拓海広志「親父のダンディズム：是川均之さん」

　僕の故郷神戸の垂水に「ルパン3世」という名の小さな居酒屋がある。神戸には元外航客船のコックが開いたレストランが少なからずあるのだが、この店の店主・是川均之さんも若い頃に一汽（第一中央汽船）の貨物船のコックとして世界を巡ってきた海の男だ。ちなみに、「ルパン3世」の名は是川さん自慢のもみ上げに由来する。

　店の作りは極端に質素で、入口にのれんが掛かることもなければ、店名を記した小さなネオンに灯りが点ることもなく、知ってる人以外はちょっと怖くて入れない独特の雰囲気の店だ。元客船乗りのコックがやっているお洒落で洗練された店とは違い、正に元貨物船乗りのコックの店という気概が伝わってくる（！）。

　しかし、ルパン氏は料理が上手い。和洋中華何でもOK。気の利いたお洒落なものは作らないが、近所の市場で買ってきた新鮮な食材と、野山で摘んできた山菜や野草、そしてごくありふれた調味料を巧みに使ってあっという間に様々な料理がテーブルの上に並ぶ。それがどれも本当に美味いのだから感激だ。

　僕がこの店に通うようになってから、もう20年近くになる。イカナゴの佃煮を明石・垂水地方の新伝統料理にした仕掛人の一人・林崎漁協の鷲尾圭司さんらと大晦日の夜に飲み、その二軒目として流れ着いたのが「ルパン3世」だった。そこで海をテーマに語る僕らにルパン氏が割り込んできたのが付き合いの始まりだ。

　天賦の才能なのだろう。ルパン氏は独学のユニークな指運びながら、実に器用にギターやピアノを弾きこなす。僕が仲間を連れて店に行くときはいつも貸し切り状態になるので、ルパン氏は中盤からギターを抱えて僕らと一緒に飲む。ラテン、シャンソン、ポップス、フォーク、演歌、ナツメロ、シーシャンティ（船歌）、童謡と、ルパン氏のレパートリーはプロの流し並だ。

　ルパン氏は自分が少年の頃に両親を亡くしており、これまで色々な人の世話になって生きてきたからと、老人への思いやりが深い。奥さんと二人のお嬢さんがいても、家庭の料理は親父の仕事と譲らぬルパン氏だが、その上に昼間は近所の独居老人を訪ねてまわっては台所に上がり込み、そこにある古い食材を上手に使って老人のための昼食や夕食を作る。それを「趣味」だと言う氏はとてもダンディーだ。

　そんなルパン氏の人柄を慕い、この店には様々な人が集う。僕が作家の高嶋哲夫さんと知り合ったのもこの店だし、僕自身も多くの友人・知人にこの店を紹介した。俳優の古田新太さん、ミュージシャンの関谷雅彦さん、島旅学者の長嶋俊介さん等々。そして、その誰もがルパン氏の良き友人となった・・・。

　ところが、昨年の春に久しぶりに垂水で飲もうと思ってルパン氏に電話をしたのに、氏に連絡がつかなかい。そこで奥さんに連絡をとってみたら、なんとルパン氏は喉頭癌が見つかったため今年早々からずっと入院しているのだという。もう無事に手術を終えたとのことで、僕はすぐ病院へ見舞いに行ったのだが、ルパン氏の首筋には直径３センチ程の穴が開いていた。喉頭を全部摘出したのである。これで、氏のしゃがれた、セクシーで人懐っこい声が聞けなくなった。

　しかし、1日に60本は吸っていたという煙草を止めた病室のルパン氏は思っていた以上に元気だった。声は全く出せないが、筆談で「大好きな山菜・野草摘みと料理、そしてギターには支障がないので、是非また集まってくれ。大いに騒ごう！」と言われた。いつもやんちゃなルパン氏だが、実はナイーブで寂しがり屋。仲間に集まってほしいのだ。

　親父のダンディズムとは、見掛けの格好良さとか格好悪さを超えたところにある。と言うよりも、そういうことを気にしないところにこそある。60歳になったというのに、照れ屋でお調子乗りで、少々喧嘩っ早い少年のようなルパン氏だが、その心根の優しさを表現する仕方に僕はダンディズムを感じるし、それが僕が「ルパン3世」に通う理由だ。一日も早く海の仲間たちを集めてルパン氏を囲める日が訪れることを願ってやまない。

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【鷲尾圭司さん（向かって左）と是川均之さん。「ルパン３世」にて】