拓海広志「アルバトロス・オムニバス」

 去る12月5日に、アルバトロスクラブ設立20周年記念イベント「★信天翁曼荼羅<海>」が、新西宮ヨットハーバー内のシャイニーホールにて開催されました。現代表の高橋素晴さんをはじめ多くのメンバーが集いましたが、当日の最年長者は大串龍一さん(生態学者)で80歳、最年少者は原田祐二さん(学生)で19歳と、アルバトロスクラブらしく参加者の世代も幅広い構成となりました。


 アルバトロスクラブは、「<海><山><川>を愛し、<人>と<自然>と<モノ>の関わり方について関心を抱く人々の<サロン>として、交流と活動の<場>を提供すること」を目的として1989年5月20日に結成された、ネットワーク型のNPOです。結成から数年後には、様々なジャンルの研究者、企業人、芸術家、作家、NPO活動家、スポーツマン、ジャーナリスト、宗教家などが300名近く集う、ユニークな交流の「場」へと成長しました。以下に、アルバトロスクラブ発足から3年近く経った1992年3月に、僕が当時の雑感をまとめた「アルバトロス・オムニバス」を掲載させていただきます。


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(1)アホウドリは飛んで行く


 かつて僕が帆船「日本丸」に乗っていた頃に聞いた船乗りたちの言い伝えによると、アルバトロス(アホウドリ)とは海で死んだ水夫の生まれ変わりであるそうだ。風に乗って大海を渡るアルバトロスの雄姿は、しばしば船に沿って泳ぐイルカの群れと共に、娯楽の乏しい我々の船内生活に潤いをもたらしてくれたものである。アルバトロスは陸鳥たちのように巧みに羽ばたいて空を飛ぶことは出来ず、風が止まって僕たちの乗っていた船の帆がばたつき始めると、彼らも海に降りて所在ない様子で波間を漂いながら、再び風が吹くのをひたすら待っていたものだ。そして、ある嵐の夜に突風で羽根を傷つけられ、船に飛び込んできた1羽のアルバトロスを見て知ったのだが、地上に降り立ったときの彼らの歩みは哀れなほど不器用なものである。


 アルバトロスたちの生活は海と風と共にあり、帆船時代の船乗りたちはそんな彼らに自分たちの生き様との共通性を感じて、前述のような伝承を作ったのかもしれない。帆船という乗り物に自然と人間の関係性のほどの良さを感じ、帆はその調和の美を象徴するものだと考えていた僕は、かつての船乗りたちと同じようにアルバトロスを愛した。そして、3年前に「海(自然)」と「人」、そして「モノ」を強く意識したクラブを結成することにした際に、その名を借りてクラブの目指すべき方向性を示そうと考えたのだ。それが「アルバトロスクラブ」という名前の真意である。正にアルバトロスのごとく、遥か彼方を見つめながら、どこまでも飛んで行けるようなクラブでありたいものだ。


 昨今、地球規模の環境問題が取りざたされる中で、空前のエコロジーブームが起こっている。残念ながら、しばしば耳にする「地球にやさしく」というキャッチフレーズは情緒的過ぎて、僕の心には響かない。しかし、そんな中でも「自然とは何か?」「人間とは何か?」「自然を守るとはどういうことか?」「自然と人間の関係性とは何か?」といった根源的な問いに対する思索を深めながら、自らの生活や企業活動のあり方などを改めようとする人が増えていることもまた事実だ。アルバトロスクラブはこうした人たちのサロンとしてネットワークを充実させていきたいと思う。メンバーが様々な形で交流し、互いに刺激を与え合ったり、協力・共働していくための場を作り出すことがアルバトロスクラブの最大の目的なのだ。


 ところで、アルバトロスクラブは自然と関わる様々な「遊び」を通して、そのネットワークを拡げてきた。人々が何かに関心を持つきっかけとなるのはしばしば「遊び」であり、何か大きな事をなす際の原動力となるのも「遊び」の心である。また、人々を結びつけるための大切な要素としても「遊び」の心は不可欠であるし、実のところ「遊び」の中にこそ人間の本質があるとさえ、僕は考えている。だから、僕はこれからもこのクラブのテーマは「マジメに遊ぶ」ということでよいと思っているわけだが、上述した少々哲学的とも言える問いに挑む姿勢を捨ててしまうと、何のために集まっているのかハッキリしない陳腐な集団にもなりかねない。そのことにだけは気をつけて、適度な緊張感を保ち続けていたいと思う。


