拓海広志『19歳のラプソディ』
今から30年前の19歳の時に、僕は『19歳のラプソディ』という曲を作った。当時の僕が抱いていたのは、思想が人の身体に染み込んでいってその血肉となり、日々の思考や言行、また何気ない所作をも含めて、その人のスタイル(文体)やオーラ(雰囲気や存在感)を形成していくのだとすれば、それこそがその人の人格や生き様の自然な発露としての表現であり、自分がそれなりの年齢に達したときにどんなスタイルやオーラを身に着けていられるのだろうかとういう思いであった。
高校時代に読んだ小林秀雄の著作での引用により、僕は本居宣長の「姿ハ似セガタク意ハ似セ易シ」という一節を知った。普通ならば「他人の表現の姿格好を真似るのは簡単だが、その真意を理解して似せるのは難しい」と言いたいところだが、宣長の言葉は深い。彼が言っているのは、「思想の意味・内容を理解して真似るのは簡単だが、それを真に体得して自分自身の血肉とし、自分のスタイルにまで仕上げるのは容易でない」ということだ。
僕は10歳代後半に吉本隆明という思想家に惹かれ、彼の著書を全部読んだのだが、その個々の言説の内容に納得できない点があったとしても、彼の文章のスタイルやその根底にある彼の生き様については尊敬していた。だから、前述の宣長の言葉は、当時の僕の腑に落ちたのである。書かれていること、語られていることの「意味」や「内容」も大事かも知れないが、それ以上に大切なのは「文体」なのだと。
そんな思いを抱きながら『19歳のラプソディ』という曲を作ってから、早くも30年の歳月が過ぎた。果たして今の僕は、自分のスタイルをちゃんと築けているのだろうか・・・?
【19歳のラプソディ】
(詞・曲/拓海広志)(1984年)
海峡を抜ける船の霧笛
部屋で飲む一人のウィスキー
故郷がずいぶん遠くなったようだね
それでも最後にきっと残る一つのスタイル
それだけ築いて生きていけたらいいね
19歳は行き詰まり 回り道
辛いことも多いけれど
夢の後始末つけたら 次の旅に出るよ
皆、僕のそばを走り抜けて
僕だけきっと楽をしている
友達がずいぶん遠くなったようだね
それでも僕にはいつも変わらぬ一つのスタイル
それがあるからこうして生きていける
19歳は立ち止まり 曲がり道
泣きたい夜もあるけれど
夢の後始末つけたら 次の旅に出るよ
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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