拓海広志「信天翁ノート(1)」

 これは僕が学生のとき(今から20年ほど前)に書いた未完の連作エッセイに、その後ジャカルタ在住中に少し加筆したものです。当時とは連作の順序を変えて紹介させていただこうと思います。内容的にはかなり未熟なものですが、もしよろしければお付き合いください。


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 私的な話で恐縮ですが、僕は小学校の低学年の頃に、夜眠りに就きながら金縛り状態に陥ったことが何度かあります。


 何故そのような想念が浮かんできたのかは不明なのですが、「どうして自分は人間として生まれてきて、今ここに生きているのだろうか?」といった出所不明の不可解な疑念が湧き起こり、あれやこれやと思いを巡らせているうちに、急に部屋の壁や襖が歪みだし、天井が自分の上に落ちてきそうな錯覚に陥って、胸が息苦しくなるのです。


 僕は何とかしてそこから逃げだそうとするのですが、身体は全くいうことをきかず、脂汗の流れる中、時が過ぎ去って行くのをただひたすら待ち続けるだけでした。恐らく時間にするとそう長い時間でもなかったのでしょうが、その時の僕にはそれは永遠に続くのではないかと感じられたほどでした。


 こうした金縛りにかかることは成長と共になくなっていったのですが、僕は今でも少年期のこうした体験のことを鮮明に思い起こすことができます。


 何故当時の僕が上述のような疑念を抱いたのかは不明ですが、恐らくそこには「自己」という存在への根源的な疑念があり、その背景には自分が身を置いている「社会」「世界」に対する何らかの違和感があったのではないかと思います。そんな疑念の中で、僕には拘束感を強く意識せざるをえないような心的現象が生じたわけですが、多分そこには「自己」を縛る「身体」に対する違和感もあったのではないでしょうか。


 こうした「社会・世界への違和」と「自己の身体への違和」という二重拘束的な違和感は、自覚の程度差はあっても、誰もがそれを多少なりとも抱えて日々の暮らしを送っており、僕はそこに人間という生物の宿命的とすら言える特徴を見出すことができそうな気がしています。


 人間は哺乳類に属する生物であり、自然の一部であることは言うまでもありません。しかし、一方では他の動物たちと異なる点も多すぎるように思います。人間を生物の一つとして普遍化して考えることも重要ですが、同時にその特殊性や固有の性質を探ることも必要であり、どちらかに偏りすぎると人間への理解を誤ってしまうでしょう。


 ところで、人間と他の動物との相違点を問題にする際に、人間と最も近い動物だと言われる猿との比較の中で考えてみるのは常道なのですが、ヒトとサルとを分かつ境界線の所在についてはまだ結論が出たわけではなく、サル学者の中には「ハッキリとした境界はない」と言う人もいるようです。


 かつて言語の有無はヒトとサルを分かつものだと考えられていました。しかし、単純な意思疎通の手段としての言語ならば、サルもサル語なるものを持っている可能性は大きいですし、最近の研究ではチンパンジーは抽象的な概念語についても、ある程度までは習得可能であることがわかってきているので、言語は必ずしも人間に固有のものだと言うことはできないでしょう。


 しかし、人間の言語とはイメージとの相補性に基づきながら、その思考や認識、記憶を助けているものであり、何らかのイメージを内包する言葉には、時に「言霊」とも称されるような霊性が付与されていることがあります。そして、僕はもしかしたらこの「言霊」こそが人間の言語の本質かも知れないと考えています。


 はるか昔に人間が何らかの意図を持って作為的に自然と関わり始めた時、自然は人間にとって対立的な存在(=対象物)になったことでしょう。その背景には僕たちの祖先が直立二足歩行を始めたことによって、彼らの大脳が急速に発達していったということがあったのですが、彼らが直立二足歩行を始めた本当の理由は、かつて陸上で生活していた鯨たちが海に戻っていった理由と同様に、僕たちはそれを推測するしかありません。


 かくて、自然を対立物と見なすことによって生じた自然への畏怖心や、自然からの疎外感は、僕たちの祖先の心の中に自然に対する宗教的意識の原型のようなものを生み出した筈ですが、その時発せられた言葉があったとすれば、それは一種の呪言のようなものではなかったでしょうか。そして、僕はそれこそが前記した「言霊」の原型ではなかったかと思うのです。