(2)クラブ試論


 綾部恒雄氏の『クラブの人類学』は、血縁・地縁集団が崩壊する過程において発生した欧米の約縁集団(クラブ)が、近代以降の合理性のみを追求する(企業活動によって象徴される)社会においてより一層その役割を強めているさまを紹介している。また、ピーター・ドラッカー氏の『非営利組織の経営』は、クラブを含む非営利組織の「良き志」や「聖なる使命」といった大義は自明のこととした上で、その活動が実際に成果を上げるためのマネジメントについて語った好著だが、その中で紹介されている「米国の成人の2人に1人は非営利機関で無給のスタッフとして働き、この第2の人生に週当たり最低でも3時間、平均して5時間を使っている」という事実は、個人主義的と誤解されがちな米国人の生活実態をよく示している。


 かつて人々が血縁や地縁によって社会とつながり、その枠組みの中での労働を通じて社会人として認知されていった時代があったことは確かである。しかし、欧米の先進国では既に血縁・地縁集団は社会の基盤ではなくなっている。また、多くの人が従事する企業などでの賃労働にしても、それだけで社会とつながっているという実感を持ちにくいものが増えているようだ。欧米社会における「クラブ」は、生活の基盤とも言える「家庭」や、生活の縦糸とも言える「賃労働」に対して、生活の横糸だと言って構わないだろう。縦糸だけでは織物が織り上がらないのは言うまでもなく、人々はクラブなどの非営利組織活動を通して何らかの社会参加や自己回復を試みているのである。


 現在の欧米の社会状況と日本のそれはかなり似てきており、日本においても労働のあり方を見直すと共に、生活の横糸を紡ぐことによって世界(社会)との関わりを考えることの重要度は高まってきているように思う。だが、日本では欧米と比べるとクラブなどの非営利組織に参加して積極的に活動する人はまだ少ない。その理由の一つとして日本企業の特殊性があげられそうだ。日本企業には人々が失ってきた血縁・地縁集団を代替する擬似コミュニティとしての機能を相当強く持とうとしてきた歴史があり、それが社員の結束を固め、結果的に日本経済の高度成長をも支えてきた。そして、企業での活動や人間関係がいつしか社員の生活の全てとなってしまうケースも多く見られたわけだ。この日本企業の特徴は欧米諸国からはあまり評価されていないが、DAEとも呼ばれるアジアの新興工業国からは「前近代的社会から経済的にスムーズにテイク・オフするための手段の一つ」として関心を寄せられている。


 しかし、残念ながら企業のこのようなあり方は経済的な離陸期という過渡期においては有効であっても、それが過ぎ去った後では人々がかつて失ってしまったものの代償とはなりえない。企業が擬似コミュニティたるべく多大な努力をして多様性を持ったとしても、その本来的な目的が「利潤を上げる」ことであるのは言うまでもなく、あまりにも大きくそれと矛盾するものを受け入れるだけの包容力は企業には期待できないからだ。また、企業での労働のあり方がより細分化・専門化されるにつれて、人々が企業での労働を通じてのみ社会とつながることに満足できなくなるのはやむをえぬことだろう。必ずしも「会社人=社会人」とは言い切れないということに気づく人が増えてきたときに社会は新たな段階に入るわけで、日本もようやくその段階に入りつつあるのだろう。


 生活の縦糸である「賃労働」が現代社会に生きる我々にとって不可欠であるのは言うまでもないが、横糸も充実させた方が人生はより豊かになる筈だ。「クラブ」とはそのための手段の一つだと考えればよいが、アルバトロスクラブでは日本の地域社会の活性化にも尽くしていきたいと僕は考えている。僕自身のことを言うと、故郷の神戸と学生時代から通い続けてきた熊野での活動には、特に力を入れている。野本寛一氏は著書『熊野山海民俗考』の中で、「熊野は古来、外から来る者をひきつける強力な吸引力の主体であった」としながら、熊野信仰について「熊野から外に向かって発信されたその信仰は、成立基盤・基層は別として、熊野の庶民とは隔たりを持ったもので、中央的、集団的なものであった」と語っている。一方的な思い入れだけで熊野に入っていくのではなく、まずはその風土に由来する「内なる熊野」の精神や文化、生活や労働などについてより深く理解せねばならない・・・。


(3)伝統と文化


 我々が「アルバトロス・プロジェクト(ミクロネシアの伝統的帆走カヌーによるヤップ〜パラオ間の石貨交易航海の再現計画)」を通じて交流しているミクロネシアのヤップ島では、伝統社会が急激に近代化する過程で様々な矛盾が生じており、自殺する若者の数の多さが深刻な社会問題となっている。パプア・ニューギニア分裂病患者の治療にあたった経験を持つ野田正彰氏はその著『狂気の起源をもとめて』において「分裂病とは伝統社会と西欧文明が接触した際の摩擦によって生じる心の病である」と語っているが、ミクロネシアには近代化の過程でその摩擦熱を逆に利用して経済成長を促したかつての日本企業のような擬似コミュニティは存在せず、彼らの近代化の道のりは経済的な面もさることながら、精神的な面でより困難が多いようだ。


