拓海広志「イメージの力で海を渡る(3)」
1998年の6月に、新西宮ヨットハーバーにて「多様性の中でのアイデンティティ」というテーマのミュージック・シンポジウムが催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。講演と音楽を組み合わせたユニークな形態のシンポジウムで、僕もウクレレ片手の講演(漫談?)をさせていただいたのですが、その内容をここに紹介させていただこうと思います。
* * * * *
【7:ミクロネシアの伝統航海術】
ところで、最近は精神医学の世界でも「伝統」という方法を使った民族文化療法(エスノセラピー)が注目を集めるようになってきていますが、僕は人間というものはずっと昔からそうしたことを意識的あるいは無意識的に行ってきたのではないかと思っています。僕がそうした問題を真剣に考えるようになったのは、1980年代にミクロネシアに伝わるシングル・アウトリガー・カヌーの航海術を学ぶためにヤップ島に足を運ぶようになってからのことです。
ヤップ島というところはミクロネシアの中でも最も伝統的な文化を色濃く残していると言われるところです。ところが実際のところ島の経済生活は米国からの援助で成り立っており、その結果として消費生活のみが近代化してしまったにもかかわらず、彼らは近代的生産手段を獲得してはおらず、他方では昔ながらの自給自足的な生活形態はかなり崩壊しています。そうした中で人生の方向性を見失った若い世代がアルコールやマリファナに耽溺したり自殺をしたりするという現象も起こっているのですが、こうしたことはアボリジニーやエスキモーなど「保護という名の差別」を受けてきた人々が直面してきたのとやや似たような状況下に彼らがいるということを意味します。
僕は何度かヤップ島に通って島の古老たちと親しくなる中で、彼らから島に伝わる石貨交易航海を再現したいので力を貸してほしいと頼まれました。石貨とはヤップの人たちが帆走カヌーに乗って南西約500キロのところに浮かぶパラオ諸島まで渡り、そこにある結晶石灰岩(ライムストーン)を切り出して、再びヤップまで持ち帰ったものなのですが、それはヤップの勇敢な航海者たちの魂の証でもあり、極めて精神性の高い貨幣です。その石貨交易航海が途絶えてから既に100年が過ぎていたのですが、それを再現することによって島の伝統や魂を若い世代に伝えたいというのが古老たちの思いなのでした。僕と数名の仲間はカヌーの建造から航海、石貨作りに至る一連のプロジェクトをサポートし、5年がかりでこのプロジェクトを実現させたのですが、僕がこの時の経験から学んだものは少なくありません。
太平洋の島々に住む人々は何千年も前に東南アジア島嶼域からカヌーで船出をし、たどり着いた島々でカヌーの構造を改良しながら、徐々に各地に拡散していったと言われています。彼らの航海術は多分に身体感覚に拠っており、天体の動きや、波や潮流などの自然現象、鳥の動きなどの生物現象などを解読しながら、自らの進むべき航路を見出していくというものでした。その背景には彼ら独自の自然観があり、それに基づくテクノロジーとしての航海術が成立していたわけですが、現在のヤップにはそのような航海術を有する人は皆無です。そこで、我々はヤップ〜パラオ間の石貨交易航海を再現するにあたって、サタワル島という離島出身の著名な航海者であるマウ・ピアイルックにカヌーのキャプテンになってもらったのでした。
航海計器を駆使して自然を解読しながら海を渡る近代航海術と、五感を駆使して自然を解読しながら海を渡るという太平洋の島嶼民たちがかつて有していた航海術を比較し、近代航海術の方が進んでいると言い切ってしまうことに対し、僕はためらいをおぼえます。むしろ後者の方が人間の持つ潜在能力を最大限引き出すという点においては優れているとも言えますし、そうした能力の片鱗は現代に生きる我々の中にもあるのではないかと私は思っています。そして、そうした能力は超能力でも何でもなく、近代科学とはパラダイムの異なるものの、やはり一つの「科学」に裏打ちされたものだと思うのです。
航海術において非常に重要なことは、自分のいる位置を知るということと、進むべき方向を知るということです。これはすなわち空間認知能力ということです。空間を認知するためには地図(海図)が必要ですが、太平洋の島嶼民たちは頭の中にイメージ・マップを持つことによって海を渡ることを可能にしてきました。イメージ・マップの指標となるのは天体図です。つまり、星の見え方によって自分の居場所を特定するということであり、これは近代の航海術とも相通ずるものなのですが、彼らは一切の航海計器を使うことなく、自分の位置を割り出し、進むべき方向を見つけだすことが出来るのです。