 ところで、自然を対立物と見なすようになった人間は、必然的に自己の身体が孕む自然に対しても何らかの違和感をおぼえるようになったことでしょう。やがて、人々が自然や自分の身体に対して抱いた対立感は、自然や自然としての身体に対する宗教的崇拝に転化されると同時に、自分以外の人間(=自然としての「他者」)に対する対立感や違和感、畏怖心をも生み出したと思われます。この時、人間は果てしない<関係>の網の中で生きていかざるをえないことを宿命づけられたのでしょう。


 このようにして、人間が個として抱く自意識と、人間特有の幻想性に基づくその共同体(=社会)の原型、他者との関係の原点となる性的な意識、また初源の言葉とも言える「言霊」を宿した呪言はほぼ同時発生的に誕生したのではないかと思われます。


 かつて、吉本隆明氏はここを出発点として他の動物たちとは異なる道を歩み始めることになった人間の心や身体、言語、性、死、タブー、宗教、祭儀、芸術、法、社会、国家などについて、『言語にとって美とはなにか』『心的現象論序説』『共同幻想論』という初期三部作にまとめあげています。


 この三部作はもうかなり前に書かれたものなので、氏自身や他の誰かによって既に乗り越えられた部分もあるでしょうし、特に生命科学のジャンルから書き換えを迫られている点もあると思いますが、その骨格となる部分は今なお衝撃力を持っており、まだまだ避けて通るわけにはいかないように思います。


 吉本氏の初期三部作に拠りながら、人間という生物及びその言葉や社会の持つ特徴を、本稿に引き寄せて整理してみると、以下のようになります。


「生命体はそれが高等であれ、原生的であれ、ただ生命体であるという理由によって、自然に対して何らかの異和をなすが(原生的疎外)、人間は何らかの作為を持って自然と関わるようになった時に、自然との対立や自然への異和感を意識せざるをえなくなった」


「人間は、芽生えてきた自意識によって、自然としての自己の生理的な身体にも異和感を持たざるをえなくなった。心は身体という外界とは時間性によって、また現実的な環界とは空間性によってつながっているが、その度合があるレベルを超えていった時に、精神的な「異常」や「病」と呼ばれる現象が出現する」


「自然や自分自身に対する原始人たちの対立感は、自然としての自分自身(生理的・身体的)に対する宗教的崇拝の源泉となったと同時に、自分以外の人間に対する<関係>を生じさせ、初期の血縁集団、やがては部族的な社会を形成する要因ともなった」


「自然を対象と見なした時に、自己表出として発せられた初源の言葉は、やがて「詩」と「法」の言葉に分化していった。初源の言葉は、より<喩>の抽象度が高く、<喩>がわかるということは神の言葉がわかるということでもあった。従い、初期の法の言葉は、同時にきわめて詩的でもある」


「個体としての人間は他者との関係性が錯綜する中でしか個体としても存在しえない。関係性の中で最も基本的なものは<性>的な関係だが、人間は<性>的な関係をも幻想性によって成立させてきた(対幻想)。そして、そこに家族の起源がある」


「個々人の抱く個人幻想の集合和として共同の幻想が出来上がっていくが、出来上がった共同幻想は必ず個人幻想とは逆立する(注:厳密には吉本氏の使う「共同幻想」という術語の意味は、「個人幻想」の集合和である部分を捨て去った後に、なおも残るもののことである)」


 つまり、自らも自然の一部であり、身体的には自然のリズムと同調していながらも、その心が発達したことによって自然と対立的に生きざるをえなくなってしまった生物が人間です。それ故に人間は自然や他の人間、生物、モノとの<関係>を意識して生きていかざるをえなくなってしまったのでしょう。


 こうした宿命について「人間は本能が壊れた生物であり、その代償として文化を生み出した」と語ったのは精神分析学者の岸田秀氏ですが、その考えに拠ると「文化」はその発生の時点から「自然」と「人間」の対立の矛盾を背負ってきたものということになります。


 勿論、僕たちは人間の「作為」や「文化」さえも「自然」であるとする思想の系譜も持っています。しかし、仮に思想の上でそう捉えたところで、人間の心が自然や他者、あるいは自己の身体との関係性の中で育まれてきたものであることは間違いないように思うのです。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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