女の恋物語を書いたことがあるのですが、これはイルカを使った人間の癒しに対する僕なりの意思表示でもあるのです。ホエール・ウオッチングやドルフィン・タッチングによって人が癒されるということは当然あるでしょうし、僕はそれを否定するつもりは全くありません。ただ、言いたかったことはそれらも一種の利用だということを謙虚に考えた方がよいということで、クジラを捕獲して食べること、クジラの姿に自然神の姿を見て崇め奉ること、クジラを眺めたり一緒に泳いだりして自らの心を癒すこと、クジラの生態を知ることによって海の生態系全体に対する知見を増やそうとすることは、全て同列なのじゃないかな、あるいはそれらが同列というふうに見なされる世界というものを望みたいなというのが僕の気持ちです。少し話しが長くなってしまいましたが、これが僕が捕鯨問題を通して考えてきたことです。


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南氷洋捕鯨史 (中公新書)

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あざらし戦争―環境保護団体の内幕

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