拓海広志「信天翁ノート(3)」

 これは僕が学生のとき(今から20年ほど前)に書いた未完の連作エッセイに、その後ジャカルタ在住中に少し加筆したものです。当時とは連作の順序を変えて紹介させていただこうと思います。内容的にはかなり未熟なものですが、もしよろしければお付き合いください。


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 「文化」という言葉に対する定義の仕方については、学問的な立場によって多少の相違はあると思うのだが、僕は、人間が自らを取り巻く環界あるいは他者との間でどのような<関係>を取り結ぶのかという、正にその<関係>のあり方(=関係性)こそが、「文化」という言葉の本質ではないかと考えている。


 そして、その<関係>のあり方は特定の集団内で何らかの様式化がなされ、それが集団の規範の如きものとなるにつれて、集団の成員にとって共有のものであると見なされるようになるわけだが(=空間性の獲得)、一般的にはそのような特定の人間集団内において、ある程度共有化、様式化、定型化された<関係>のあり方こそを僕たちは「文化」と称しているようだ。


 集団の規範から外れた<関係>のあり方は、その集団内では「逸脱」であったり、「異常」であったり、場合によっては「犯罪」としてカテゴライズされたりもするが、その本質が何であるかと言えば、個人幻想を集団の共同幻想と同調させることに失敗したというだけのことである。


 吉本隆明氏は「共同幻想が個人幻想に同調しているように感ぜられるためには、個人幻想に対する共同幻想の先験性が個人幻想の中で信じられていなければならない」と語っているが、僕たちはそう信じ込むことによって、自分の所属する社会や集団の中で平穏に生きていくことを可能にしているのだろう。


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 では、文化がその成員から集団内の共有物として認知され、固有の位置を獲得するためには何が必要なのだろうか。それは恐らく他者=他集団との<関係>、すなわち異文化との接触を契機とした、自己の相対化、対象化の作業であろう。つまり、他集団に属する人々との比較によって、僕たちは自らを自集団にアイデンティファイすることが可能になるのである。


 ところが、異文化との接触という場面においては、空間的な差異の問題が時間的な差異の問題にすり替えられることがよくある。すなわち、文化の文脈あるいはパラダイムの相違といった問題が、いずれかがより進歩的で優れているというふうに誤読されてしまうのだ。


 自らの文化が後れており、異文化の方が進んでいると判断した時、人々は「現在」に対する「未来」をイメージすることになるが、そこで同時に自らが拠って立つべき「過去」なるものも問われることになるのだろう。


 他方、自らの文化が他集団のそれよりも進んでいると判断した人々は、異文化の中にかつての自分たちの姿を見出し、場合によってはそれを「後進的」とも見なそうとするだろう。


 このような人々の心の動きの中で、文化は一種の時間性をも獲得することになるのだが、それは必ずしも実際の歴史的連続性に裏付けられたものではなく、空間軸を時間軸に置き換えてしまっただけのことなのである。


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 ところで、このようにして「文化」が獲得した時間性を、歴史的な実体を伴うものであるかの如くに見せうる概念のことを、僕たちは「伝統」と称している。


 「伝統」という言葉に対して実存的なイメージを抱く人は少なくないだろうが、僕は「伝統」とは本来的には集団が他集団との接触によって何らかの危機的状況に陥った時に、「過去」「現在」「未来」の間の距離を集団心理的に調整し、<関係>のあり様に関する集団内の共同幻想を安定・延命させるために生み出されてきた<方法>の一つではないかと考えている。


 中曽根康弘佐藤誠三郎村上泰亮西部邁氏の共著『共同研究「冷戦以後」』の中には、「伝統を保守するということは、慣習の中に堆積されている過去、現在、未来の間の集団的な平衡感覚を参照するということだ」という考え方が示されているが、そこに「他集団との<関係>」という前提を認めるならば、これは僕の考え方と近いものになる。


 つまり、人間の集団はその歴史上で何度も他集団=異文化との接触を経験してきており、その都度「伝統」という<方法>を使って集団の心理的バランスを取ることをしてきたので、それが慣習化されているというのだ。


 そして、「伝統」という<方法>が集団の共同幻想を守る働きを果たした時に、それはあたかも歴史的な実体の如くに認知され、「伝統文化」に対する共通の認識が集団内で確立するのであろう。


 こうした考え方をとるならば、「伝統文化」なるものは必ずしも実質的な歴史性に裏付けられたものではなく、また実在する具体的な何物かを指す語でもないことになる。


 しかし、「伝統」という<方法>の有効性に気づいた人々が、ある程度意図的に定型化、様式化した「文化」のイメージ・モデルを「伝統文化」と呼ぶならば、それは自己相対化がなされているということを前提としてのみ、集団や社会のアイデンティティを守るために役立つとは言えそうだ。


 逆に言えば、「伝統を守れ」という主張は、いつも無前提に正しいとは言えぬだろうし、「伝統」という<方法>の有為性や有効性は、本来、伝統主義とは無縁な筈のロマン主義的な懐古趣味と混同された時には失われてしまうことが多いということも自覚しておく必要がありそうだ。