 僕がこの伝統的航海の再現計画に共鳴した理由の一つは、危機的状況にあるヤップの人々の文化的アイデンティティ再確認への意欲の強さに打たれたからだが、それが今後の彼らにとって意義あるものとなるためには、協力する我々の側のロマン主義や、彼らのノスタルジーだけを拠り所にしてはならぬだろう。また、アルバトロス・プロジェクトをより深いものとするためにも、アルバトロスクラブはサロンとしての機能を大いに発揮して、この計画の本質を常に問い続けるべきだ。つまり、「伝統とは何か?」「文化とは何か?」「伝統文化を守ることにどのような意義があるのか?」等々といった問題についてである。


 文化とは極めて関係論的な問題だと僕は思うが、ある文化が固有の位置を獲得するためには自己を対象化するプロセスがあり、故に何らかの異文化との接触が必要となるはずである。しかし、異文化との接触という場面において、空間的な差異の問題が時間的な新旧の問題にすりかえられるというのはよくあることだ。つまり、文化の文脈の相違といった問題が、どちらかが進歩しているというふうに誤って理解されてしまうのだ。自らの文化が後れており、異文化の方が進んでいると判断したときに、人々は「現在」に対する「未来」をイメージ化することになるが、そこで初めて自らが立つ「現在」の根拠として「過去」なるものが問われることになるのだろう。「伝統」とはそのような状況下において「過去」と「現在」と「未来」の間の距離を集団心理的に調整し、自己を安定させるために生み出された「方法」ではないだろうか。


 「伝統とは何か?」という問題について、示唆的な文章が中曽根康弘氏、佐藤誠三郎氏、村上泰亮氏、西部邁氏の共著『共同研究「冷戦以後」』の中にあったので、引用させていただく。−「あらゆる時代が過去への志向、現在への執着、そして未来への飛翔という三方向の絡み合いの中にあるのであり、その時代が残す歴史の知恵、すなわち伝統とはこの葛藤の間における精神の平衡のことなのである。つまり単なる過去志向が浪漫主義の一種に過ぎないのに対して、伝統を保守するということは、慣習のうちに堆積されている過去、現在、そして未来の間の集団的な平衡感覚を参照するということなのだ」。−ここでは人々が何故過去や未来を志向するのかということには触れられていないが、異文化との接触によって空間的な問題が時間的な問題に変換されていくからという仮説を前提とするならば、これは僕の考えとかなり近いものになりそうだ。


 この考え方に拠るならば、「伝統文化」なるものは「伝統」という方法の有効性に気づいた人々によって、ある程度意図的に定型化・様式化されたものだとも言えそうだ。そして、それを守るという思想は、集団心理の安定化を図るための方策の一つでもあるのだろう。こうした「過去」「現在」「未来」という3本の時間軸を個々人がそのまま引き受けようとすれば分裂病に陥る可能性は高く、高次の抽象化能力を持つ一部の人々(このような人はシャーマン、預言者などになりうる)以外にとってはあまり好ましいことではない。従い、急速な近代化の波に翻弄されて自殺する若者も増えているヤップで「伝統文化を守る」という思想を掲げることは、このような観点において当面必要なことであると僕は思うのだ。


 先月僕はヤップを訪ねて、今回のプロジェクトの「覚書」にサインをしてきたが、ヤップ側でこれにサインをしたのは酋長会議代表のケネメツ氏、ヤップ州政府代表のS・ファランルー氏、そして島の実業家代表であるジョー・タマグ氏の3名であった。ミクロネシア連邦の1州として近代国家への道を歩みつつも、政治の実権はまだ酋長会議が握っているヤップの複雑な事情を反映していて興味深いが、僕個人としては今回のプロジェクトを通じてむしろヤップの若者たちとの交流を深めることが重要だと考えている。彼らが「伝統」という方法を巧みに使いながら、新しい時代を切り開いていくことを応援したい。


 なお、本項で僕が記したことは、我々人間は完全な個人主義者にもコスモポリタンにもなりえず、何らかの集団に帰属せねば存在できないということを不承不承認めた上で書いている。しかし、ある集団の安定を守るために、集団の成員や他の集団が犠牲にならぬよう気をつけねばならないのは言うまでもなく、まずは吉本隆明氏の「共同幻想は個人幻想とは常に逆立する」(『共同幻想論』)という言葉や、アーサー・ケストラー氏の「集団は一個の準自律的ホロンと見るべきであって、単純な個人の部分集合体などではない」(『ホロン革命』)などといった言葉を十分吟味すべきだろう。その上で「伝統」という方法について語らねば、伝統主義には危うい面もあるということを付記しておきたい。


