拓海広志「『タガロア再発見』を読む」
インドネシアのマナドに住む在野の研究者ジョン・ラハシアさんが1970年に発表した論稿『Penemuan Kembali Tagaroa(タガロア再発見)』を、僕は今から十数年前に邦訳したことがあります。太平洋の島々をめぐる人類学や考古学上の数々の研究成果は、その時点において既にラハシアさんの論稿の内容を幾つか否定していました。しかし、当時の僕は「インドネシア独立の精神」を伝えるラハシアさんに惹かれ、またその愛国心を原動力として形成されてきた彼の学説を知ることによって、インドネシアの知識階級が民族のアイデンティティを確立するためにしてきた努力の一端を知ろうとしていたのです。本稿の要旨を述べている冒頭部を要約し、僕の拙い注記も付して紹介してみようと思います。
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★タガロアとは何か?
ラハシアさんは「オーストロネシア」あるいは「マレー・ポリネシア」(注1)として知られる地理上の一地域を指す呼称として「タガロア」(注2)という概念を提起する。氏曰く、その地域とは西はマダガスカル島から東はハワイ諸島、イースター島まで、また北は日本から南はニュージーランドまでの広大な海域に拡がる島嶼世界のこと。ラハシアさんはオーストロネシアという概念を創出したヴォン・シュミット氏、またマレー・ポリネシアという概念を創出したウィルヘルム・ヴォン・フンボルト氏の学説を紹介した上で、それらを批判する。
(注1)「オーストロネシア語族」あるいは「マレー・ポリネシア語族」とは、西はマダガスカル島(マラガシ語)から東はイースター島(ラバヌイ語)まで、北は台湾(高山族諸語)及びハワイ(ハワイ語)から南はニュージーランド(マオリ語)に及ぶ広大な地域で話される諸言語を含む語族のこと。ただし、ニューギニアなどのメラネシア西部は含まない。なお、これはあくまでも言語学上の分類であり、人種的な分布はこれとは一致していない。文化的にもこの地域はかなり多様性を持っており、簡単に一つの共通項で括ることはできない。ラハシアさんは日本もオーストロネシア語族圏に加えているが、現代の日本語はこれには属さない。しかし、ピーター・ベルウッド氏が著書『太平洋』で指摘したように、太古の日本列島においてオーストロネシア語族に属する他の言語が話されていた可能性はゼロではないだろう。
(注2)「タガロア」はタンガロア(Tangaroa)と表記されるのが一般的。ポリネシア各地でタネ(男性原理の象徴。光の神)、トゥ(軍神)、ロンゴ(農業や豊饒の神。雷神)と共に神話や宗教儀礼上、重要な位置を占める海神。中部・西部ポリネシアでは最も重要な神であり、タヒチやサモアでは無限の空間にただ一人で住むタンガロアが天と地、人間などを創造したとされている。ハワイでは悪・不幸の神で大蛸として登場し、マオリ族の間では天と地の息子たちの一人とされる。ラハシアさんの学問の出発点にはトール・ハイエルダール氏の唱えたポリネシア人南米起源説への反発があったわけだが、そのハイエルダール氏は著書『海洋の人類誌』において、イースター島ではタンガロアをはじめ、タネ、トゥ、ロンゴなどの汎ポリネシア的な神々や英雄マウイが全く重要な位置を占めておらず、逆にマケマケ、ハウアなど他のポリネシアの島々には存在しない神々が崇拝されていることを、イースター島が南米大陸から影響を受けた証拠の一つとして挙げている。
★何故タガロアなのか?
ラハシアさんは、海洋民族であった初期マレー・インドネシア人の子孫として、長い植民支配を受けたあと独立を獲得したインドネシア人は、自らの概念やそれに基づく呼称を大切にせねばならないと説く。タガロアは様々な表記のされ方をするが、いずれにせよポリネシア各地における「至高の海の神」もしくは「海の主」だ。そして、サンギール・タラウド諸島におけるTagaroa、Taghalroangとは「広大な海」を意味し、フィリピンにはTagalogという語がある。
オセアニアという呼称はギリシアやローマの神話に登場する海神オーケアノスに由来し、西欧人によって命名されたものだ。前述した地域(西はマダガスカル島から東はハワイ諸島、イースター島まで、また北は日本から南はニュージーランドまでの広大な海域に拡がる島嶼世界)に住む人々にとってはタガロアこそが海神を意味し、それはこの地域に住む全ての人々に共通するアイデンティティの象徴でもある。こうした考えに基づき、ラハシアさんは「タガロア」という呼称を提案する。
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ラハシアさんの思想はスカルノ時代のマレー対決を支えた「大マレー主義」と通ずる点も多いのですが、多民族国家のインドネシアにおいてマレー主義はその統一原理の一つであり、いわばマレー・グローバリズム的な意味合いも持っていたということに注意する必要があります。『Penemuan Kembali Tagaroa(タガロア再発見)』は、独立を勝ち取ってからまだ日の浅かった時代に書かれた、「インドネシアの青春」を感じさせる論稿です。
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