拓海広志「イメージの力で海を渡る(2)」

 1998年の6月に、新西宮ヨットハーバーにて「多様性の中でのアイデンティティ」というテーマのミュージック・シンポジウムが催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。講演と音楽を組み合わせたユニークな形態のシンポジウムで、僕もウクレレ片手の講演(漫談?)をさせていただいたのですが、その内容をここに紹介させていただこうと思います。


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【4:自然と風景】


 僕たちは自然の風景が人の心の中に故郷の原風景として焼き付いていくということを極めて「自然」なことだと理解しがちですが、実際にそのプロセスをよく観察してみると、多分に人為的な操作が働いていることに気づくケースもあります。かつて「教育装置としての風景」ということを語ったのは蓮実重彦氏でしたが、実際のところ風景には教育効果があるのです。そのことを知っている人々はイメージ喚起力の強い音楽などを使うことによって「自然」を「風景」へと加工していくわけですが、特にある民族集団などがアイデンティティの不安にさらされている状況下においては、為政者によってこうした努力がなされることがよくあるようです。


 言うまでもないことですが、風景というのは「場所のイメージ」です。「場所のイメージ」が人間の記憶や思考と密接な関係があることについては、古代ギリシアにおいても非常に注目されていたことであり、アリストテレスも「たとえ思弁的に考える場合でも、考える手がかりとなる心像(イメージ)が何ほどかはなければならない」と語っています。哲学者の中村雄二郎氏はその著書『共通感覚論』の中で、古代ギリシアにおいて場所やイメージといった概念が記憶・想起といったものと結びつけられ、それが人間精神の本質的な働きとして捉えられていたことに注目していますが、人間が「共通感覚」を持つにあたって「場所のイメージ」が果たす役割の大きさについて私たちは再認識する必要がありそうです。


【5:文化とアイデンティティ


 ところで、僕は人間が自然に対してなんらかの働きかけを行う時に生じる関係性のあり方、あるいはそこから派生的に生じてくる人間同志の関係性のあり方こそが「文化」というものの本質ではないかと考えています。しかし、「文化」という概念が集団の成員の中で共有化されるためには、ある程度の空間性と時間性が必要です。例えばある人が「これが私の文化です」と語るのを聞いても我々は違和感をおぼえますが、「これが我が家の文化です」と言われればすんなり受け入れることができます。また、「これがここ1〜2年の我が国の文化です」と言われると違和感をおぼえますが、「これが太古から続く我が国の文化です」と言われるとすんなり受け入れられるものです。つまり「文化」とはある一定の人数以上の集団が、ある程度の歳月にわたってそれを維持しているという前提があってこそ、人々の間で「共有のもの」として認知されうるものだということです。


 「文化」は多分に環境要因によって決定されやすいものですので、元来それは相対的なものだと言えます。ところが、我々は異文化集団と接触した時に彼我の「文化」を比較せざるをえず、そこでしばしば何らかの摩擦が発生します。人間集団が自らの「文化」というものを認識したり規定したりするのは、実のところ異文化集団との接触を契機とした自己対象化というプロセスがあってのことだと思います。つまり、そこに他者がいるからこそ、「己は誰か?」という問いが意味をなすということですが、この問いはより正確に言うと「己は誰と同一であるか?」ということであり、そこで生じてくるのがアイデンティティという意識なのだろうと思います。


 異文化集団同志が接触すると必ず何らかの摩擦が起こるということは先にも述べましたが、その際に「どちらが進んでいるか?」という風に、彼我の文化を時間軸の上に置いて比較することが好きな、あるいは得意な文化集団がいます。文字を有する文化集団にはそのような傾向が少なからずあるようですが、特に近世の終わりから近代にかけての西欧文化圏の人々にはその傾向が相当強かったように思います。世界中に乗り出して行った彼らは、自らの生み出した近代というパラダイムを先進的なものとし、それと異なるパラダイムの上に立つ文化を後進的なものと規定して回りました。当然のことながら、こうしたことが世界規模で起こったのは、人類史上初めてのことだったろうと思います。


【6:方法としての伝統】


 強大な力を持つ文化集団とそうでない文化集団が接触した時に生じる摩擦は、後者に対して大きな不安感や劣等感を与えがちです。特に西欧の文化集団は強大な軍事力を背景に、キリスト教と近代科学、そして資本主義といったものを世界各地に伝導するという使命感を持っていましたので、他の文化集団は否が応でもその濁流の中に呑み込まれていかざるを得ませんでした。そうした中でも特に早いペースでの変化を余儀なくされた文化集団においては、個々の成員がそうした急速な変化についていくことが出来ず、何らかの「心の病」に陥るケースも少なくありませんでした。こうした危機を克服するための仕掛け、あるいは方法の一つが「伝統」というものではないかと僕は思っています。


 僕の考えでは、「伝統」とは実体概念ではありません。それは、「文化」の持つ時間性を強化し、成員たちの集団への帰属意識を高めるための方法です。そうすることによって人々の文化的アイデンティティは強化され、強大な力を持つ異文化集団との接触によって引き起こされた急速な変化の中で「心的な危機」に陥るのを回避することも可能になるわけです。「伝統」は実体概念ではないので、多分にイメージの力を必要とします。そのイメージはしばしば「自然」と結びついており、それを「風景」として切り抜いたものが「伝統」という概念を成立させる上で大きな役割を果たします。先ほど僕がご紹介した『アロハ・オエ』、『ブンガワン・ソロ』、『故郷』といった曲は、ハワイとジャワ、日本の自然の原風景を鮮明にイメージさせる力を持っていますが、それらは人々の「伝統」意識をも強化してきました。それによって人々は自らのアイデンティティを意識するようにもなるわけです。


 このようにして生み出された伝統意識が「文化」というものを規定した時に、それは「伝統文化」と呼ばれるようになるわけですが、面白いことに「伝統文化」は外からの眼差しを浴びることによってさらに強化されます。例えば、バリは太古からの伝統文化が息づく島として知られており、そこを訪れる観光客は信仰と民族芸能を大切にしながら日々の暮らしを送っているバリ人たちを見て感銘を受けます。ところが、バリの伝統絵画と言われる曼陀羅風の絵にせよ、観光客に人気の高いケチャッにせよ、1920年代にバリに滞在した西欧人たちの影響を受けて生み出されたものであり、それらは決して古くからバリにあったものではありません。こうしたものはむしろ外からの眼差しを意識することによって「伝統文化」としての地位を獲得していったものだと言えるでしょう。


 このようにしてみると、しばしば語られる「伝統文化を守れ!」という言説がいつでもどこでも無前提に正しいとは言えないことにも気がつきます。「方法としての伝統」という醒めた認識があれば、「伝統」はある文化集団に属する人々のアイデンティティを強化し、急激な変化の中で個人が心理的なバランスを保つ上で大きな役割を果たし得ます。ところがそうした醒めた認識が全くない時には、伝統主義は安易な懐古趣味に堕落する恐れもありますし、場合によっては権威主義と結びつくこともあります。特に後者の場合だと、「伝統文化を守れ!」という言説は、特定の人々の権威や利権を守ることのみを意味する場合もありえますので、注意が必要かもしれません。


※参考記事「渡海−人は何故海を渡るのか?」
※参考記事「石貨交易航海の再現」


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⇒「イメージの力で海を渡る(3)」


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