(4)言葉にならない言葉


 昨年出た立花隆氏の『サル学の現在』は、世界の最先端を行くと言われる日本のサル学の達成をまとめた刺激的な本だ。この本を読んでいると、「人間らしさ」と思っていたことの原籍が実はサルにあるようなケースが多く、人間とサルの境界線の曖昧さを思い知らされる。人間が誇る「言葉」についても、チンパンジーはある程度までは人間の言葉を理解できるようになるかも知れず、人間だけに許されたものとは言い切れないのかもしれない。


 しかし、人間の言葉とはコミュニケーションの手段としてのみ存在するものではない。その中には様々な抽象概念が込められており、それゆえ言葉には霊的あるいは宗教的な力もあるわけで、むしろ言葉の本質はそれだと言った方が正しいような気がする。吉本隆明氏は聖書の『マルコ伝』が<喩>として書かれていることの意味を言葉の持つ霊性に求めている。すなわち<喩>がわかるということは神に近づくことでもあるのだ。「言葉」とは太古の人間が「自然」を対立物として見なすようになったときに生まれたもので、それゆえ「喩は言葉の始原のところでは直叙よりももっと直叙であった」(『喩としてのマルコ伝』)と氏は書いているが、言葉が「言霊」とも呼ばれるように霊性を帯びたものであるのは、その発生の起源が人間が自然を大いなるものとして認識したときにあるからなのかも知れない。


 「直観」を重視する今西錦司氏は、「直観は外(他意識)から来る」と語っているが、これは非常に重要な指摘だと思う。我々は自意識というチッポケなものに基づく言葉を発しながら日々の暮らしを送っているが、宇宙(自然界)は「言葉にならない言葉」で満ち溢れているのではなかろうか。そうした言葉を受信することが直観を生むのであり、そこから「自然」を捉えなければその総体をつかむことはできないというのが、今西氏の言いたいことなのだろう。氏によれば、自然科学は所詮人間の自意識の中で加工されたものに過ぎず、自然の総体を把握するための自然学こそが重要とのことだが、「言葉にならない言葉」の到来を待ちながら、そうした学問を築き上げていくためにはどうしたらよいのだろうか。今西氏の境地にたどり着くのは、そう容易なことではない。


 だが、我々にも出来ることが一つだけある。それは「耳を澄ます」ことだ。昨年末のアルバトロス・シンポジウム「渡海−海を渡った人々」の席上で、ダイバーの渋谷正信氏が「我々の世界には人間が本来持っている<勘>を殺すシステムがあるようだ」と語っていたが、<勘>とは「言葉にならない言葉」を捕まえるためのもう一つの耳である。その耳を澄まし、受信能力を高めることがまずは必要ではなかろうか。そのためには、街から離れて海や山などの自然の中で活動する時間を長くすることも大切だし、同時に逆説的だが「言葉」にこだわることが重要だと思う。なぜならば、外から訪れる「言葉にならない言葉」は相当抽象度が高いものであり、現在の我々がそれをきちんと概念的に理解した上で他人に伝える際には、その表現は恐らく<喩>の形しか取れないのだろうが、やはり「言葉」を使うことになる筈だからである。


 「言葉にならない言葉」を他人に伝えるのに「言葉」を使わざるをえないという矛盾は、我々の弱点をハッキリ示している。しかし、人類は実際には言葉を使わずに意思の疎通を行ったり、ある価値観を共有したりしてきたこともまた事実だ。先述のシンポジウムで文化人類学者の秋道智彌氏は、太古に太平洋の島々に拡散していった人々の渡海の動機について「一般化はできない」と語り、カヤッカーの阿部年雄氏は「様々なレベルでの欲望があったのでは?」と問題提起されたが、僕はこの種の大掛かりな民族移動において重要なことは個々人にとっての動機ではなく、全体レベルでの<契機>、すなわち集団全体を突き動かした「言葉にならない言葉」ではないかと考えている。かつて人々はそのような言葉を宗教などの力を借りることなく、共有できたのではないだろうか。


 太古の太平洋の航海者たちの「知」の体系は、多分に身体的なものであったろう。日中の科学者が集まって催された『気と人間科学』(湯浅泰雄氏・編)というシンポジウムの中で、中国科学技術協会主席の銭学森氏は「宇宙が超巨大システムであるとすれば、人体というシステムはその中にある、開かれた、またきわめて複雑な巨大システムである」と語っているが、人体が開放系のシステムであり、宇宙の動きと連動しているというのは重要な指摘だ。かつて、太平洋の航海民には宇宙(自然界)からの「言葉にならない言葉」を、自らの身体性に同調させることで受け止める能力が備わっていたのかも知れない。


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