拓海広志「信天翁のように・・・」

 これは僕が学生時代に書いた「信天翁ノート」の前書きとするために、今から約12年前、僕がジャカルタに住んでいた頃に書いた文章です。


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 大航海時代の西洋の帆船乗り達は、信天翁アホウドリ)を海で死んだ水夫の生まれ変わりだとする俗信を持っていたという。


 自然の力を利用して生きることを宿命づけられた人間にとって、風の力を利用して海を渡る帆船の帆もその為の「道具=モノ」の一つであり、それは果敢に自然に挑んでいく人間の営為の象徴でもある。


 しかし、帆船は「自然=風」の力に逆らうことは出来ず、風が止めばただひたすら波間に漂うだけの箱になってしまう。その意味では帆は人間と自然の間のスリリングで、かつ調和の取れた関係の象徴とも言えるだろう。


 一方、風をつかめば大空を気持ち良さそうに雄飛する信天翁も、風が止めばぷかぷかと波間を漂うしかなく、陸に上がればいかにも不器用に歩くことしかできない大鳥だ。かつての帆船乗りたちが信天翁の姿と自分たちの姿を重ねて見たとしてもおかしくはなく、そこから先述のような俗信が生まれてきたのかも知れない。


 学生時代に日本丸という帆船に乗って太平洋を渡りながら、帆船に自然と人間の関係性の程の良さを感じ、帆はその調和の美を象徴するものだと考えていた僕は、かつての帆船乗りたちと同じように信天翁を愛するようになった。


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 本文を書いている今、ジャワ島は雨季だ。インドネシアの雨季の天気は一日に何度か激しいシャワーが訪れ、それが過ぎ去るとカラッと晴れ上がるのが普通なのだが、今年の雨季は何となく日本の梅雨に近い感じで、日がな一日曇天が続いている。


 しかし、激しいシャワーの度に我が家の前にある竹藪に山鳥や鶏、山羊や仔犬、あるいは物売りたちが逃げ込んできて雨宿りをするさまを見ていると、巨大都市ジャカルタにもまだインドネシアの面影が残っているのだなぁなどと妙な安堵感を抱く。


 ところで、僕の家とその竹藪の間には小さな川が流れており、そこは近所の人々にとってのゴミ捨て場となっている。食事の度の残飯をはじめとして様々なゴミが川に投げ捨てられ、風向きによってはひどい悪臭が襲ってくるので、窓を開けていられないようなこともあり、少々閉口する。


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 インドネシアは勿論のこと、東南アジアや南アジアの田舎を旅していると、川の中にうずくまって用をたしている人々や、同じ川の水を使って衣類や野菜、食器、あるいは牛やオートバイを洗っている人々、また裸になって元気に泳ぎ回る子ども達の姿を見て嬉しくなり、僕もその川に飛び込んで水浴をしたことが幾度もある。


 そこでの川は魚介類を捕ったり、農業用水を得るためだけの場ではなく、全てを流し去ってくれる天然の偉大な浄化処理施設でもあるのだ。ところが、やがて人間の数が増え、川に流すものの中に化学物質が多く含まれるようになってくると事情はいささか違ってくる。


 一般家庭や工場から出されるエントロピー価の高い排水の垂れ流しにより、アジア諸国の都市近郊の川や海は既に悲しくなるほど汚染されている。これらの直接的な汚染源は先進国から進出してきた大工場と言うよりも、むしろ未処理のまま流されている現地の中小工場の排水や生活排水であることが何とも痛ましい。


 製品の品質やマーケティング力では先進国から進出してきた工場にかなわない現地工場としては、競争力を保つ為のコストセーブは必要なことであり、環境の問題まで十分視野に入れる余裕はない。一方、政府にしても「開発」という至上課題の為には犠牲にせねばならぬものもあるという了解と、ある種の癒着のもとに事が進められているのが、アジアにおける工業化の現状である。


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 人間の経済活動が自然の持つ再生力の限界を越えてしまったのが20世紀だとすれば、エコロジーという学問や思想の重要度が高まってくるのは当然のことだろう。だが、それは自明の正義として「自然を守れ!」と拳を振り上げることを単純に肯定するものではないし、企業が「地球に優しく」などとおためごかしな宣伝を掲げることを正当化するものでもない。


 もともとエコロジーは、人間も自然の一部として包摂した中で地球上の生態系全体のあり様を捉えようとする自然科学の一ジャンルだったのだが、それは人間が自然に対して行う働きかけをどう捉えるのかという問題意識や、その働きかけが生態系全体に与える影響を明確にしていこうという意志を孕まざるを得ず、そのことがエコロジー思想にかなりの幅を持たせることになっている。


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 かつて吉本隆明氏は「太平洋戦争中のごく平凡な学生の多くはためらわずに戦争を肯定していたのに、戦争が終わってから実は戦争には反対だったのだという声のみを集めてみても、そこには自己相対化がないので世界の半分しか覆えず、その半分以外から戦争が出てきた場合には無効になる」と語ったことがある(『死の位相学』)。


 こうしたかつての左翼思想は現在の自然保護イデオロギーの中にもそのまま踏襲されている場合があるようだ。僕はそういう傾向を持った自然保護思想に対しては吉本氏が語ったのと同種の批判をせざるをえないと思っている。


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 自然を対立物と見なすところから近代科学は出発し、人類は自然を克服し、利用する道具・技術を得るためにそれを利用してきた。ところが、その結果としてまず僕たちの生活圏が汚染されるという公害問題が起こり、次いで地球の生態系に様々な異変が起こるという環境問題が発生してきたことから、自然保護という主張が出てきたわけである。


 しかし、この「保護」という言葉に対して「身の程知らず」という印象を抱くのは僕だけではなかろう。「保護」という言葉の裏側には対象への優越感があり、それに名を借りた支配の確認と権力の正当化があるわけで、僕たちはあまり不用意にこの言葉を使わない方がよいように思う。


 「地球の危機」と言ったところで、地球自体はそれほどやわな存在ではないし、「自然のあるべき姿」と言ったところで、地球の自然はその誕生から今日に至るまで常に激しい変化を繰り返してきた筈だ。従い、僕たちが現在直面している「環境問題」とは結局のところ、「人間にとっての生活環境の問題」であり、巨視的な自然の問題とは別物なのである。


 ただ、環境とは自然と人間の間の相互作用の産物であることは言うまでもなく、その関係性はかなり多様で複雑なものであることから、それらを包括的に俯瞰するためにエコロジー的な視点を導入する必要性が生じてくる訳だ。


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 かつての帆船乗りたちのように、信天翁に仮託して人と自然の関係性について考えてみたい。だが、その際に人間の作る社会についてもちゃんと目配りをしておきたい。信天翁が風の吹く方向に飛んで行くしかないように、様々な風の吹くままに思考はあちらこちらへと飛んでいくだろうが、それらは結局どこかでつながっている筈だ。そして、そのつながり方もまた何らかの関係性をあらわしているのであり、僕は大海を渡る信天翁のようにそうした関係性を鳥瞰していきたいと思うのだ。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



パレンバンにて】


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