拓海広志「信天翁ノート(4)」

 これは僕が学生のとき(今から20年ほど前)に書いた未完の連作エッセイに、その後ジャカルタ在住中に少し加筆したものです。当時とは連作の順序を変えて紹介させていただこうと思います。内容的にはかなり未熟なものですが、もしよろしければお付き合いください。


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 「人間という生物が自然から疎外される中で、自然は勿論のこと、自己の身体に対しても何らかの違和感を抱くようになった」「人間はそうした状況下において様々な<関係>を生み出しながら、共同幻想に基づく社会を築いてきた」「その<関係>のあり方が集団内で様式化されたものが「文化」であり、それが異文化と接触することによって集団の共同幻想が危機に瀕した時に、「伝統」という<方法>が集団の心理的安定を保つ上で有効性を持つ」(ノート(1)〜(3)より)。


 これらは全て人間の心的領域に属する話だが、人間という生物の行動の多くがこころが創り出した幻想によるものであることを考えると、これはこれでそれなりの完結性を持つのかもしれない。だが、僕たちは決してこころだけで存在しているわけではなく、自然の一部としての身体を抱えて生きている。身体とは、こころが自由に飛翔することを縛る枷のようなものなのだろうか。それとも、こころの方が身体の持つ自然を持て余しているのだろうか。「身体」と「こころ」と「自然」の<関係>について、少し考えてみたい。


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 僕たちにとっての「環境」とは、人間の手の届く範囲内の自然と、人間が作り上げた社会とを合わせたものを指す言葉だが、自然とはそれらを大きく包み込む「大宇宙」である。他方、僕たちの身体は「小宇宙」という呼び方をすることもできると思うのだが、この「大宇宙」と「小宇宙」の間はこころの働きによって分断されているように感じられることはあっても、本来的には<全体>と<個>の<関係>の中できちんとつながっている筈だ(清水博氏によるバイオホロニックスの考え方を参照)。


 自然=大宇宙の範囲をどこまでとするかについては諸説あろうが、その起源から今日に至るまで、地球の自然に対して大きな影響を及ぼしてきたのは、太陽と月、また他の惑星や彗星、そして太陽系内をさまよう隕石などであり、その意味では地球の自然を考える上で太陽系のことは決して無視できない。清水氏が言うところのハイパー・ループにおいて、階層構造の頂点に位置するのは「生きている地球」であったが、考えようによっては、さらにその上に「太陽系」を位置づけることが出来るのかもしれない。


 太陽と月をはじめとする地球外の天体、いわば宇宙からの影響を受けて、地球上で様々な自然現象が引き起こされることはよく知られていることだが、人間を含む全ての生物の生理現象もまた例外ではない。そして、それらは巡り巡って人間の気分や行動、社会の動向、あるいは疫病の流行や人々の健康に対しても何らかの影響を与えうるため、そうした<関係>の存在を直観していた古代の人々は、占星術などの方法を使って、その関係性を読み解こうとしてきたのだろうし、そこから太陽や月、星に対する信仰も生まれてきたのだろう。


 最近では、人間の文明の盛衰も地球上の気候変動と密接な関係があったことがわかってきているが、人間の社会がこころの創り出した幻想によって成り立っているものだとしても、僕たちは生物的必然として、生存のために集団=社会を作っている面もあるわけで、それが自然から全く影響を受けないということは考えられない。つまり、僕たちの行動や社会のあり方というものは、こころの作用のみによって生み出されているのではなく、自然及び自然としての身体に依拠する部分も無視できないと思うのである。


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 人間はいつの頃からか、自意識という厄介なものを持つようになり、それ故に欲望や愛情、憎悪や嫉妬などの様々な感情と理性を常に闘わせ、うたかたの正義や真理、理想などを目指したりもしながら生きていくようになった。しかし、僕たちのこころの奥底にある、自意識の目の届かぬ部分では、僕たちのこころと身体はもっとしなやかに溶け合っており、それは大宇宙=自然とも直結しているのではないだろうか。そして、僕たちはその部分を通じていわゆる共通感覚を獲得したり、場合によっては暗黙知的なレベルでの認識をも他者と共有することが出来ているように思われる。


 こうした身体的な感覚は、自然の力に左右されやすい生活を営む人々ほど鋭敏に研ぎ澄まされているものだろうが、特に太古の人間の行動はそのような感覚を他者と共有することによってなされたものも少なくはないだろう。そして僕は、彼らがそうした感覚によって獲得した身体的な「知」を、ある程度体系化して捉えていた可能性も否定できないように思うのだ。現代に生きる僕たちの身体知は太古の人々のそれと比べると貧弱なものになってしまったのだろうが、それらはまだ完全に失われたわけではないのだし、今もなお僕たちの生活において重要な役割を果たしているような気がする。


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 ところで、人間はこころの領域を広げることによって、自らの身体に対しても違和感をおぼえるようになってきたわけだが、人間の身体を一つの小宇宙として捉えた場合、そこでは身体を構成する個々の器官とこころをめぐる複雑で多様な<関係>が錯綜していることだろう。そうした<関係>が常に調和の取れたものであるとは限らないが、心身の「異常」あるいは「病」といったものの本質を、この小宇宙内での<関係>性の障害にあると言うことは出来ぬだろうか。もしそうであるならば、心身の「治療」とは<関係>性の障害を解決し、<全体>のバランスを回復する作業だとも言えよう。


