拓海広志「天皇と自然(1)」
これは僕が学生のとき(今から20年ほど前)に書いたエッセイに、その後ジャカルタ在住中に少し加筆したものです。内容的にはかなり未熟なものですが、もしよろしければお付き合いください。
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学生時代に歴史の研究会を作って活動していた頃、僕は日本史・日本文化において天皇とは何であったのかという問いの持つ重みを感じ始めていた。当初、僕は天皇を実体概念としてとらえ、そこからその意味合いをつかまえようとしていたのだが、徐々に天皇とは一種の関係概念ではないかと考えるようになっていた。
勿論、歴史上の多くの時期においては、天皇も実体概念として機能していたことがあるので、そんな風に言い切ってしまうことには問題があったのだが、総論として天皇を語る際には関係概念として天皇をとらえておく方がその実体に迫りやすいのではないかと思えたのである。
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『異人論序説』の著者である赤坂憲雄氏は「異人とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である。<異人>表象=産出の場にあらわれるものは、実体としての<異人>、さらにいって<異人>としての関係である。ある種の社会的な軋み、もしくはそこに生じる影が<異人>である」と語り、その著書『王と天皇』においても「関係論」の一種である「異人論」を使って天皇に迫ろうとした。
山口昌男氏の王権論を援用しつつ乗り越える形で展開された赤坂氏の天皇論は説得力を持っていたが、この方法では天皇制の中にも普遍的王権論で説明がつく点があるということは語れるものの、天皇制に固有な部分は見えてこないと指摘したのは吉本隆明氏であった(『新・書物の解体学』)。
それは確かにその通りであり、天皇論を普遍的王権論の舞台に上げることも重要だが、天皇制の持つ特異性が何かということも同時に突きとめておく必要はあるだろう。しかし、後者の仕事は前者と比べた場合、かなり大変な労力を要するであろうことは容易に想像できる。
普遍的王権論とは全く異なる次元において「文化」という概念を導入することによって日本人と天皇の<関係>について語ろうとしたのが三島由紀夫氏だが、その思想が文学として表現されるのではなく、『文化防衛論』のような形で表明された場合には今一つ説得力を失ってしまうということが、この作業の困難さを示しているように思う。
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ところで、昭和の末に話題を呼んだ猪瀬直樹氏の『ミカドの肖像』は、天皇は実体のない空虚な中心であり、記号論的に扱うならばゼロ記号であるとしたが、これは日本の高度成長期の昭和天皇を取り巻く風景論としてのみ妥当性があるように思えるし、粉川哲夫氏の『電子国家と天皇制』のようにメディアが天皇をイベントスターに仕立て上げることによって象徴天皇制が複製されてきたという見方についても同じことが言える。
現代の日本のメディアが「天皇」や「皇室」を好むのは、それが商品コードとして付加価値を持つからだが、猪瀬氏や粉川氏はその背後に潜む<関係>を見事に暴き出してはいるものの、それは日本史全体を見渡す際にはあまり有効なものとは言えぬだろう。
他方、僕はいわゆる非常民(山人、海人、遊芸人など、移動・漂泊の中で暮らす人々)の民俗を追う民俗学の小さな積み重ねの中に、天皇制を相対化する手がかりがあるのではないかということを感じ続けていたのだが、そうした成果を思い切って取り入れた歴史家・網野善彦氏の『無縁・公界・楽』、『日本中世の非農業民と天皇』という著作には大変刺激を受けた。
網野氏は、中世の民衆が天皇の影を振り切って「自由」になるために生み出した「無縁」や「公界」「楽」という「場」が、縄文の魂を心の深奥に秘めてきた人々による、原始世界の平等な人間関係への回帰願望を原動力として起こったことを指摘しているのだが、逆にそのことから天皇の政治的な力が弱まっていった中世においても、天皇の宗教的権威が強大なものであったことがうかがえる。
さて、赤坂氏は『王と天皇』の後、吉本氏との対談『天皇制の基層』を経て、『象徴天皇という物語』を発表したのだが、その中で猪瀬氏らが展開した新しい天皇論に対して一定の評価を下した上で、「問題はその先にあり、近代以降の所産である個としての天皇を、歴史の中に投げ返してやることが必要だ」と語っている。
『象徴天皇という物語』は「異人論」だけに寄りかかって天皇を語るのではなく、より深く天皇制の固有構造に迫ったものであり、僕は非常に感銘を受けたのだが、今後僕たちが天皇あるいは天皇制について語る際に、この著作を無視して通ることは出来ないように思う。
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『象徴天皇という物語』において赤坂氏は天皇に仮託された「自然」や「文化」の問題にも言及しているが、石井良助氏が『天皇−天皇の生成および不親政の伝統』中で「自然状態としての天皇」たる「不親政」こそが天皇制の「伝統的なあり方」であるとし、それを肯定していることに対して、「自然状態とは何か?」、「無垢で固有の伝統とは何か?」、「それらを守らねばならないという思想には根拠があるのか?」といった問いを発している。
石井氏の天皇論は多くの日本人が漠然と抱いている天皇観と近いように思うのだが、それが「自然」とか「伝統文化」といった概念の中に容易に収まってしまうことに対して疑問を抱いたのは、赤坂氏の思想が健全であることの証左であろう。
石井氏が主張する「天皇不親政=自然状態」説は、天皇が現実の政治の場において為政者として「作為」することはその本来的な姿ではなく、天皇は宗教的権威のみを有し、為政者に対して政治的権威を付与する存在として、不親政を貫くことが「伝統的」かつ「自然」なあり方であったというものだ。
同氏は天皇の現人神としての神格性を否定した上で、天皇は本来的に「自然人」であるという主張をしているのだが、これは人間宣言をして国家の象徴ということになった天皇を別の形で神格化する作業とも言えよう。
石井氏が「自然」という言葉を使用する際に、日本の国体を保つ上で「あってしかるべき天皇」というものをイメージしていることは間違いなく、赤坂氏はそれを「作為された自然」として厳しく批判しているのだが、僕もそれに同感である。
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だが、石井氏の言う「自然」の話とは別に、天皇は間違いなく自然と結びついている。
太陽神である天照大神を祖神とする天皇が、古代人の持っていた自然信仰と何らかのつながりを持っていることは言うまでもないことだが、僕が最も関心を抱いているのは、大和朝廷が成立する過程において、もともと日本列島にあったであろう自然信仰が如何にして天皇信仰と重なり合っていったのかということである。
「あってしかるべき天皇」というイメージが最初に作為され、天皇が強大な宗教的権威を有するに至ったのはその時代のことであり、当時の日本において一体何があったのかを知りたいと思うのは僕だけではないだろう。
王権が自然と結びつくことによって神秘性や伝統的正当性を獲得していくというのは何も天皇だけに限ったことではなく、世界中のどこででも見られたことである。
その点においては、中国の皇帝や王権神授説に依拠した中世ヨーロッパの王朝にもそういう要素はあったし、カメハメハによって統一される前のハワイにおいて各部族の首長たちが神(=自然神)の子孫だと名乗っていたことにも、部族社会が内包しうる王国の萌芽のようなものを見ることができよう。
だが、そのようにして成立した王を戴く国家であっても、日本のように天皇そのものに対する宗教的な信仰がこれほど深く、また幾世紀にもわたって浸透してきた例は少ない。それが何故なのかということを探ることによって、天皇制の特異性や日本人の自然観、宗教観が見えてくる可能性はあるだろう。
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