拓海広志「域内流通の可能性(1)」

 2000年12月に淡路島の由良で「域内流通の可能性」というテーマのシンポジウムが開催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。そこで僕がお話した内容をここに紹介させていただこうと思います。


   *    *    *    *    *


 皆さん、こんにちは。今日は僕の話の後に鷲尾圭司さん、君島崇さん、徳江倫明さん、田村安さんと、「食の流通」のプロの方々が4人も控えておられますので、僕の方からは概説的なお話だけをさせていただき、後の講師の方々につないでみたいと思います。のっけから逃げ腰で、大変申し訳ありません(笑)。


「食」の問題と「性」の問題はとても似たところがあって、いずれも我々が持つ本能的な部分、動物性に依拠していながらも、人間にとっての「食」と「性」は極めて文化的なモードの上に成り立っている。それ故に「食」と「性」はしばしば偏見や差別の対象にもなりやすいと語ったのは石毛直道氏でした。確かに「食」と「性」には人間関係を裸にしたり、緊密にする力があるということは経験的に誰もが知っていることで、だからこそ私たちは社会生活や家庭生活において共食という行為を重視するわけですが、今日のテーマはそういった「食」の文化に関することではなく、流通に関することです。


 ところが、この流通というテーマの中には、実は文化の問題もちゃんと存在するんです。ミクロネシアのヤップ島で流通している巨大な石貨の価値を決めるのが島民たちの有する「物語」であるということは非常に象徴的な話ですが、モノは運ばれ、流通することによって物語を膨らませ、その価値を高めていく場合が多いのです。流通の起源について考えると、誰もが思い浮かべるのは物々交換的あるいは互酬的なモノのやり取りだと思います。物々交換については、異なる集団同志の接触、交渉の方途の一つであったとも考えられており、民族学では沈黙交易といった事例も数多く紹介されています。


 今でも、東インドネシアのレンバタ島などへ行きますと、海人が命がけで捕獲してきたマッコウ鯨の肉と、山人が栽培したトウモロコシなどが等価交換されているのですが、そこには先住民である山人と、後から島にやってきた海人との関係性も垣間見えます。ただ、こうした形でのモノのやり取りと、それ自体が一定の価値を有する貨幣を媒介として行われるモノのやり取りの間には大きな違いがあります。後者においては、あらゆるモノを横並びさせた上で、貨幣を基準としてその価値の比較が出来るようになるわけですが、現在の流通のルーツはやはり貨幣経済の誕生時にあると思います。


 ところが、人が集団で生活しながらむらを形成するようになり、むらの生産が自給自足的な段階を超えるようになってくると、その生産物を売るために市(マーケット)が生まれてきます。そして、市を中心にまちが生まれてくるわけですが、この「むら−まち」の関係の中でモノとお金、人と情報が動くことを域内流通と称します。民俗学者宮本常一氏は、日本のまちの成り立ちについて考察する中で、漁業が重要な役割を果たしたと指摘しています。つまり、漁民たちが保存性の低い魚介類を保存性の高い農作物、特に米などの穀類と交換したのが市の起源であり、日本のまちの多くはこうした市を中心に成立し、発展してきたというのですが、これは非常に重要な指摘ではないかと私は思っています。


 しかし、漁民たちは澱粉質の食べ物を得るために市に魚を売りに行くわけですから、どうしても農民に対して従属的な関係になりがちですし、漁民の移動性向の高さは定着性の高い生活をしている農民からは異人扱いされやすい要素を持っています。こうしたことが、かつて漁民に対する蔑視、差別を生み出したのではないかと言われているわけですが、これもつまるところは市(マーケット)での力関係が生み出した関係だと言えるのかも知れません。


 ところで、市(マーケット)の持つ重要な機能は、モノや情報の価値を決めることですね。この機能があるために、市は必ず権力を有するようになりますし、政治的な権力者も市を自らの管理下、支配下に置こうとします。それで市は常に政治権力との間で一種の緊張関係を持つようになります。政治権力が多かれ少なかれ市をコントロールするとしても、そこには非常に保護主義色の強いものから、古の港市国家マラッカで見られたような自由交易や、日本の戦国時代において斎藤道三織田信長らが押し進めた楽市・楽座のように、その時代背景を考慮するとかなり自由度の高いものもあります。

 
 一方、商人は市の機能をフルに活用して富を得ようとしますから、市が決めるモノや情報の価値の変化、つまり相場を見ます。その際に穀物のように長期的なストックが可能なものは、相場を睨みながら売買が出来るという点でメリットがあります。亡くなった鶴見良行氏が指摘してこられたように、ナマコ、フカヒレといった海産乾物についても同様のことが言えますが、これらはアジア、太平洋、インド洋を股に掛ける華人商人にとって重要な商材となっており、その相場は香港で決まると言われています。


 ところで、現在僕はシンガポールという、世界でも稀に見るほどの超管理国家で生活しているのですが、この国は第一次産業についてはとうの昔に全面放棄しており、第二次産業についてもハイテク産業と石油化学産業のみに特化してきています。そんな中で、政府は国全体を情報と金融、物流と人流のハブとしてデザインし直し、それによって国際競争に打ち勝とうとしているわけですが、政府が力を注いでいるのはWTOよりも迅速に貿易の自由化を促進するための二国間協定、すなわちFTAを多くの国々との間で締結することです。シンガポールは正に超近代版の港市国家を目指していると言えそうです。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


Link to AMAZON『食いしん坊の民族学』

食いしん坊の民族学 (中公文庫)

食いしん坊の民族学 (中公文庫)

Link to AMAZON『町のなりたち』 Link to AMAZON『日本の都市は海からつくられた』
Link to AMAZON『ギョギョ図鑑』
ギョギョ図鑑

ギョギョ図鑑

Link to AMAZON『農業こそ21世紀の環境ビジネスだ』
農業こそ21世紀の環境ビジネスだ

農業こそ21世紀の環境ビジネスだ

Link to AMAZON『オーガニック・ワインの本』
オーガニック・ワインの本

オーガニック・ワインの本