拓海広志「里海の実現に向けて : 神田優さん」

 畏友・神田優さんの結婚式・披露宴が高知で催され、「トライネット」仲間でもある写真家の円満堂修治さんと共に出席してきました。今回の結婚はいわゆる「出来ちゃった婚」だったようで(笑)、10ヶ月前に神戸の「リーズガーデン」で神田さんからやがて奥さんとなる方のご紹介を受けた際に、「もしかしたら、生まれてくる息子が拓海さんの名前をいただくかも知れませんよ」と言われていました。そして、僕が結婚式・披露宴に足を運ぶと、そこには生後半年の神田拓海君の元気な姿が・・・。これは本当に嬉しかったですね!


 僕が自分の筆名を「拓海」としたのは、海という自然や、海と人の関係について探求することで、大きく広がり、そして深まっていく世界の素晴らしさを表現したかったからですが、同時にそれは「匠」という語とも音を掛けたものでした。「匠」は人とモノの関係についての探究心を意味するもので、僕は「海(自然)と人とモノの関係性に対する探求心」を生涯忘れぬためにと、こういう筆名を考えたのです。神田さんは僕の同志とも言える生粋の海人であり、モノに対するこだわりもかなり強い人ですから、きっと僕と似た感性で息子さんに「拓海」という名前を付けたのでしょう。


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 僕が神田優さんと初めて出会ったのは、2001年だったと思います。神田さんは高知大学を卒業後、東京大学の大学院で博士号を取った生物学者ですが、大学に残って研究者になるというごく当たり前の道を選ばずに、高知県大月町にある柏島という小さな島に住みつき、その美しい自然と文化を守ることに生涯を掛けると宣言し、「NPO法人黒潮実感センター」の設立を目指して奮闘していました。そして、2002年の秋には実感センターがNPO法人として正式に発足し、僕はそれを祝して2003年2月に大阪で開催された黒潮実感センター主催の「シンポジウム・島が丸ごと博物館・高知県柏島〜豊かな里海づくりを目指して〜」でコーディネーター役を務めさせていただきました。


 神田さんは目先の損得勘定で行動するような人ではなく、「青雲の志」を大切にする非常に意志の強い人です。だから、神田さんの周囲には彼と似たタイプの人たちや、何とかして神田さんの「志」の実現を助けたいと願う熱い人たちが自然に集まってきます。これは、神田さんの持つ人間的魅力のなせる業なのでしょう。僕自身も、神田さんの活動に対してはいつも出来る限りの支援を惜しまぬつもりでいるのですが、そんな風に思える仲間がいるとそれだけで人生が豊かになりますので、彼の存在には深く感謝しなければなりません。


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 柏島は周囲4キロほどの小さな島ですが、島の南を流れる暖かい黒潮のおかげで、島の周囲には見事なテーブル珊瑚群が形成されており、海中では多種多様な熱帯魚が乱舞しています。また、それに加えて大型の外洋回遊魚も島の近くまでやってきますし、島の西側を流れる豊後水道からは温帯の魚もやって来るため、実は柏島は日本中で最も多種多様の魚を見ることができる貴重な場所となっています。神田さんは学生時代に柏島でダイビングをした際に、その多様性がもたらす美に深く感動し、生涯をこの島に掛けようと決意したそうです。僕も過去に2度ほど柏島を訪れて素潜りをしましたが、確かにここの海は最高級だと思います。


 しかし、神田さんが目指しているのは、単なる自然保護の活動ではありません。「里海」という言葉が表現するように、島の人々の生活と漁業を広義の生態系の中に位置づけた上で、人々にとっても他の生物たちにとっても豊かな海と島の環境を作り上げ、それを守っていこうというのが神田さんの呼びかけです。つまり、自然と人間の文化を相互補完的なものとして捉えることで、双方を発展的に維持していこうという考え方です。「島が丸ごと博物館」というのは、そのことを外部にアピールすることによって、島の内外の意識を共に高めていこうという、「島のエコツーリズム」におけるフィールドミュージアム的な構想だと言えます。


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 ところが、こうした神田さんの働きかけによって、柏島がすぐに島民一丸となって物事が進むかと言えば、残念ながら事はそう簡単ではありません。過疎化と高齢化が進む小島だけに、「外部から大勢の人に来られるよりも、もっと静かに暮らしたい」と思う人も少なからずいるでしょう。また、近年凄まじい数の観光ダイバーが島を訪れるようになったことから、ダイバーと漁師が対立したり、海中で中性浮力を保てない初心者ダイバーによる珊瑚の破壊といった問題も発生しており、神田さんはそんなダイバーたちを島に呼び込む立場にいるではないかと、一部の島民からは批判されもしたのです。


 一般に、「グローバル」という言葉が多様性を連想させるのに対し、「ローカル」という言葉は均質性を連想させます。しかし、実際はその逆のケースも多々あるわけで、実はローカルにはローカルの多様さがあります。だから、島おこしに対しても島民には色々な考え方があってしかるべきですし、それは島コミュニティーのあり方としてはむしろ健全なことだと考えるべきでしょう。柏島のような小さなコミュニティにも、様々な立場、様々な意見があるのが当然であり、全ての議論と行動はまずそのことを受け入れるところから始まります。


 また、島おこしなどの行動を起こす人は、「無私の私心」を持っていなければならないと僕は思います。「無私」とは自らの欲望のために行動するのではなく、「公・共」のために汗を流して働くということですが、それを一種の自己犠牲的な心持ちでやっていくのではなく、あくまでも「自分が好きだからやるのだ」という「私心」を大切にした方がよいということです。これらは、僕がミクロネシアのヤップ島で「石貨交易航海再現プロジェクト」を実行した際に学んだことで、僕はこんな話をしながら柏島で神田さんと酒を飲み明かしたこともあります。神田さんも僕と同じ意見だったと思います。


 神田さんは持ち前の明るさと優しさ、そしてその根底にある意志の強さと土佐の「いごっそう(頑固者)」スピリットで、数々の困難と試練を乗り越えてきました。しかし、今後もこうした課題から完全に解放される日は容易には来ないでしょう。でも、これからは奥さんや拓海君と共に、家族として真にコミュニティの一員として柏島で暮らしていくわけですから、きっと新たな展開がある筈です。神田さんの「青雲の志」が柏島で成就するよう、僕はこれからも大いに応援していきたいと思っています。


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