共同討議「アジア太平洋の海と島(1)」

 1999年の5月に新西宮ヨットハーバーで、『アジア太平洋の海と島』と題するシンポジウムが開催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。今回は、その中で行われたパネル・ディスカッション(パネラー:森拓也、長嶋俊介大森洋子、川口祐二さん。司会:拓海広志)の内容を紹介させていただきます。


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※拓海広志;

 皆さん、こんにちは。司会の拓海です。このパネル・ディスカッションでは『アジア太平洋の海と島』をめぐる様々なお話をしていこうと思っています。もっとも、「アジア太平洋の海と島」というのはかなり漠然としたテーマなので、ここではもう少しテーマを絞り込んでいこうということで、日本を含むアジア太平洋をめぐる海における渡海、すなわち移動に関する話と、島での暮らしをめぐる話を中心に据えたいと思います。

 一口に渡海と言っても、ミクロネシアの航海者は非常にダイナミックに何千キロという海を渡るわけですが、他方では東南アジアの漂海民のように船の上で生活しながら海を渡っていくというものもあります。また、真珠養殖などのためにオーストラリアやインドネシアに出稼ぎに行った熊野の人々もいますし、その延長線上には移民ということもあります。

 こうした海を渡るということと、それから島という閉鎖的でありながら、ある面では開放的な空間での生活のあり方を見ていこうと思うわけです。勿論、こうした渡海や島での暮らしを成り立たせる技術や社会のあり方についても考え、それによって人々と自然の関係性について考えていこうというのが今日の最初のパネルのモチーフです。

 今日お見えになっている4人のパネラーは、各地の海や島で様々な体験をしてこられた方々ばかりですので、聞きごたえのある話が沢山あると思いますが、ご紹介は個別にさせていただきます。トップバッターを務めていただくのは、森拓也さんです。森さんは和歌山県すさみ町の南紀枯木灘海洋生物研究所で所長をされているのですが、もともとはダイバーとして有名な方です。森さん、よろしくお願いします。


※森拓也;

 それでは本題に入ります前に、これから私がお話しをすることの背景になっているのが何かということをご理解いただくために、自己紹介をもう少し詳しくさせていただこうと思います。

 私も大学時代には練習船、これは拓海さんが乗られたような帆船ではなく、海洋調査船だったのですが、これでミクロネシアを中心に各地の島々を回ってまいりました。

 私の元々の専門は珊瑚礁の生き物を研究する珊瑚礁生態学というものだったのですが、約5ヶ月半の練習航海中に、ヤップとその離島のソロールとかウルシーとウォレアイ、またパラオとその離島のトービとかメリル、ソンソロール、それから北マリアナ諸島、パガンとかアナタハンといった島々を巡りました。

 その後、大学を卒業いたしまして、三重県鳥羽水族館に飼育係として入社したのですが、入社後すぐにパラオにあるパラオ生物学研究所、当時は信託統治領でしたので、信託統治領生物学研究所という名前でしたが、そちらの方に約半年間出向し、自然保護局の仕事を手伝うかたわら勉強をしていたわけです。

 その後鳥羽水族館へ戻ってまいりまして、そこで20年間、前半は主にジュゴンとオウムガイの飼育と研究、後半は社会教育とか広報、出版といった仕事をやってまいりました。

 2年前に鳥羽水族館を辞めまして、一部には小指で失敗してとかいう話もありましたが、そんなこと絶対にございませんで(笑)、厄年も過ぎたことだし、何かするなら今しかないかなということで、たまたま和歌山県のすさみ町に「ノアすさみ」というのがあるけれど来ないかと誘っていただきましたので、住まいも全部移しまして、現在はすさみに住んでいます。

 南紀枯木灘海洋生物研究所というのは、そもそも高齢化と後継者難で先行きに不安を感じていたすさみ漁協が、それを解消するためには何か新しいことをしなければならないということで、ノアすさみという会社を作ったことに端を発します。

 「ノア」というのは「ノアの箱舟」の「ノア」ですが、今の海の資源を次の世代まで残していこうというのが本来の趣旨なのです。その海の資源を捕獲するのではなく、見せることでお金にしようということで設立したダイビング・サービスがノアすさみなのですが、ただ単にダイビング・サービスを行うだけだったら、そこらにあるダイブショップと何ら変わりがありませんので、地域と密着した中で行政も巻き込んで、地域振興というテーマも持ってやっていこうということで動いています。