また、彼らはこれと言った目印のない大洋の上にも自らのイメージ・マップを描いていきます。これはサタワルではプゥコフと呼ばれるものですが、ある特定の海域に「鯨が群れているところ」とか「アホウドリがいるところ」とかいった何らかのイメージを刻み込み、それによって場所の記憶を助けるというものです。これは、一種の記憶術と言っても差し支えないでしょう。山の民も山中で同様のことを行ってきたように思うのですが、こうしたイメージの力を借りることによって彼らは頭の中に地図を作ることが出来たわけです。
【8:ハワイの伝統文化復興運動】
ところで、僕たちがヤップ島で実現したプロジェクトと似たようなことは、80年代から90年代にかけて太平洋の他の島々でも行われてきました。こうした「伝統的航海術の復興ブーム」とも言えるものを引き起こしたのはハワイの人々でした。彼らは1976年にホクレア号と名付けられたダブル・カヌーを使ってハワイからタヒチまでの航海を成功させたのですが、この時もハワイには一切の航海計器を使わずに大海を渡る技術を有する航海者はいませんでしたので、サタワル島からマウ・ピアイルックが招聘されて、ホクレア号のキャプテンを務めたのです。
ホクレア号の航海は当時のハワイにおいては一大エポックだったようです。現在ホクレア号のキャプテンを務めているハワイ人のナイノア・トンプソンによると、それまでのハワイでは学校などでハワイ語を話すこと自体が恥ずかしいことだったが、ここ20年の間にそうした状況は一変し、ハワイの学校では正規の授業としてハワイ語が教えられるようになっており、様々な形で伝統文化の復興が成し遂げられてきているとのことです。そして、そうした「伝統文化復興運動」の契機となったのが、ホクレア号のハワイ〜タヒチ間航海だったというのです。
ナイノアはマウがキャプテンを務めた第1回目の航海にクルーの1人としてホクレア号に乗り込みました。そして、マウの航海術に魅了され、自らもそれを体得することを決意しました。以後彼はプラネタリウムを使って星のイメージ・マップを頭の中に叩き込むなど、現代的方法によって古代の航海術を会得していったのですが、最後にはマウをハワイに招いて教えを乞い、遂に彼から認められるところまで達したといいます。そして、ナイノアはマウから学んだ航海術を若者達に伝授することによって、ハワイの若者たちに自らの伝統文化を見直す機会を与えました。それがハワイの「伝統文化復興運動」の契機になったわけです。
僕はナイノアと一度しか会ったことがないのですが、強い意志とナイーブな感受性を秘めたその風貌はとても魅力的で、彼がハワイの多くの若者達から尊敬を集めていることは容易に想像がつきました。イメージの力で海を渡るという太平洋島嶼民たちの持つ航海術がマウ、ナイノアという師弟コンビのおかげで蘇り、それが現代のハワイ社会を変えるきっかけの一つともなったということの意義を再認識しておきたいと思います。勿論、現在ハワイで進められている「伝統文化復興運動」もまた一種のイメージ戦略に基づくものであり、それが「真の伝統」なのかどうかはわかりません。しかし、重要なことは、「伝統」という方法を使うことによって、ハワイ人たちが自らのアイデンティティの再確立を図っており、それが一定の成果を上げているということでしょう。
【9:時の彼方へ】
では、最後になりましたが、僕が1989年に作った『時の彼方へ』という曲を歌わせていただき、終わりにしたいと思います。一見ラブソング風に装っていますが、実はミクロネシアの伝統航海術をイメージした歌です(笑)。何ともとりとめのない話になってしまいましたが、本日は最後までご静聴いただき、誠にありがとうございました。
『時の彼方へ』(作詞・作曲:拓海広志)(1989年)
風が光の海を そっと吹き抜けていった
君はいつまでそこに 佇んでいるの
波が陸に上がった 人を曳いて呼び戻す
海の伸ばした手ならば 僕は船に乗る
二人 夢の船 帆を高く揚げ 西風に吹かれて行けば
時の 彼方から 海図にはない 島陰が浮かんで消えた
時の果てる海で 二人導く星よ
永久の輝きに愛を 誓って祈ろう
Such a wonderful moment...
鳥が幻よりも 早く夜を駆け抜けて
君の胸に秘められた 思いが溢れる
月の誘うままに 船は水面を滑るよ
イルカの歌にまどろんで 静かに眠れ
二人 愛の船 航海灯を灯し うねりを読みつつ行けば
宇宙の 彼方から 一筋明るく 光が射しては消えた
時の生まれる海で 二人導く鳥よ
遠い未来に夢を 託して祈ろう
Such a wonderful moment...
★Played by The Hyper Bad Boys
※参考記事「渡海−人は何故海を渡るのか?」
※参考記事「石貨交易航海の再現」
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