 勿論、僕たちの多くはたとえ個人主義者や自由人であることを標榜したところで、狭義あるいは広義における何らかの集団に帰属していなければ(あるいは「帰属している」という幻想を抱かねば)生きていけない存在であり、そうしたことを認めた上で語るならば、人々がとりあえず自らが属している集団・社会内において、自身と集団・社会の間の心理的バランスを保ちながら生きていくためには、「伝統文化」なる共同幻想に頼ることが必要な場合もあるだろう。


 ただ、「伝統文化を守れ」という主張が、一部の人々の権益や権威を守るためだけに行われたり、単なるロマン主義的な懐古趣味に基づくものであるとすれば、僕はあまり賛成することができない。


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 ところで、僕はかつて捕鯨問題について考えていた際に、IWC(国際捕鯨委員会)が「(伝統的)原住民生存捕鯨」と「(近代的)商業捕鯨」という二つの概念だけによって、IWCの管理下にある世界各地の捕鯨のあり方を分類してしまうことに対して、強い違和感をおぼえたことがある。


 この分類法の背景には、伝統社会と近代社会は必ず対立しているという思い込みや、伝統社会は清貧で商業主義とは無縁の桃源郷なのだから、クジラ同様に保護してやらねばならないという、情緒的な先入観があるように思えてならなかった。


 「保護」という思想の背景には対象への優越感と支配欲があり、「自然保護」という考え方には形を変えた人間中心主義が入り込んでいる場合もあるので、十分注意を払う必要がある。


 「自然保護」の問題については後で少し考えてみることにして、ここまで僕が進めてきた話に従えば、IWCが仮定した「伝統社会」や「伝統文化」なるものは、具体的な実体としてはありえないことだけを指摘しておきたい。


 それは、その社会に生きる人々が自己を相対化しながら、社会と自分自身のアイデンティティを守る際に有効性を持ちうる概念であり、外部からそのような規定をすることは、本来ナンセンスなのである。


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 「伝統」という<方法>は、ある人間集団が他の人間集団との接触によって、何らかの劣等感や恐怖感、疎外感を抱くことによって、その存在理由が脅かされた時に使われることの多いものである。


 人間が様々な幻想を共有することによって社会的に生きていくことを可能としてきた生物である以上、その共同幻想が急激に破壊されることがあると、自らの個人幻想は共同幻想と同調している筈だという思い込みが否定され、実際には個人幻想と逆立していた共同幻想から解放されて自由を感ずる人もいる一方で、心の拠り所を失うことによって、いわゆる「発狂」に至る人があらわれる事態ともなりうる。


 精神科医の野田正彰氏は、パプア・ニューギニアで増えている分裂病患者の治療にあたったことがあるのだが、そこで氏は、個と社会の関係を問い続け、それによって個性を確立していくという文化のあり方が、分裂病出現の前提となっていることに気づいた。個と集団の<関係>が安定している社会においては分裂病は出現しにくいが、強い影響力を持つ他集団=異文化との接触によって、その<関係>が危機に瀕した時に、分裂病は出現してくるというのである。


 これは、かつて西欧の近代文明と激しく接触した際のインドネシアで「アモック(発狂)」が多発したことや、現在のミクロネシアで米国の大学に留学した若いエリート達が、島に戻ってからノイローゼに陥ったり、自殺したりすることとも相通ずる現象のように思われる。


 ここで僕は、明治期から昭和初期にかけて、西欧に留学した日本のエリート達や、西欧の思想・学問を必死になって吸収しようとした知識人の中にも精神分裂病に陥った人が少なからずおり、彼らが無意識のうちに「伝統」という<方法>を使ってそれを克服する努力をしながらも、結局は自死に至った人もいたということに思い至る。


 現在、僕たちが漠然と抱く日本の伝統的なものというイメージの多くは、江戸期末以降の西欧文明との接触の中でこうした努力をしてきた多くの人々によって徐々に形成されてきたものであると言えるだろう。そして、そのことの是非はともかくとして、そうした人々の努力によって「日本」という共同幻想は多少は姿を変えながらも生き延びることができたのである。


 文化概念としての天皇を重視していた三島由紀夫氏は、恐らくこうしたことに対して非常に自覚的な人であったと思うのだが、氏の小説の中に『美しい星』という佳作がある。そこで描かれている「社会(世界)への違和」と「自己の身体への違和」という二重の違和感に圧殺されかかった家族が、実は自分たちは宇宙人なのだという確信を抱き、宇宙に救いを求めるさまは非常に象徴的である。


 宇宙人とは現代における他者=異人とも言える存在であり、我々が「地球人」というアイデンティティを確立する際には彼らの力も必要だろう。こうしたことまで見越していたと思われる三島氏にしても、その最期は自死であったのだから、これは個人の力だけで乗り越えられる問題ではないようである。


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