 今、南紀熊野体験博覧会というものが開催されていますが、そこでは私の研究所が提案した「エビとカニの水族館」というものが予算を獲得しまして、その運営も行うことになりました。博覧会期間中、すさみ町の日本童謡の園公園というところでやっておりますので、もし機会がございましたら是非見に来てください。

 ところで、私は鳥羽水族館で働いていた20年の間に、海洋調査のためにパラオへは35回足を運んでおります。他にはヤップとか、最近は少しフィールドを広げまして、ニューカレドニアの方まで足を伸ばしています。

 こういうところで調査を成功させるためには、まずは地元の人と仲良くならなければなりません。とにかく生活を共にする。そのために必要なのは彼らと同じものを食べることです。

 今日は私が書いた『おいしいアジア 怪しい食の旅』(KKベストセラーズ)という本を持参させていただきましたが、どんなところに行って何を出されても、「おいしいね」とニッコリ笑ってムシャムシャと食べられる人じゃあないと、こういう調査はうまくいかないのではないかなと思うのです。

 また、島での交通手段としてのカヌーですが、これをうまく操ることが出来ないと、「何だ、お前は海のことをやっているくせに、こんなものにも乗れないのか?」などとバカにされるわけです。私は仕事とは別に、そういう島々で実際に使われているカヌーを撮影すると共に、そのミニチュア、玩具ではなくて船大工が作った本物ですが、それを収集することをライフワークにしています。今まででざっと60艇ほど集まったのですが、さすがに家の中には入りきらないものですから、鳥羽市にある海の博物館というところで半分ほど展示してもらっています。

 さて、今日はスライドを見ていただきながら、カヌーを中心に舟の話をしようと思うのですが、私が色々なところへ行って調べてみますと、そのタイプは大きく三つくらいに分けられそうです。一つは珊瑚礁の島々において珊瑚礁内だけで使う、あるいは環礁内にある近隣の島をちょっと訪ねるのに使うもの。これは元々丸木舟から発達しているのですが、こういったところにはそれほど太い木はあまりありませんので、舟のサイズも小型になりますし、外洋での耐航性にも欠けています。

 次に、ミクロネシアだけではなく、フィリピンとかアフリカにおいても、川で使われているものです。このタイプのものは一般にあまり安定がよくないのですが、中には大きなものもあります。というのは、川を使って原木の切り出しが出来るからです。このスライドはバリ島のキンタマニにあるバトゥル湖で撮ったものですが、ごく単純な丸木舟ですね。手斧を使って一本の丸太を刳り抜いて作ります。

 次は西アフリカの象牙海岸の西側あたりにあるギニアビサウの川で使われている丸木舟です。これも一本の木を刳り抜いたものですが、先ほどのバリ島の丸木舟と作り方が非常に似ています。用途が同じだと、どこでも同じような作り方をするということでしょう。

 次のスライドはフィリピンのパラワン島、エルニド近くの村です。この舟は河口でのカニ漁に使っているものです。これはかなり細身にできておりまして、やや耐航性を高めた作りになっています。舳先と艫(とも)の方が尖っており、鋭角的なキールらしきものが付けられております。

 次もパラワン島で撮ったもので、これはすでに両サイドにアウトリガーが付いており、所謂バンカボートの原形なのですが、帆の替わりに葉っぱを立てているのですね。人類によって発明された最初の帆は多分こんな感じだったろうと思うのですが、強風時には一枚では駄目でして、何枚か重ねるとかなりの風圧にも耐えて走るのですね。これが段々発達してきますと三角帆になるのですが、それはまだヤップあたりのシングル・アウトリガー・カヌーで使われている三角帆とは異なります。

 現在のフィリピンでは、何十人、あるいは百人近く乗っても大丈夫な大型のバンカボートがごく日常的に使われていますが、バンカボートの構造から見て、日本とフィリピン間の往復くらいは可能です。先ほど漂海民の話が出てきまししたが、家族ぐるみでバンカボートに乗って魚をつかまえ、それを港々で売って暮らしているという人はパナイ島あたりにも大勢います。

 今度はインドネシアの海に移ります。これはイリアンジャヤに近い、モロッカ諸島というところなのですが、スパイス・アイランズ(香料諸島)として非常に有名なところですね。そこにはシングル・アウトリガー・タイプのカヌーがあるのですが、それを陸に上げる際に、浜にそのまま置いておくのではなく、木の上に乗せるのですね。こうすると乾きやすいということもありますが、地元の人の話では舟喰虫の被害が軽減できるのだそうです。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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