 小宇宙である身体に対する違和にせよ、大宇宙である自然に対する違和にせよ、それらは僕たちのこころが独り歩きをしてきた結果のものであり、それを完全に払拭することは不可能だが、その独走ぶりがあまりにエスカレートすると様々な障害が起こってくる。近代人はそうした違和をなくすために、科学技術の力を駆使して身体や自然に手を加え続けてきたのだが、それで僕たちの違和感が解消されたわけではなく、むしろさらに深いところからの違和感をおぼえるようになってきている。どうやらそれは、近代人が<全体>の中での<関係>性を重視することなく、単線的な因果律に基づいて個別に問題を解決することができると錯覚してきたことに原因がありそうだ。


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 こうした近代主義の行き詰まりの中から芽生えてきた思想の一つに自然保護思想があるが、それは近代主義に対する反動を原動力としているために、結局は近代主義の枠組みから一歩も外へ出ることができていないケースも見られる。自然と人間を対立的に捉え、自然を克服するための手段として近代科学が生まれてきたのだとすれば、それに対する反動としての自然保護思想も実はその延長線上にあるもので、そこには自然よりも優位に立ったと錯覚する人間側のおごりがあるとも言えよう。エコロジー思想が普遍性を獲得するためには、そうした対立の次元を超えていく必要がありそうだ。


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 しかし、僕たちが近代主義に席巻される前の世界に目をやると、自然に対する捉え方は決して対立的なものばかりではなかったことに気がつく。自然と対峙しつつも、自然の一部として自然が人間に下した運命を甘受するというのが、むしろそれまでの人間の「自然な」あり方ではなかったろうか。僕たちは前近代・非近代の知や科学を神秘主義的に眺めるのではなく、それらを近代とはパラダイムの異なるオルタナティブな「知の体系」として捉え直すことによって、そこから人間が自然の中で調和して生きていくための知恵や、「身体=こころ=自然」のバランスをうまく取るための知恵をも学ぶことが出来るかも知れない。


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 一例として僕たちの足下を見てみると、日本語の「自然」という語には「シゼン」と「ジネン」いう二通りの読み方があるが、これらは中世の日本においてはハッキリと区別されていたようだ。「ジネン」と読まれる時、それは「自ずからそのようにあらしめること」、すなわち「必然的なこと」を意味し、「シゼン」と読まれる時には、「もしも」「万一」といった、予測し難い「偶然的なこと」を意味していたという。僕は恐らくこの二つの語が分離したり、融合したりしてきた過程の背景に、日本人の自然観の変遷があったのではないかと考えている。


 大野順一氏は、その著書『平家物語における死と運命』に、ジネンとシゼンは読み方は違っていても、そこには突発的な不慮の出来事をも「自然」のことであるとし、天災や不慮の死をも「自然(自ずから)」のこととして受け入れた中世日本人の自然観があったと書いている。さらに大野氏は、自然を万一のことと受けとめる感受性には自然から疎外された人間の姿を見ることが出来るが、他方では疎外された人間が、その万一との出会いを己の唯一の場であると了解し、万一をも「自然(自ずから)」と捉えることによって、再び自然との合一化をはかろうとする姿勢があったとも語っている。


 僕は宗教の原初的本質とは人間の自然観の反映であると思っており、その点においてのみ宗教に関心がある。修験道などに見られる「大自然の中での心身の修行を通じて自然と合一・融合する」という思想は、いわば自然との万一の出会いを希求するシゼン派のものだろう。他方、親鸞などに見られる「自力の考え方を放棄あるいは止揚した上で、他力によって立ち現れる現実を自然なものとして肯定する」という思想は、いわば自ずからの自然を希求するジネン派のものだと言えよう。だが、重要なことはシゼンとジネンは決して相反する概念なのではなく、それらが表裏一体となって絡み合いながら僕たちの自然観が成り立っているということだと思う。


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 また、日本人の自然観を語る上で見逃せないのは「無常観」だが、磯部忠正氏は『無常の構造−幽の世界』という著書において、「自然」を宇宙の生命リズムとして読みとり、それに合わせて生きるべきだとする思想がその背後にあると語っている。この思想によって、人間の意図や作為までもが「自然のリズム」として肯定されると共に、その挫折や死もまた「自然のリズム」として受け入れられていくのが「無常観」なのである。自然を宇宙の生命リズムとして読み取ろうとする考え方は、世界中にかなり普遍的に存在していたものであり、僕はこの点に特に注目しておこうと思っている。


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 このように、前近代・非近代の自然思想の中には、人間の意図や作為、あるいは共同幻想である人倫の共同性さえも、「自然」と捉えるものがあるのだが、これはよく考えると前述したバイオホロニックスの考え方とも通ずるものであり、結局この考え方は「古くて新しい」ものであることがわかってきた。そこにおいては、個々の身体は自然界のハイパーループの中に位置づけられるべきものだが、僕にはその奥底でこころと溶け合っている部分があるように思えてならない。そこから生じる身体知のごときものについては、もっと具体的に見ていく必要があるだろう。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【新宮・神倉神社のお燈祭にて。自然信仰の始原の姿を想像させてくれる祭りの一つだ。向かって左より、六車隆信さん、田中拓弥さん、僕、奥田一憲さん、奈須督勝さん】


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